奄美大島(大島紬)

フランスのゴブラン織、イランのペルシャ絨毯と並ぶ「世界三大織物」に数えられ、絣織(かすり)の頂点と言われる大島紬の工房を訪ねるため奄美大島に行ってきました。

大島紬の製造は①図案制作②整経③糊はり④締め加工⑤泥染め⑥加工⑦製織の工程が分業で行われています。できるだけ各工程の専門家にお話を伺いたいと思い調べた結果、夢おりの郷(全体の流れ)、金井工芸(泥染め工程)、龍郷町大島紬技術者養成所(製織工程)、大島紬美術館(作品鑑賞)を訪問することにしました。

奄美空港到着後レンタカーを借り、まず「夢おりの郷」に向かいました。

夢おりの郷

夢おりの郷は、「伝統とは常に新しい挑戦の積み重ね」をモットーに新しいものづくりを続ける大島紬の織元で、大島紬の原料である絹も奄美産にこだわり奄美での養蚕を復活させ、図案、締め、染め、加工、製織まで一貫した工程を行っています。
今回、南 晋吾社長と本場奄美大島紬伝統工芸士会会長の南 愛子様(ご母堂)にご案内いただきました。

見学の詳細は動画版をご覧ください(15分42秒)

翌朝、名瀬から泥染めの金井工芸に向かいました。

金井工芸

奄美大島でしか行っていない伝統的な染色技法「泥染め」、大自然の恵みを活かし、先人の知恵を伝承する、「泥染め」の第一人者の金井一人さんにご案内頂きました。

見学の詳細は動画版をご覧ください(17分33秒)

2月の奄美大島は寒緋さくらが満開です。

昼食後、龍郷町大島紬技術者養成所に向かいました。

龍郷町大島紬技術者養成所

龍郷町の基幹産業である大島紬の振興と発展を図るため、大島紬産業の担い手としての後継者育成を目的に設立され、養成期間2年・受講料無料で運営されています。龍郷町には二ヶ所の養成所があり今回訪問した瀬留養成所には7名の方がいらっしゃいました。年配の方が中心で若い方は一人でした。縦糸と緯糸を図案通りに織るため、5センチほど織る度に織り機を緩めて縦糸を調節し、緯糸を通す度に縦糸との交差を一本一本合わせる細密な作業に驚嘆し、大島紬が染織りの頂点と言われることを実感しました。

見学の詳細は動画版をご覧ください(10分49秒)

午後、草木染めに使用されるフクギ(福木)の並木がある国直海岸に行きました。

国直海岸

奄美市名瀬から車で西に約30分、美しい海岸とフクギの並木のあるのどかな集落です。アダンの下に天然記念物のオカヤドカリが集い、ウミガメが産卵に訪れ、真西に向いて開かれているため、夕陽が正面の海に落ちていくのが見えます。

美しい海岸とガジュマルの木、田中一村の絵の世界そのものです

詳細は動画版をご覧ください((1分20秒)

最終日朝、名瀬から大島紬美術館に向かいました。

大島紬美術館

大島紬を製造販売する織元として大島紬の心を後世に繋いでゆきたいという想いからホテルなど多様な事業を行なっており、その一環としてホテルの2階に大島紬美術館が開設されています。

ホテルティダムーン

2階の大島紬美術館入り口にある12マルキの超絶細密技法による作品「紅白梅図屏風」


大島紬美術館HPより転載

最後に、空港近くの田中一村美術館によりました。

田中一村美術館

昨年、作品の大半を上野の東京都美術館の特別展で見ていましたが、描かれた地でみる作品はまた別の趣がありました。
美術館の周りは田中一村の作品に登場する植物が植えられていて田中一村の世界を堪能することができました。

終わりに

2020年、 信州の松本紬と上田紬の工房の訪問をスタートに日本国内の染織りの旅が始まり、今回念願の奄美大島への訪問が実現しました。これまで各地の工房を訪問して皆様からたくさんの学びを得ることができ心から感謝しております。

大島紬は一反を完成させるためには30工程を経ています。その制作工程は分業化され、それぞれの分野の専門家が設計図に従い極めて精緻な技術でプロセスを進めてゆきます。出発の前に本やユーチュブで繰り返し予習をしてきましたが、現場で極致の技を体感し、これぞまさしく染織りの最高峰と感嘆しました。訪問先で貴重なお時間を頂戴しお話を伺えたことは大変ありがたいことでした。

私の手元には収集したり、お母様がきていた着物ですがと洗いはりをして綺麗に整えてお送りくださった布(人間国宝の方の作品でした)や、仲間がわけてくれた布があります。それぞれの布のストリーをできるだけ知った上で大切に使わせていただこうと思っています。

 

豊田と名古屋の美術館

豊田市民藝館「特別展(アイヌの美しき手仕事)」、一宮市三岸節子記念美術館「常設展と特別展(生誕130年武井武雄展~幻想の世界へようこそ~)」、名古屋市徳川美術館「常設展と特別展(魅惑の源氏物語)」を見に行ってきました。

豊田市民藝館(アイヌの美しき手仕事)

豊田市は愛知県北部の三河地方に位置する都市でトヨタ自動車の本社があることで知られています。名古屋から鉄道の直行便はなく乗り換えで1時間ほどかかります。豊田市民藝館は豊田市から6キロほど北の平戸橋という郊外、駅から歩いて15分ほどの平戸橋公園の一角にありました。

9月に北海道の二風谷コタンでアイヌの民族衣装をたくさん見て、その素朴で力強い独特なデザインに魅入られました。その際に豊田市民藝館の特別展(アイヌの美しき手仕事)の開催を知り今回見学に来ましたが、流石に柳宗悦と芹沢銈介の眼鏡にかなった名品揃いでいずれも素晴らしいコレクションでした。また民藝館自体は広々とした日本庭園の中に一号館から三号館までが並び日本民藝館を凌ぐ趣です。10月末の平日とはいえ参観者は少なくほとんど貸切状態でゆっくり見ることができました。

平戸橋駅から名鉄一宮駅に移動し一泊(知立のりかえ約1時間半)、翌朝バスにて三岸節子記念美術館に向かいました(約15分)

一宮市三岸節子記念美術館

名誉市民である三岸節子の功績を讃え、かつて敷地内にあった生家の織物工場を思わせる鋸屋根や、節子が住んでいた頃から残る土蔵を活かした土蔵展示室、風景画のモチーフとなったヴェネチアの運河をイメージした水路、生前好んだ白い花の咲く木々など、節子の思い出と深くかかわった特色のある美術館です。

NHKの日曜美術館の「友よ!我らの美しき野は… 画家・三岸節子と長谷川春子」を見て是非作品を見たいと一宮まできました。

三岸節子は、日本の近代洋画を代表する画家であり、情熱的な作風で花や風景を描き、女性画家としても先駆的な存在でした。異端の天才画家と言われた三岸好太郎と19歳で結婚し、好太郎が31歳で夭折の後も、3人の子どもを育てながら94歳まで画家を貫きました。

常設展では、残念ながら93歳最後の大作「さいたさいたさくらがさいた」を見ることができませんでしたが、二十歳の出世作「自画像」から82歳の「アルカディアの赤い屋根(ガヂスにて)」までの代表作を見ることができました。特に80歳代の作品からは年齢を感じさせない力強さと色彩に圧倒されました。

参照:一宮公式サイトichnomiya NAVI
参照:産経新聞
さsん
参照:Sankei Event info

展示作品は下記URLをクリックしてご覧ください
https://www.musashino.or.jp/museum/1002006/1002258/1002259/1002317/1002324.htm

同時開催の特別展「生誕130年武井武雄展~幻想の世界へようこそ~」も見ることができました。

武井武雄は大正から昭和にかけて童画、版画、刊本作品、玩具やトランプのデザインなど様々な芸術分野に活躍し、「子どもの心にふれる絵」の創造を目指して、自ら『童画』という言葉を生み出した方です。常の新しい作風・作画技法に挑戦した童画というレベルを遥かに超えた作品に感銘をうけました。

展示作品は下記HPをクリックしたください

武井武雄展 〜幻想の世界へようこそ〜

名鉄一宮駅から金山でJRに乗り換え大曽根駅まで移動(約40分)し徒歩15分、広大な徳川園の横を通りながら徳川美術館に着きました。

徳川美術館

徳川家康から尾張徳川家初代の徳川義直(家康9男)が譲り受けた遺品を中核に、江戸時代を通じて御三家筆頭の大名家に受け継がれてきた名品と、その後の収集品から成る1万件を超えたコレクションを有する美術館です。
コレクションをまとまった形で後世に伝えていくことに思いを定めた尾張家19代義親が、財団(美術館)にこれらを寄贈したことに始まる当館は、「源氏物語絵巻」や「初音の調度」をはじめとする国宝9件、重要文化財に指定される絵画・陶磁器・染織品など59件、「短刀 銘 吉光 名物 後藤藤四郎」など1000振に及ぶ刀剣類など、質量ともに充実した日本文化の発信地です。

