函館と下北半島

2016年3月26日に北海道新幹線が開通しましたので函館北斗まで乗ってきました。大宮発10時の便に乗る予定が京浜東北の事故で大遅延となり乗り遅れ、大宮に着いたのが10時35分、10時45分の便が満席で乗れず、次の便は2時間後の12時45分、青森までは1時間に2本ぐらいありますが北海道まではまだ便が少ないのです。大宮駅内で昼食をとりながら時間を潰しました。ようやく乗った新幹線は函館北斗まで3時間半極めて快適で、函館までなら飛行機より新幹線の方が良いですね。函館到着後、夕方から函館山に登り夕暮時から日没そして夜まで展望台で函館の景色を堪能しました。ロープウエーや展望台は観光客でいっぱいです。それも外国人の方が多いくらいで訪日観光客の増大が函館にも影響していました。

翌日は朝から元町地区からベイエリアまで2時間ほど散策、坂道で少し疲れましたが教会や明治時代の西洋建築を見て回りました。洋風木造建築が多く日本の他の都市とは異なるエキゾチックな町並みです。昼から五稜郭に行きました。五稜郭タワーに登ると眼下に日本では珍しい星形の城が見えました。その後隣接した北海道立函館美術館で開館30週年特別展「フランス近代美術をめぐる旅」を見ました。思いがけずルノワール、ミレー、セザンヌ、ピカソ、モディリアーニ、フジタの名画を堪能しました。その後赤レンガ倉庫エリアで昼食を取り、16時半のフェリーで下北半島の大間に行きました。大間は「大間マグロ」で有名な所ですので、もちろん本場のマグロを堪能するのが目的でしたが、期待した程ではなく少しがっかりでした。

三日目、大間からタクシーで佐井へ、佐井から観光船で仏ヶ浦観光に行きました。仏ヶ浦は下北半島の秘境で陸路だと駐車場から高低差100m以上の崖を下り20分・上り30分かかるそうですが、船だと佐井から30分の船旅で高低差0ですから便利です。海は海底のウニが見える程澄み、白く巨大な奇岩が連なり絶景です。佐井に戻ってからウニむき体験をしました。生きていて触手が動き、歩きだすほど新鮮なウニが一人5個、先生の指導で2つに割って中の身を取り出します。結構むずかしく、ウニが高いのも無理がないと納得しました。むいたウニはそのままだと1日で溶けてしまうそうで一般に流通しているウニはミョウバンで処理しているそうです。だから新鮮なウニはむきたてでないと食べられないわけです。自分でむいたウニを2階の食堂で刺し身定食を注文し、ご飯の上に乗せてウニ丼にして食べました。絶品でした。昼食後、高速艇で青森まで2時間半、途中でもう一度仏ヶ浦を今度は海上から眺め、イルカと遭遇したり楽しい船旅でした。青森港の船着場は昔の青函連絡船八甲田丸の隣、歩いて10分ほどで青森駅につきました。新青森から新幹線で大宮へ2時間半、楽しい旅行でした。

弘前

「津軽こぎん刺し」を見に行きました。「津軽こぎん刺し」は江戸時代に木綿の着用を許されなかった農民が麻布を重ねて麻糸で刺した着物を普段着としていたもので、雪国津軽の冬は麻布だけでは寒さを防ぐことはできず、糸で布目をびっしり刺すことで保温効果も高めていたものです。明治に入ると木綿の着用が解禁になり、木綿糸が手に入りやすくなり、藍色の麻布に白い木綿糸で刺されるようになっていきました。農家の女達の美意識と工夫で多くの模様が生み出され、他の刺し手と美しさを競い合うようになり、娘達は幼少から刺す練習をし、晴れ着用として嫁入り支度に欠かせないものとなりました。しかし明治24年に上野~青森間の鉄道が開通し、明治27年に青森~弘前間に鉄道が延び、豊富な物資が流通し始めると麻より暖かく丈夫な木綿の着物が手に入るようになると、手間のかかるこぎん刺し着物は急速に廃れていきました。昭和に入ると、柳宗悦[やなぎむねよし](1889~1961)らによる民藝運動によって、再び注目を浴びることとなります。宗悦は津軽こぎん刺しの模様に注目し民家や古道具屋で古作こぎん着物を収集し、「名もない津軽の女達よ、よくこれほどのものを遺してくれた」(昭和7年「工芸」より)と絶賛しています。

弘前でも「津軽こぎん刺し」はおみやげ屋さんに小物が売られている程度で古作や新作をまとめて見られる施設は極めて少ないのが現実です。ネットで調べて見ただけでは十分な情報がなく弘前駅内の観光案内所で相談し3箇所ほど行ってきました。中でも「弘前こぎん研究所」では刺繍の方法を実演していただいた上で、古作のコレクションも見せていただくなど大変お世話になりました。http://www.kaneiri.co.jp/shop/people/kogin-miura.html

津軽近郊の大鰐温泉にある星野リゾート界に津軽こぎん刺しをモチーフにした特別室「津軽こぎんの間」ができたというテレビ報道に興味を惹かれ弘前に行ってきました。お部屋は離れで津軽こぎん刺しを柄にした障子や内装で綺麗な部屋でしたが「津軽こぎん刺し」そのものはあまりなく想像とは少し異なっていました。