主な収蔵品は下記URLをクリックしてください
https://www.tokugawa-art-museum.jp/about/treasures/

第一展示室「家のシンボル  武具・刀剣」

大名道具は、公的な場で用いられる「表道具(おもてどうぐ)」と、私的な場で用いられる「奥道具(おくどうぐ)」に二分されます。武具は、武家にとって表道具の中でも最も重要な道具でした。

第2展示室「大名の数寄 茶の湯」

戦国武将らの間で流行した茶の湯は、「御数寄屋(おすきや)」の接待として、武家の公式行事に取り入れられました。

第3展示室「大名の室礼 書院飾り」

大名の公式行事に用いられた広間には、床(とこ)・違い棚(ちがいだな)・付書院(つけしょいん)といった、さまざまな道具が飾られる専用の空間が備えられていました。

第4展示室「武家の式楽 能」

能は、武家の式楽と位置づけられていました。御殿(ごてん)や屋敷(やしき)では、公式行事が行われる広間などの前庭に能舞台が設けられ、行事に際してたびたび上演されました。

第5展示室「大名の雅び 奥道具」

奥道具の代表は、大名家に嫁いだ姫君たちが持参した婚礼調度(ちょうど)です。婚礼の際は、身の回りで用いられる化粧道具や文房具、飲食器などの調度類一式が、統一された意匠(いしょう)のもとに用意されました。

御所車・花車図屛風 六曲一双
国宝「初音蒔絵楊枝箱」
国宝「宇治香箱」
合貝(あわせがい)

第6展示室「王朝の華 源氏物語絵巻」

国宝「源氏物語絵巻」をはじめ鎌倉時代から江戸時代までに作成された多様な「源氏絵」や「古今和歌集」「土佐日記」「伊勢物語」「枕草子」の実物を目の当たりに見ることができ大変勉強になりました。

国宝「源氏物語絵巻 東屋(一)」
国宝「源氏物語絵巻 東屋(一)」

終わりに

9月の北海道行きをきっかけ豊田市民藝館で開催されている特別展「アイヌの美しき手仕事」を見に行くことになり、せっかく愛知に行くなら一泊してどこかに行こうと思い、一宮市の三岸節子記念美術館と名古屋市の徳川美術館に行くことにしました。結果は大成功で楽しい旅となりました。これからも日本各地の美術館や博物館を巡ってみたいと思います。

 

 

 

 

北海道(二風谷コタン、伊達紋別の藍畑)

今回の主目的は二風谷コタンのアイヌ織物・刺繍と伊達紋別の藍畑を見に行くことです。

羽田から札幌まで航空機、空港から苫小牧まで鉄道で移動し、苫小牧に二泊しました。


部屋からの苫小牧駅前広場、反対側には王子製紙の工場が見えました。

夜は苫小牧名物のホッキ貝を堪能しました。

JR日高本線で終点の鵡川(むかわ)まで30分、タクシーで平取町二風谷(びらとりちょう にぶたに)まで25分

二風谷コタン

北海道内の多くの地域においてアイヌが少数派になってしまった状況のなか、二風谷地域は現在に至るまでアイヌが多数派を占めている特別な地域で、極端に観光地化されることなく、アイヌ文化が生活の中に色濃く残っています。平取町郊外の二風谷にはアイヌ文化関連施設が集約された二風谷コタンがあり、平取町立アイヌ文化博物館や沙流川歴史館、平取町アイヌ文化情報センター等の施設の他、多くのチセ(家)が復元されています。

二風谷アイヌ文化博物館

貴重なアイヌ文化を正しく受け継ぎ、未来へと伝えていくことをコンセプトとし、平成4年に開館しました。館内は4つのブースにわけられ、人間と神と自然(大地)が一体となって営まれるアイヌの暮らしと文化をそれぞれの側面から伝え、視覚・聴覚をフルに使って楽しめるよう工夫されています。現在入口に映画「ゴールデンカムイ」の主要キャストが使用した衣装が展示してありました。豊富なコレクション(重要有形民俗文化財指定919点)と素晴らしい展示(レイアウト、照明、説明など)で大変見やすく素晴らしい博物館でした。特にアイヌ衣装が豊富に展示されておりアイヌ織物(二風谷アットウシ)と刺繍にアイヌ文化の精華を見ました。

萱野茂 二風谷アイヌ資料館

アイヌ初の国会議員となった萱野茂氏が40年にわたって収集した個人コレクションを展示。館長ご夫妻の近年の作品をまじえた新旧の資料群が、所狭しとケースに陳列されていました。奥様が制作されたアイヌ衣装は大変美しくご主人への愛情の深さを感じました。

アイヌ工芸伝承館ウレㇱパ

アイヌ工芸の伝承を進める場として開設されました。「匠の道」に立地しています。第一線で活躍する工芸家も創作活動に利用しているため、その技術を見ることができます。また、レーザー加工機といった最新の設備も導入され、アイヌ文様入りオリジナルタンブラーやマグボトルといった様々な体験プログラムを提供しています。残念ながら工芸家による創作を行うところは見ることはできませんでした。

平取町アイヌ文化情報センター

一角が工芸館になっており、作家たちが丹精込めて作った本物の「二風谷イタ」や「二風谷アットゥㇱ」で作られた作品、製品を購入することもできます。

チセ(アイヌの家)

広場には9棟のチセが建ち、アワンチセでは木彫(イタ)、イワンチセでは刺繍、トゥペサンチセでは編み物の実演を見ることができました。

沙流川歴史館裏、にぶたに湖の眺め

長い夏がようやく終わり、急に秋がきました。アイヌ語で「ニプタイ(木の生い茂るところ)という語源の通り、二風谷コタンの周りはみどりにつつまれ、沙流川が流れる。まさに「ゴールデンカムイ」の世界でした。

翌日、苫小牧から伊達紋別まで鉄道で1時間、タクシーで15分、藍染の里の藍師4代目篠原一寿さんを訪問しました。

藍染めの染料(蒅)の生産は徳島が最大の産地で二番目が北海道ですが、北海道の生産は篠原さん一人で行なっています。徳島は藍の栽培と蒅の生産は分業ですが、篠原さんのところは藍の栽培から蒅生産まで一貫して行なっています。

現在、藍畑は蒅用が約7ヘクタール、翌年の種用が約3ヘクタール。4月上旬にポットに種をまき、15cmほどの苗になるまでビニールハウスで栽培。5月下旬~6月上旬から苗を畑に移植する。50~70cmほどに成長したら、花が付かないうちに収穫。通常、8月に一番刈り、9月末~10月中旬に二番刈りを行う。天気次第だが、畑にそのまま4日ほど置き、自然乾燥させた葉を伊達では4カ月かけて熟成させて蒅を生産していく。蒅が完成するのは2月末、冷めてから脱穀機にかけて出荷できるのは3~4月だそうです。

自宅裏の種用の藍畑にご案内いただきました。

藍は肥料を食う作物で、徳島では江戸時代から吉野川の氾濫による肥沃な土壌で栽培されていました。当時は近海で取れるイワシを乾燥させ肥料として入れていたが、不漁により道産の鰊粕を求めるようになりました。農民たちにとって遠方からの肥料は高価過ぎたのでしょう。明治時代、徳島県人は広大な大地と安価な鰊粕を求めて北海道に移り住むようになったそうです。篠原家は明治28年ころに徳島から北海道に移住し藍栽培を行い、最盛期には160~180ヘクタールの耕作面積を誇っていました。やがてインド藍やドイツの人造藍の輸入などに押されて国産藍の価格は下落し全国的に藍の生産は衰退、戦後は農地解放で耕作地も減少、など様々な理由から一時は藍の栽培と蒅の生産を止めていたが、祖母のかめさんが将来のために守ってきた種で一寿さんが復活したそうです。

藍の花には徳島由来の「白花」と一寿さんが導入した「赤花」そしてそのハイブリッドの「ピンク」があるそうです。

種をいただきました。来年自宅で蒔いてみようと思います。

篠原家の周りには多様が植物が生えており、 帰りに栗と葡萄をいただきました。

篠原家を退出し道の駅「だて歴史の杜」で昼食をとり、鉄道で新千歳空港まで70分、航空機で羽田に戻りました。

動画版(5分28秒)

終わりに

昨年11月に徳島の藍染めの染料(蒅)の工房を見学した際に北海道の藍生産について伺い、次は北海道に行こうと思っていました。また北海道を舞台とする映画「ゴールデンカムイ」を見てアイヌについて興味が湧き、藍畑とアイヌコタンを巡る旅行を企画しました。

二風谷コタンは予想以上に素晴らしくアイヌ文化を学びゴールデンカムイの世界を体験できました。よくこれだけの施設を建築し維持しているものだと感服しました。

アイヌ衣装の制作実演で「土台となる布にアップリケ用の布をしつけをする」という制作方法がハワイアンキルトに似ていることに驚きました。よく見るとアップリケ用の布にパターンを描いてから土台となる布にしつけをして、模様となる部分を残しながら余分な部分は切り取り、アップリケをしていました。ハワイアンキルトはアップリケのパターンを切り上げてから土台布に広げ、しつけをして制作を進める点が異なっています。ハワイアンとアイヌ、南と北に遠く離れていますが、合い通じるものがあるとは興味深いものです。

藍篠原の篠原さん、見ず知らずの老夫婦の見学希望をお受けいただき、丁寧にご案内いただき誠にありがとうございます。一度絶えた藍と蒅の生産を再開し全国の藍染め産業を支えている真摯な姿勢に感服しました。健康に留意され今後もますますご活躍されることをお祈りします。

次は、奄美大島に大島紬と田中一村の描いた風景を見に行こうと計画しています。

 

 

 

 

宮城県仙南の「ひな祭り」

宮城県仙南地域で開催された13のひな祭りイベントの内の3個所(白石市、大河原町、川崎町)4会場をまわってきました。

白石市壽丸屋敷

東北新幹線で東京から白石蔵王まで約2時間、白石市(しろいしし)は福島・仙台・山形の中間に位置しています。街の中心にある壽丸屋敷(すまるやしき、明治中期から大正にかけて建てられた土蔵造りの店蔵と母屋からなる豪商の町屋建築)で開催された「ほっこりおひなさま展」を見学しました。


駅から徒歩5分

邸内に入ると地域の家々で使われていた雛飾りが並び壮観です。白石和紙の展示もありました。

白石城(伊達家の重臣・片倉家のかっての居城)に向かって歩くと白石という地名の由来でパワースポットの「神石白石」があり丘の上に天守閣が見えました。

白石・人形の蔵

次に明治・大正・昭和にかけての人形など常時5000点を展示する「白石・人形の蔵」に行きました。中学校の社会科の先生だった方が「子どもたちに歴史を身近に感じてもらいたい」と平成7年にオープンした博物館です。

本館一階はなつかしの駄菓子屋グッズでいっぱいです。

別館一階には伊達家拝領の古今雛や江戸時代制作のさが並んでいました。

別館二階に市松人形がいっぱい。一体一体は可愛いのですがこれだけ密集して並ぶと見方によっては少し怖いです。

在来線のローカル電車で13分大河原に移動し国登録有形文化財佐藤家住宅で開催された「佐藤屋でひなまつり」を見学しました。

駅から5分ほど歩き白石川を渡りました。4月上旬の川堤は桜の名所として有名です。

大河原町佐藤家住宅

佐藤家住宅は、明治から昭和にかけて建てられた近代和風建築物で、その大きさと細部まで気を配った造作は保存状態が良く、繁栄を極めた大地主の歴史を今に伝えています。27名の会員によるボランティア団体「佐藤屋プロジェクト」により佐藤家住宅を利用して定期的なイベントが開かれており、今回は3月2日から4日まで「ひなまつり」が開催されました。


駅から徒歩10分


御殿雛


享保雛


享保雛

仙台

在来線で35分仙台に移動して駅前のホテルモントレ仙台に宿泊しました。最上階(17階)に温泉(SkySpaサラ・テレナ)があり疲れがとれました。


駅前で朝市通りにも近く大変便利です


露天風呂はありませんがサウナもある本格的な大浴場です。

翌日、仙台駅前からバスで1時間半(秋保温泉から10キロ)、国営みちのく杜の湖畔公園(南地区・北地区・里山地区の三つのエリアからなる広大な国営公園、蔵王山麓の裾野、釜房湖畔に位置した豊かな水と緑に囲まれています)にいきました。

みちのく杜の湖畔公園

南地区に入ると「時の広場」があります。ストーンサークルのような不思議な広場です。その先に「彩の広場」が広がっています。まだ春が早く花はほとんど咲いていませんが4月になったらさぞ綺麗でしょう。


時の広場


彩の広場

ふるさと村エリアまでの道の両側に花が咲きはじめ春の伊吹をかんじました。


クリスマスローズ


原種シクラメン


水仙とふきのとう

ふるさと村エリアには東北各地から8棟の古民家が移築されており、この時期(2/23-3/24)は古民家に総数13台の7段飾りやガラスケース入り雛飾りなどが展示されていました。


長屋門

釜房の家(宮城県)地元の釜房ダム建設ため水没した村から移築

         湯田河の松(樹齢六百年、鶴が羽を広げているように見えることから「鶴の松」と呼ばれています。

本庄由利の家(秋田県)

月山山麓の家(山形県)

南会津の家(福島県)

鳴瀬川河畔の家(宮城県)

遠野の家(岩手県)

津軽の家(青森県)雪が降り始めました


雪が激しくなってきました。帰ります。

より詳しい動画版(15分)をご覧下さい

あとがき

埼玉県岩槻では参道の階段に27段371の雛人形を並べる愛宕神社の雛飾りをはじめ各所で雛飾りやコンサートなどが行われる「まちかど雛めぐり」というイベントが開催され多くの人で賑わいます。これはこれで素晴らしいのですがやや観光的になりすぎた感もありす。反面、今回訪問した白石・大河原・やみちのく杜の湖畔公園ふるさと村の「ひなまつり」は人出も少なく決して派手なものではありせんが伝統的な日本家屋や古民家に雛人形が飾られ子供の成長を祝う「ひなまつり」の原点を見ることができ大変有意義でした。

 

 

 

 

徳島・京都

今回の旅行の目的は、徳島では大塚国際美術館や藍染工房と藍染めの染料「すくも」作りを見学すること、京都では美術館「えき」KYOTO の「芭蕉布 人間国宝平良敏子と喜如嘉の手仕事展」と相国寺の「若冲と応挙展」を見学することです。

羽田発9:45の便で富士山の真横を通過し徳島を目指しました。

徳島空港からバスで鳴門市の大塚国際美術館に行きました。

大塚国際美術館

古代壁画から世界26ヶ国190余の美術館が所蔵する西洋名画1000余点を原寸大で複製陶板化した世界初の陶版名画美術館です。地下三階地上二階延床面積30000平米の巨大な展示スペースにテーマ別に古代、中世、ルネサンス、バロック、近代、現代と作品が展示されておりじっくり見るには半日では無理丸一日必要です。

入口から長いエスカレーターを地下三階に登ると正面にシスティーナ礼拝堂です。ミケランジェロの天井画と壁画が素晴らしい。

地下二階に登り昼食をとりました。レストランの中心の円形の池には睡蓮が咲き、そのまた中心に野外展示された楕円形のモネの「大睡蓮」を楽しむことができました。


睡蓮が咲く池


昼食の海鮮丼

モネの「大睡蓮」

昼食後は世界の名画を思う存分に堪能することができました。世界各地の美術館で実物を見てきましたが、陶版による複製は実物と見まごう出来栄えで、再会したような喜びを感じました。またレオナルドダビンチの「最後の晩餐」は修復前と修復後が向かい合って展示されており、比較することで大変勉強になりました。

作品の一部を撮影しましたのでご覧ください。クリックで拡大表示、→で次の作品、←で前の作品、✖︎で終了です。

翌日、天然藍染料「すくも」の工場と藍染工房を見学しました。天然藍染めの染料は「タデ藍」「琉球藍」「インド藍」の三種類があり、日本古来の染料「タデ藍」の産地は徳島、北海道、青森、兵庫で徳島が江戸時代以来最大の生産地です。

佐藤阿波藍製造所

江戸時代から続く藍染めの天然染料「すくも」の伝統的な製造技術を受け継ぐ、国選定阿波藍製造無形文化財・国指定卓越技術者 現代の名工・19代藍師・佐藤昭人さんに工場をご案内いただき「すくも」の製造工程を見せていただきました。

「すくも」の原料となるタデアイは3月にタネをまき、7月から8月に刈り取り、葉を1センチほどに刻んで天日干し、9月のはじめから11月末までむろ内に1メートルほどに積み上げむしろで囲って発酵させます。むろに入ると発酵により発生したアンモニア臭が充満していました。作業のタイミングは昔ながらの方法で行われ、タネまきはつばめが飛んだ1週間後、むろでの発酵開始はイチョウの葉が色づいたら、発酵温度の管理は膝でさわった肌感覚でむしろの枚数を増やすそうで、なんとも長閑ですが伝統を感じさせる凄いお話でした。


タネをとるため花が咲いたタデアイ、「すくも」作り用には花の咲く前の葉の状態で刈り取ります


むろの中に二つ「すくも」の山ができている。一つの山には6000坪のタデアイ畑から採った葉が使われています


発酵により70度ほどの温度になっています


壁の柱に作業記録が書き込まれていました


佐藤夫妻と友人夫妻と共に記念撮影

本藍染矢野工場

代表の矢野藍秀さんにご案内いただきました。化学薬品を一切使用せず、佐藤昭人氏が製造する「すくも」を使用した「天然灰汁発酵建てによる本藍染」という江戸時代から伝わる伝統技法で藍染めを行っており、その作品は2013年 4月放送 NHK大河ドラマ「八重の桜」のオープニング映像に使用されています。

「藍染め」の種類
1)藍染め:化学染料使用のものも含む
2)本藍染め:は天然藍(タデ藍、琉球藍、インド藍)を使用したもので、藍建ての方式として苛性ソーダやハイドロサルファイトなどの化学薬品を使用する化学建ても含む
3)本建て(地獄建て)・正藍染め:タデ藍の『すくも」を使用し、灰汁のみで藍を建て、染液の維持に麩や貝灰以外を用いない

工房には16の藍がめが並び、かめの中には綺麗な「藍の華」が浮いていました。九州など他の藍染め工房では藍建てにあたり灰汁の他に発酵促進のためお酒が添加されていましたが、矢野さんは灰汁しか使わない古来の手法にこだわっています。それだけに化学染料や化学薬品を使用した化学建てによるものが「藍染め」として広く流通し「色落ち」など問題を起こしている現状に本来の「藍染め」が誤解されていると憂いておられました。


灰汁を加え


竹の棒で攪拌する


藍の華がさいています


九州宮崎の藍染め工房、こちらも佐藤さんの「すくも」を使用していますが、発酵促進のため日本酒を添加しています

無地染め、絞り染め、型染め、ローケツ染め、糸染めなどの技法を駆使し、絹、木綿、麻、木材、皮革などの天然素材であれば、全て染めることが可能だそうで、今回はコードバン(馬の尻皮)を染められていました。


コードバン(馬の尻皮)を何度も藍がめに入れていました


藍染めのグラデーションが美しい


矢野さんの藍染めのTシャツ、良い色合いですね

次に阿波の藍染めに使われる藍がめを制作している阿波大谷焼の窯元に行きました。

森陶器

国の有形文化財に登録されている日本最大級の登り窯をもつ大谷焼の窯元、藍染めの甕や水琴窟の甕などをはじめとする大きな甕を作る際、「寝ろくろ」(2人一組で1人が甕の成形し、1人が寝ころんで足で蹴りながらろくろを回す製法)という大谷焼独自の技法が使われることでも知られています。しかし、昭和20年代後半からは生活様式の変化に伴い、大甕の製造に加えて日用品などの小物を多く作るようになったそうです。登り窯を中心とする広大な敷地に大甕などが敷き詰めら壮観です。


登窯

その後、お遍路八十八ヶ所のスタート地点 一番札所・霊山寺にお参りしました。

昼食は地元で有名な活魚料理「びんび家」で美味しい魚をいただきました。


びんび」とは、徳島の言葉で「ピンピン跳ねる新鮮な魚」を意味しています


新鮮な魚料理と鳴門わかめたっぷりの味噌汁で大満足です

昼食後、鳴門の渦潮を見に行きました。


四国と淡路島を結ぶ大鳴門橋


大鳴門橋遊歩道「渦の道」全長450mを歩き展望台へ


高さ45メートルの展望台からの眺め。残念ながら渦は巻いていませんでした。

アオアヲナルトリゾートから高速バスに乗り京都へ


淡路島からの夕陽

京都

翌朝、京都駅に隣接する伊勢丹デパート内の美術館で「芭蕉布 人間国宝平良敏子と喜如嘉の手仕事展」を見ました。

芭蕉布は、沖縄本島の北部に位置する大宜味 (おおぎみ) 村の喜如嘉 (きじょか) を中心に作られるバナナの仲間である糸芭蕉 (イトバショウ) の繊維から糸を紡ぎ織られた布です。とんぼの羽のように透けるほど薄く軽いと評され、王族の衣服や士族の役人の制服として庶民の普段着や晴れ着として幅広く利用されてきた。また、琉球王朝から中国や江戸幕府への献上品としても使われました。

第二次世界大戦中・戦後にかけて衰退し消失の危機にありましたが、民藝運動家で染織家の外村吉之介氏に師事し、民藝や染織について学んだ平良敏子さんが沖縄の織物を守り育ててほしい」という声に応えて復興、「喜如嘉の芭蕉布」の名で国の重要無形文化財、経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されています。

糸芭蕉から繊維をとり糸を紡ぎ布を織るという途方も無い手間と織り上がった布の類まれな美しさに感嘆し京都にまで来た甲斐があったと思いました。


黄地 絽織 経縞


帯地「藍コーザー アササ」

相国寺

次に相国寺に行き「秋の特別拝観」と承天閣美術館の「若冲と応挙展」を見学しました。長蛇の列を覚悟して行ったのです意外にもがらがら、紅葉には少し早くもみじも緑ですがお庭が美しく、ゆっくり拝観できました。


法堂(ハットウ)我が国法堂建築の最古のもので、天井画「鳴き龍」画の下で手を叩くと堂内に大きく響きました


表方丈庭園、南側は白砂を敷き詰めただけの簡素な庭です

裏方丈庭園、北側は深山幽谷を表した枯山水の庭です

開山堂庭園、開山夢窓国師の木像を安置している堂で、その南庭は「龍渕水の庭」と呼ばれる石庭です

開山堂の入口に近い堂内の壁の片隅にとても可愛いい子犬の画があり和みました。


円山応挙筆 仔犬図 杉戸絵

次に承天閣美術館で「若冲と応挙’」展を見ました。

 

第1展示室:伊藤若冲が相国寺に寄進した「釈迦三尊像と動植綵絵」動植綵絵は複製(実物は宮内庁)ですが相国寺の法要で使用されているものです。若冲らしく細密で色鮮やかです。


釈迦三尊像


動植綵絵

第2展示室:伊藤若冲の水墨による障壁画と丸山応挙の代表作で重要文化財の「七難七福図巻」
「七難七福図巻」は三井寺裕常門主の依頼を受けて描いたもので、任王経にもとづき人の七難七福のありさまをイメージ化したものです。全三巻からなり、それぞれ天災、人災、福をテーマにしており、依頼者の祐常によって描かれた下絵、それを受けた応挙の画稿、そして完成した大作絵巻を比較して見ることができ大変勉強になりましたが、人災や天災の画は応挙の上品な作風からは想像できない壮絶かつ残酷な描写で、こんな応挙があるのかと驚きました。


伊藤若冲「鹿苑寺大書院旧障壁画 月夜芭蕉図床貼付」


丸山応挙 七難七福図巻 福寿巻(部分)


丸山応挙 七難七福図巻 天災巻(地震部分)

午後、京都駅から新幹線で東京に帰りました。

世界の染織り工房を回る旅の一環として、今回「藍染め」の染料「すくも」がどのように作られているのかを現地で見ることができ大変勉強になりました。すくも作りの佐藤さん、藍染めの矢野さん、懇切丁寧にご案内いただき誠にありがとうございました。

徳島では徳島市在住の友人夫妻のおかげで藍染工房だけではなく窯元や寺院さらに鳴門の渦潮までご案内いただき大変感謝しております。おかげさまで大変充実した旅行となりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

静岡・修善寺・三島

静岡県立美術館にて725日から918日まで「糸で描く物語」という企画展が開かれています。横須賀と新潟そして静岡での巡回展示です。最後の機会を逃したくなく913日に出かけました。

静岡県立美術館は静岡駅からバスで30分,この日は気温が上昇,それでも豊かな樹々に包まれた静かな環境に位置する美術館を訪れたくさんの貴重なコレクションを見学することができ本当に素晴らしい時間を過ごしました。

スロヴァキアやトランシルヴァニアの伝統的な衣装や、独特の造形と色あざやかなイヌイットの壁掛け、絵本の挿絵として制作されたのびやかな作品から、精緻なオートクチュール刺繍など見応えのある展示でした。

展示内容は
第1章 刺繍と民族衣装
第2章 イヌイットの壁掛け
第3章 刺繍と絵
第4章 刺繍とファッション

まず個人的に一番に興味があったのは刺繍と民族衣装でしたが各章の展示室を部屋から部屋へと移動しながら目にする様々な作品は魅力的で11点時間をかけてしっかりと拝見させていただきました。

特にスロヴァキアやトランシルヴァニアの伝統的な衣装と刺繍は現地でもなかなか見ることができない素晴らしいコレクションでした.

わたしも2016年にTransylvania(トランシルヴァニア)地方を訪ねてたくさんの民族衣装やイーラショシュのタペストリーを見学する機会を得ましたが、今回の展示会ではルーマニア・トランシルヴァニア地方の伝統手芸研究家の谷崎聖子(たにざきせいこ)さんの素晴らしいコレクションを鑑賞することができ大変勉強になりました https://morino-kanata.com/

静岡県立美術館は17世紀以降の内外の山水・風景画、静岡県ゆかりの作家、作品を中心に収集・展示していますが、平成6(1994)年に新館としてオープンした「ロダン館」には《地獄の門》をはじめとしてロダン作の彫刻32点が展示されています。段差のある立体的なゆったりしたスペースの中に高い天窓から自然光がふんだんに注ぎ作品群の見え方が平面のフローアーで見るのとは違った印象を得ました。https://spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/

静岡から三島経由修善寺に移動し修善寺温泉に宿泊しました。
共立リゾートの運営する「桂川」という旅館に泊まりました。
https://www.hotespa.net/hotels/katsuragawa/
大浴場とは別に7つの貸切風呂が無料で使用できるシステム(予約不要、空いている浴室を先着順に利用)が素晴らしく快適でした。貸切「檜葉の湯」

修善寺温泉は開湯1200年の歴史があり、修禅寺、独鈷の湯、竹林の小道、源頼家の墓、などがあり散策も楽しめました。独鈷の湯は残念ながら入浴できませんがその近くに足湯があり快適でした。https://www.hotespa.net/hotels/katsuragawa/

帰り道、修善寺から伊豆鉄道で三島に出ました。富士山の伏流水が湧き出る水の綺麗な街で、駅前の「楽寿園」という広さ約75,474平方メートルの市立公園が見事でした。小浜池やせりの背などの天然池泉と周囲の自然林からなる庭園は、国の天然記念物及び名勝に指定されています。30度を超える夏日でしたが緑と清流に癒されました。


小浜池と楽寿館

昼食は三島名物の「うなぎ」をいただきました。富士山の伏流水でうなぎを晒すことで特有の臭みを消し余分な脂肪分を燃焼させるそうです。

 

信州(駒ヶ根・岡谷・茅野)

今回の旅の目的は、長野県の駒ヶ根で伊那紬工房、岡谷で蚕絲博物館、茅野で諏訪大社上社(前宮&本宮)を訪問することです。

駒ヶ根

新宿から特急あずさ号で岡谷まで2時間、飯田線のローカル鉄道で1時間、駒ヶ根まで合計3時間半ほどかかりました。なお駒ヶ根は中央アルプスの玄関口で駒ヶ根ロープウェイで行ける千畳敷カールで有名です。

伊那紬の織元(久保田織染工業)

長野県は「蚕の国、絹の国」と呼ばれるほど、養蚕業・織物業が盛んでした。松本紬や上田紬が有名ですが総称して「信州紬」と呼ばれています。伊那地方の天竜川沿いでつくられる「伊那紬」は、そのうちのひとつ。かつては約120の工房が存在していたものの、現在唯一生産を続けているのは、明治43(1910)年創業の久保田織染工業のみ、いまでもその技術を受け継ぎ、糸づくりから手織りでの仕上げまでを、すべて自社内で行っています。この度は4代目となる久保田貴之専務に工房をご案内いただきました。

伊那紬は草木染による先染めが特徴で、信州らしく「りんご」「やまざくら」「しらかば」などの乾燥された木の皮が並んでいました。経糸(たていと)を自社生産しており、製糸工場から納められる綛(かせ)の状態の糸をボビンに巻く「糸繰り」、目的の太さにするために2本の糸を一緒に巻き取る作業を数回行う「合糸」、それに撚りをかける「撚糸(ねんし)」という工程を行う機械が並んでいました。ここまで自社で行う工房は見たことがありません。糸づくりにかける並々ならぬ思いを感じました。

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

二階には高機が列び手織りの音がなりひびいていました。緯糸(よこいと)には岡谷の宮坂製糸所の紬糸(つむぎいと)が使われ、美しいグラデーションの織物が織られていました。

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

最後に作品を拝見し、端切れを分けていただきました。良い生地をいただきましたので今後のクレイジーキルト作品つくりに活かしていきたいと思います。

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

伊那市

駒ヶ根から電車で25分、伊那市に移動し駅前のホテルに泊まりました。伊那市は南アルプスと中央アルプスに挟まれた谷間の街です。夜は居酒屋で信州料理と地酒を堪能しました。

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

岡谷蚕絲博物館

翌朝、岡谷に移動し岡谷蚕絲博物館を訪問しました。岡谷地方は、上田と共に、信州でも最も製糸業が栄えたところで、蚕絲博物館では、世界遺産の富岡製糸場で使われた最初のフランス式繰糸機(日本で唯一現存)や、明治時代に開発され全国に普及した国産の諏訪式繰糸機など貴重な3万点もの機械・絹製品・資料が展示されていました。石川県の牛首紬の工房で座繰繰糸機による繰糸を見てきましたが、条数を4条/6条/8条/多条と増やす工夫や、繭を茹でる工程の分業化、繊度自動感知器の発明により新しい繭の糸が自動で追加される自動繰糸機が開発され、生産性が飛躍的に向上した歴史をはじめて知りました。製糸に特化したこれほどの博物館は世界でも他に例をみないのではないかと思います。

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

1936(昭和11)年に描かれた岡谷市街地の鳥瞰図、街じゅう製糸工場です

宮坂製糸所

次に博物館に併設された宮坂製糸所を見学しました。岡谷は近代製糸業発祥の地であり、明治から昭和初期にかけては日本の生糸生産量の三分の一を占めるほどの活況をみせ、重要な輸出産業として日本の近代化に果たした役割はきわめて大きなものがありました。しかし最盛期には300の製糸工場が立ち並び労働者が50000人もいましたが、製糸業の衰退により現在岡谷では宮坂製糸所のみとなってしまったようです。

宮坂製糸所は昭和3年に創業、伝統的な諏訪式と上州式の座繰繰糸機と最新式の自動繰糸機が列び伝統的な生糸の生産方式が系統的に残されている日本で唯一の製糸工場で、年間約1トンの生糸、織物で約千反分を生産しています。注文された糸の質(均一・紬・ソフトなど)と量(少量・大量)により伝統的な繰糸機と自動繰糸機を使い分け職員の配置を柔軟に変更しています。

諏訪式繰糸機で二人の女性が繭から糸をひいていました。茹でた繭10頭から糸を引き出し1本の糸にして巻き取る作業はいくら説明を受けても何をしているのか見分けられません。正に神業です。自動繰糸機も壮観です。茹でられた繭が小分けされてベルコンベアで流れてきて、10頭の繭から糸を引き出し1本の糸にまとめるのは手作業ですが、糸が足りなくなると自動的に感知して新しい繭を追加し、殻になった繭を排除する、という作業が自動なのです。すごい発明です。この機械がニッサン製でした。なんとニッサン製の繰糸機で紡いだ糸をトヨタ製の自動織機で織っていたのです。

多種多様な自動繰糸機(FR型小型自動繰糸、銀河シルク繰糸、極細生糸繰糸など)を見た後、高齢の男性からシルクを使った石鹸や繭の種類の説明を伺いました。実はこの方はなんと宮坂製糸所会長の宮坂照彦さんだったのです。大変丁寧なご説明をうけ感激いたしました。見学後、ファクトリーショップでお買い物。ここの商品も素晴らしいものでカラフルで魅力的な小物が沢山ありまいした。

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

岡谷名物うなぎの昼食

浜松で生まれたうなぎの稚魚が、天竜川をのぼってきて、諏訪湖で育ったため、昔からうなぎを食べる文化があったそうです。岡谷のうなぎの特徴は①関東風で背開き②蒸さない③炭火で焼くです。大変美味しかったのですが、蒸さないのでやや油っぽく味も濃いため、人によっては好き嫌いがあると思います。

諏訪大社

諏訪大社は二社四宮からなり茅野に上社(前宮と本宮)下諏訪に下社(春宮と秋宮)があります。下社は以前お参りしたことがあるので今回は上社にお参りしました。

諏訪大社上社前宮

茅野駅から2.6キロタクシーで10分ほどの高台にあり豊富な水や日照が得られる良き地で、御祭神が最初に居を構えられ、諏訪信仰発祥の地と伝えられています。他の3宮と異なり規模も小さく簡素ですが四本の御柱を間近に見ることができ最も神秘的です。本殿の横を流れる小川「水眼(すいが)の清流」が神聖な気を宿しているように感じました。

 

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

諏訪大社上社本宮

我国最古の神社の一つであり、全国一万有余の諏訪神社の総本社です。幣拝殿と片拝殿のみで本殿を持たない諏訪造りという独持の様式です。

 

前宮に比べると大変大きな宮で建物も多く立派です。北参道の石の鳥居をくぐって境内に入ると正面に一之御柱が見えます。手水舎で手を清め、順路に従い左まわりに雷電の像・神楽殿と歩くと二之御柱がありました。布橋門をくぐって布橋を歩くと神妙な気持ちになりました。参拝所への道が北参道から直進せず迂回して横から入るという変わったレイアウトでした。調べてみると御神体である社殿背後の山(守屋山)に向いているためとか、神仏混合時代の寺社の配置が明治の廃仏毀釈により変更されたためとか、の説がありました。四本の御柱を四方に建てる理由も定かではありません。地元の年配の方に聞いても分かりませんでした。しかし7年に一度、寅と申の年に行われる御柱祭には上・下の二社に別れそれぞれ数千人の氏子によって、八ヶ岳の麓から切り出された17メートルを超える大木を宮まで道路を封鎖し川を渡り人力で引き、宮の四隅に建てる神事は平安時代以来1200年も続き、氏子たちはこの時期になると「血が騒ぎ」危険も忘れ神木に乗らないではいられないそうです。

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

タクシーで茅野駅に戻り特急あずさで帰路につきました。

おわりに

2020年に長野県の松本紬と上田紬、2021年に茨城県の結城紬、2022年に石川県白山の牛首紬の工房をめぐり、今回伊那紬の工房を見学することができました。紬は紬糸を使い手機で織ることから独特な風合いがあり日本の伝統文化を体現させた素晴らしい織物です。洋装化の進捗により和装が非日常化したため各地の染織工房も激減しています。その中で伝統を守りながら経営努力されている久保田織染工業さんに敬意を表します。いままで染と織りの工程を中心に見てきたため、その前段の糸の工程を今回詳しく見ることができ大変勉強になりました。岡谷蚕糸博物館の繰糸機コレクションと宮坂繰糸所の動態展示という素晴らしい組み合わせは世界に誇れるものだと思います。是非インバウンド観光の目玉の一つとして海外にプロモーションすべきだと思います。また染織関連グッズは海外みやげに最適だと思いました。

 

 

石川・新潟(金沢・白山・小千谷)

今回の旅の目的は、石川県金沢で加賀友禅、白山の山深い村(白峰と桑島)で牛首紬、新潟県小千谷で小千谷ちぢみ・片貝木綿・古代織の工房を訪ねることです。


大宮から北陸新幹線で金沢へ2時間8分


金沢駅(おもてなしドームと鼓門)世界で最も美しい駅14駅の1つに選出されています

加賀友禅(鶴見工房)

加賀友禅作家の鶴見晋史(つるみくにちか)さんに制作工程をご案内いただき作品を拝見しました。加賀友禅(株)鶴見染飾工芸

鶴見家は加賀友禅の創始者と言われる宮崎友禅斎が身を寄せた加賀藩御用である紺屋頭取「太郎田屋」の家督を三代に渡り務めた鶴見他吉郎さんを曽祖父とする由緒正しい家系で、実父の保次さんは日展会員で、石川県文化功労賞を表彰された金沢を代表する加賀友禅作家の1人です。

晋史さんは九州産業大学芸術学部美術学科を卒業後、東京友禅を学んだのち、実父である保次さんから加賀友禅を学び、現在は加賀友禅作家として活躍しています。伝統を守りつつ新しい表現にも挑戦し、加賀友禅の手法で織物絵画を制作し2019年改組新第六回日展にて特選を受賞しておられます。

動画:1分53秒

記念にテーブルランナーを購入させていただきました

その後、武家屋敷跡を散策し長町友禅館で加賀友禅の作品を拝見しました。

夜、加賀料理を頂き、金沢城のライトアップを楽しみました。

 

動画:37秒

翌日、金沢から50キロ離れた白峰と桑島に向かいました。

牛首紬

牛首紬は、平家の落人が白峰村に逃れ、村人に機織りを教えたのが始まりと伝えられます。ひとつの繭に2頭の蚕が入った特殊な繭「玉繭」から「座繰り」により手挽きした太くて節のある玉糸をよこ糸に使うため、織り上げた紬は独特の光沢があり、他の絹織物に比べて野趣にあふれ、素朴な味わいと優れた耐久性から長く人々に愛されており、国の伝統的工芸品にも認定されています。

牛首紬 織りの資料館 白山工房

和服の需要の低下や第二次世界大戦などの影響も受けて商業としての紬生産は一時途絶え、一部の職人によって伝統的な技術を保つだけとなりました。戦後まもなく大きな工場が廃業するという危機によってその技の継承は途絶えかけたため、地元で建設業を中心として事業展開を行っている西山産業が繊維部として事業を継承しています。

白山工房は生産工程の見学対応に力を入れており、展示や作業工程案内などが充実していました。ご案内いただいた西山幹人さんは、大学卒後、地元の大手繊維メーカーに就職し、織物製造の基礎技術を学び、2014年に家業である「株式会社 西山産業」に入社。繊維部に所属し、牛首紬の製造技術を学びながらその製造に従事。現在では営業業務にも携わり、牛首紬の認知拡大に向けて精力的な活動を行っていらしゃいます。

白山工房の牛首紬は、2割が糸を先染めして織り、8割は白生地に織ってから後染します。高機(たかばた)による手織りは一部で、大半は玉糸機(たまいとばた:玉糸に特化した機械織機)で織られています。

動画:3分14秒


記念に「ふくさ」を購入しました

白峰村

白峰村は、日本三名山のひとつ白山の麓、平年の積雪が2mを超える日本屈指の豪雪地帯で、稲作はほとんど行われず、江戸中期から養蚕が行われていました。白山麓天領18か村の大庄屋として天領行政の中心であったため、山村でありながら寺院や建物が密集して町場のような景観です。明治中期の紀行文で「製糸業が盛んで、警察分署、登記所、宿、料理店、雑貨店、飲食店、呉服店、芸鼓、消防の施設など様々な施設がある。」と記しています。

重要伝統的建造物物群保護地区の古民家食堂で昼食をとりました

昼食後、白峰村の隣村、桑島村の加藤工房を訪ねました

加藤手織牛首つむぎ

大正から昭和の初め、桑島集落内には工場3ヵ所、家内工業的に各家庭で生産していたものを合わせて織機台数80~100台を数え、牛首紬の生産が盛んでした。しかし太平洋戦争中食糧増産のため桑園は畑に転用され、牛首紬の原料となる原糸の製造は絶たれ、牛首紬の生産は不可能となってしまいました。しかし、加藤三治郎(加藤手織牛首つむぎ3代目当主)一家が、僅少の山桑による自家養蚕により原糸を生産、牛首紬の生産を継続し今日も伝統を守っています。

今回、5代目当主の加藤治さんに作業工程のご案内をいただき、奥様に商品のご紹介を頂きました。加藤工房の牛首紬は伝統を守り①玉繭から座繰りで引いた玉糸をよこ糸に②高機(たかばた)で手織りし③全て白生地で出荷する④仕入れた業者が後染めしてから完成品としてマーケットにでる。というビジネスモデルを行っています。

動画:3分5秒

白生地を少し分けていただき、名刺入れを記念にいただきました

 

金沢に戻り、新幹線と特急を上越妙高で乗継、長岡に移動です

富山周辺、車窓からの風景

片貝木綿(紺仁染織工房)

紺仁染織工房は、宝暦元年(1751 年)初代 松井仁助が藍染めの染物屋として創業、以来約270 年の老舗染物屋さんです。

昭和20年代、民藝運動の一環として日本各地を回る柳宗悦や白洲正子たち一行が片貝を訪れたおりに技術を生かした独自の織物を作ることを勧められ、柳悦孝氏(柳宗悦の甥)の指導により自然素材である綿をできる限り自然のまま生かし、太さの異なる3種類の糸を組み合わせて織った片貝木綿を生産するようになりました。

今回、十一代目当主の松井均さんに片貝木綿の生産工程だけではなく、染物の工程も合わせて大変詳しくご案内いただきました。

動画:10分33秒

記念に片貝木綿を少し分けていただきました。

小千谷(布ギャラリー水田)

新潟県小千谷市にて麻や縮など天然素材と伝統色にこだわった製品をIONOブランドにて製造・販売している会社です。小千谷ちぢみの用途を着物だけではなくインテリアなどの分野に広げる努力をされており、店舗にはモダンでおしゃれな商品がたくさん並んでいました。

今回、水田会長に小千谷ちぢみの後工程(織り上がった小千谷ちぢみを「湯もみ」して「しぼ」をだす作業)や文化財級のすばらしい作品を見せていただきました。

動画:7分8秒

記念に小千谷ちぢみのスカーフを購入しました

古代原始布織(織田工房

楮(こうぞ)の表皮から「こうぞ糸」を作る方法を開発し特許を取得したお父様の後を継いで楮紙布織(とうしふおり)を作り出した折田一仁さんの工房を訪ね、その技法と作品を拝見しました。

動画:7分14秒

長岡に戻り上越新幹線で帰路につきました

おわりに

今回6個所の染織工房を訪問させていただきました。見も知らぬ埼玉県の老夫婦を温かく迎え親切にご案内いただきました皆様に心より御礼申し上げます。

着物離れが進む厳しい経営環境の中で伝統を守りつつ新たなマーケットへの対応努力をつづける皆様の熱意と努力に心より敬意を表し、さらなるご発展をお祈りします。

九州(久留米・都城・綾)

九州の染織工房を訪ねるため、福岡県の久留米、宮崎県の都城と綾に行ってきました。

久留米

久留米絣(くるめがすり)は、福岡県南部の久留米周辺で製造されている綿絣で、伊予絣(愛媛県)、備後絣(広島県)とともに日本三大絣の一つとされています。織物産業の衰退とともに伊予絣と備後絣はそれぞれ1〜2社となってしまいましたが、久留米絣は現在でも21社操業と健闘しています。今回はその内の11社が集中している八女郡広川町の工房を訪ねました。

藍染絣工房山村健(やまむら たけし)

高速道路の広川ICから車で10分ほどの住宅地にある正藍染め手織り工房です。山村健さんは重要無形文化財保持者会会員/日本伝統工芸会正会員で日本伝統工芸展に1999年以来連続的に入選され2009年にはNHK会長賞を受賞された染織家です。数軒の工房が操業しており織機の音が響いていました。山村健さんに工房をご案内いただき、居間で作品を拝見させていただきました。天然藍染と手織りの伝統工法にこだわりながら絣によるグラデーション表現という新しい技法に挑戦され「Yamamura Blue」というブランドを確立されています。

丁度ご子息が藍染めの最中でした。柄を括られた糸(絣糸)を藍甕につけ、絞り、叩きつける、という作業を力強く続けられていました。希望の色になるまで30回以上も染めを繰り返す大変な仕事です。

居間に通していただきました。3月ということで雛飾りがしてあり華やかでした。藍染の着物・反物・袋物などが整然と並ぶ美しいお部屋です。山村健さんと奥様から多彩な作品を見せていただきました。ほとんどの久留米絣が経糸絣か、緯糸絣で、一方は無地で、模様は、横糸か縦糸のどちらか一方でつくりますが、山村さんの久留米絣は、経緯絣(ダブルイカット)といって、経糸と緯糸、二つの模様を合わせて織る極めて高度で精緻なものです。また伝統的な絣柄(紺地に白抜きの絣文様)だけではなくグラデーションを表現した現代的な大作など山村さんの独創的な作品群に感服しました。

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

野村織物

山村工房から車で5分ほど広川の中心街にある機械織り工房です。
創業明治31年今年で125周年の老舗です。業界内では外注がほとんどの「染め(染色)」を自社で行う色づくりには定評があり、毎年新たに50~80の新色・新柄を発表しています。

四代目ご当主の若奥様に工房をご案内いただきました。まず倉庫の2階で製品を拝見しました。反物ではなく直径50センチほどのロール状の織物が並んだでいました。中でも伝統的な紺色ではない赤や黄色などのカラフルなものが新鮮でした。

1階は染色場です。山村工房の藍瓶が並ぶ天然藍染めと異なり反応染料による機械染めです。染め上がった絣糸と一緒にほぐした括り糸が再利用のため保存してありました。庭には染色前のくくった糸が糊付けされて干してありました。

隣の建物に入ると入り口で経割(柄合わせ)と経はえ(整経/せいけい)が行われ、奥には数十台のシャトル式機械織機が稼働していました。手織りは緯糸(よこいと)をシャトル(杼)で通し柄を合せながら一段づつ織りますが、機械織りは自動で連続的に行います。このため緯糸(よこいと)をトングとよばれる板状の木管に巻く作業をヌキ巻き台で行うところを初めて見ました。この作業で織るときの目印となる「耳」ができ機械織機でも柄をあわせることができるのです。

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

都城

久留米から新幹線で新八代駅、高速バスに乗り換えて都城北、路線バスで都城に到着しました。

東郷織物工房

奄美大島生まれで祖父が大島紬の締機(しめばた)の発明者と言う一家で育った永江明夫氏(現代の名工に認定されています)によって生み出された綿のダイヤモンドと呼ばれる綿薩摩(薩摩絣)や大島紬・夏大島を生産する工房です。

都城駅からタクシーで5分ほどの本社を訪問すると社長夫人の谷口啓子さんにお出迎えいただき織物について詳しくお話をお聞きすることができました。まず代表的な製品である綿薩摩(薩摩絣)を見せていただき、商標になっている武者小路実篤の色紙(薩摩絣  手織絣  誠実無比  実篤)の掛軸も拝見しました。その後は次々と各種の織物見本や製品をご紹介いただきました。大島紬は一般的に絹ですが東郷織物はあえて技術的に困難な綿に挑戦しており、奄美大島では分業化されているデザイン・括り・染色・織りを自社で一貫して行っています。谷口さんは今年で77歳になられますがデザイナーとプロデューサーを兼ねられる大変精力的で方で織物に対する熱い思いに圧倒されました。

次に車で都城駅とは反対側の高台にある工房・ギャラリーにご案内いただきました。工房には20ほどの高機が列び絣が織られていました。高機に張られた経糸を見ると極めて細かく括られ先染めされていることが分かります。織子さんが緯糸を通すたびに一本づつ柄合わせをしているのが印象的でした。

隣接するギャラリーは銀座のショールームと言っても言い過ぎではない立派なもので、綿薩摩・大島紬・夏大島の着物や反物などが整然と展示され多様な作品を鑑賞できました。またショップが併設されていて洋服・スカーフ・ネクタイ・ハギレなどお土産に好適な商品が並んでいました。

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

宮崎駅から西に25キロ、タクシーで30分ほど内陸に入ったユネスコエコパークに認定された自然豊かな町です。

綾の手紬染織工房

第3回三井ゴールデン匠賞グランプリを受賞された”現代の名工”秋山眞和氏が意匠監修する染織工房です。①桑栽培②養蚕(小石丸) ③ 天然染め(古法藍染め/大和貝紫染め )④織り(花織 / 絣織)と一貫した生産をおこなっています。

綾北川を渡り工房に着くと、お嬢様にお出迎えいただき、工房をご案内いただきました。藍染め場は今まで見た中では最大規模で40もの藍甕が列び生産量の多さがうかがわれました。隣は糸取り場で繭から絹糸を取る設備がならんでいました。庭には藍の元となるタデ(蓼)が栽培されていました。展示場に入るとショールーム・ショップがあり皇居で皇后陛下が育てておられる日本古来の在来希少繭(小石丸)や幻の貝紫染色による織物などを見ることができました。その奥が工房になっており、絣織りや花織りが織られていました。

ショールームでは奥様から色々なお話をうかがうことができました。私がキルターだと知ると藍染めの生地で作ったパッチワークキルトの上着まで見せていただき感激しました。

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

あとがき

日本における絣伝播の道を訪ねる上で絣の三大産地の一つである久留米は是非行きたいところでした。今回、手織りと機械織りの工房を見学することができましたが、機械織りは①糸を括り先染めした絣糸を使用する②杼で緯糸を通すシャットル織機を使用する、という二点は一緒ですが手織りとは全く異なるものだと感じました。しかし非常に手間がかかり高価格で高級品の「手織り」と生産性が高くリーズナブルな価格で多様なニーズに対応できる普及品の「機械織り」はお互いに補完しあうことで、伊予絣と備後絣が衰退したのに反し、久留米絣が存続しているのだということが分かりました。

都城の染織は奄美大島、綾の染織は沖縄由来でした。太平洋戦争の激化により染織工場が鹿児島や宮崎に疎開し、戦後の混乱の中戻ることができずに宮崎に定着しました。その後宮崎の地域性を生かした商品開発を行い、東郷織物は綿薩摩、綾の手紬は貝紫染色・大和紫貝染や小石丸繭を完成しブランド化に成功したのです。

今回、どちらの工房でも、埼玉の田舎から来た面識もない老夫婦を暖かく出迎え、懇切丁寧に対応していただき誠にありがたく感謝に耐えません。伝統的な織物産業は着物文化の衰退により大変厳しい状況にありますが、皆さんの染織への情熱とご努力を見て、世界最高のレベルに進化した日本の染織は今後も発展していくと確信いたしました。

帰宅した翌週(4/2)、山村健さんがTBSの夜の番組「「和心百景」(21:54-22:00)という番組で紹介されました。私たちがお会し拝見した藍染や久留米絣に再会し良いご縁をいただいたと嬉しくなりました。この後も4月7/9/14/16/21と地上波やBSで放送されるそうですので是非ご覧ください。

動画版もよろしければ御覧ください(12分)

栃木・茨城(馬頭温泉と結城紬)

栃木県の馬頭温泉に泊まり紅葉と夕日を楽しみ温泉で養殖したトラフグのコースを堪能し、翌日は以前から行きたった茨城県結城市で結城紬を見学してきました。

馬頭温泉は宇都宮から普通電車で二駅先の氏家から車で30分ほど東に走った那珂川のほとりの温泉郷です。付近にゴルフ場が多いことからゴルファーの方には知られているようですが観光地としてはあまり有名ではありません。アルカリ単純泉とナトリウム塩化物泉の2種類の源泉があり、ナトリウム塩化物泉(塩分濃度1.2%、海水3.6%の1/3程度で生理食塩水0.9%に近い)を利用してトラフグの養殖をしていました。
http://www.ganso-onsentorahugu.com/

氏家で昼食をとりタクシーで馬頭温泉まで行き付近の観光をしました。

いわむらかずお絵本の丘美術館

14ひきのねずみシリーズで有名な絵本作家のいわむらかずお先生の美術館です。入館すると最初の展示室にシリーズの代表作の「ねずみのでんしゃ」の拡大版が置かれていました。この作品は横須賀市長沢に住んでいたころご近所付き合いをしていた児童文学の山下明生先生といわむらかずお先生が我が家やご近所の子どもたちをモデルにねずみの子供の物語として合作されたものです。展示された絵本や原画を見ながら今では40代になった子供たちに絵本を読み聞かせていた若かりし日々が思い出されました。

クリックで拡大、→で次の写真、←で前の写真、✕で終了

乾徳寺

室町時代に開基された曹洞宗の禅寺です。山門は武茂城の表門を移築したもので県指定文化財に指定されています。
紅葉が真っ盛りで建物や石仏などに映えて美しいお寺でした。

クリックで拡大、→で次の写真、←で前の写真、✕で終了

馬頭院

1217年に創建された古刹、水戸光圀により十万石の格式を授与され朱印寺となった格式のあるお寺です。境内にはたくさんのサクラ、ツバキ、ボタン、ツツジ、モミジなどの花木が多く「花の寺」としても親しまれています。

クリックで拡大、→で次の写真、←で前の写真、✕で終了

鷲子山上神社(とりのこさんじょうじんじゃ)

県境が大鳥居の中央、並びに奥の御本殿の中央を通るという全国でも珍しい神社です。御祭神は、天日鷲命(アメノヒワシノミコト)といわれる鳥の神様で、古い時代よりフクロウが大神様の御使い・幸福を呼ぶ神鳥として崇敬され「フクロウの神社」と呼ばれています。多くのフクロウ像があり、運気上昇・金運の福徳・
パワースポットとして、全国より多くの方々が来山されているそうです。

クリックで拡大、→で次の写真、←で前の写真、✕で終了

馬頭温泉 南平台温泉ホテル

那珂川を見下ろす丘の上のホテルです。アルカリ度の高いヌルヌル透明の湯と那須連山から日光連山を見る夕日が美しい宿でした。温泉で養殖したトラフグのコース料理をいただきました。玄界灘の荒海で育ったものと比較すると身のしまりが今ひとつですが美味しくいただきました。

クリックで拡大、→で次の写真、←で前の写真、✕で終了

二日目

宿の送迎バスで氏家にでて小山を経由して結城に行きました。駅前の結城市観光物産センターに立ち寄り結城紬の工房を見学できないかを相談したところ、工房は無理でしたが結城市伝統工芸館を紹介していただきました。

結城紬(ゆうきつむぎ)

日本三大紬(大島・結城・牛首)の一つに挙げられ、①蚕の繭をゆでて糸をとる通常の方法ではなく繭から袋状の真綿(まわた)を作りそれから手作業で糸を紡ぎ②手作業で糸をくくって絣模様を先染めし③地機(じばた)という原始的な織り機で織るという3工程が国重要無形文化財に指定されユネスコ無形文化財に登録されています。
https://story.nakagawa-masashichi.jp/craft_post/119997

結城市伝統工芸館

茨城県本場結城紬織物協同組合の小島理事長から結城紬の制作工程を詳しく解説していただき、天皇陛下の前で機織りの実演をされた技術保持者の野村さんから地機による機織りを見せていただきました。

クリックで拡大、→で次の写真、←で前の写真、✕で終了

つむぎの館

結城紬はそれぞれの工程が分業化され結城市内に10軒ほどある問屋(縞屋と呼ばれる)が生産をコーディネート(真綿の仕入れ、糸取り・糸染・機織り業者の発注)しマーケティング(販売)を行う体制になっています。結城市伝統工芸館を見学したあと結城市内に戻り問屋の一つ「奥順」を訪問しました。博物館・工房・展示場を総合した「つむぎの館」という施設を運営しており結城紬の歴史、制作工程や多彩な織物を見ることができます。
http://www.yukitumugi.co.jp/about/

クリックで拡大、→で次の写真、←で前の写真、✕で終了


結城市観光物産館センターで購入した結城紬のスカーフ

あとがき(結城で学んだこと)

1.紬(つむぎ)はつむぎ糸を使用した絹織物ですが、本来つむぎ糸は繭から直接糸がとれない欠陥のある繭(玉繭)から作る真綿(まわた)から手作業でよりをかけずに糸をつむいだものです。しかし現在ではその風合いの良さから玉繭に限らず正常な繭からも敢えて手間のかかる方法で作られています。

2.結城紬で使用する真綿は福島県伊達市保原の「入金真綿」が使用されています。
http://www.honmono-yukitsumugi.jp/entry/64

3.「糸つむぎ」「絣くくり」「地機織り」という3工程は分業化されており、結城市内に10軒ほどある問屋(縞屋と呼ばれる)が全体の生産をコーディネート(真綿の仕入れ、糸取り・糸染・機織り担当の業者への発注)し販売(マーケティング)を行っています(本場結城紬卸商協同組合

4.製品は問屋ブランドとして販売され製作者の氏名は基本的に表にでません。したがって製作者(作家)に会いたい場合は問屋を通さないと実現しないことが分かりました。今回は幸いにも結城市伝統工芸館にて生産者である茨城県本場結城紬織物協同組合の小島理事長と技術保持者の野村さんにお会いでき直接お話を伺えて幸いでした。ご紹介いただいた結城市観光物産センターの栗原さんに心より感謝いたします。

5.今回は平日(木)の訪問でしたが駅前をはじめ市内のほとんどの店が閉まり人通りもなく閑散としていました。新型コロナによる観光客減少や木曜定休日の店が多いという事情を勘案しても寂しい限りでした。結城に行くなら土日が良いようです。

動画版(9分)もご覧ください