沖縄

グアテマラで初めて出会った絣織り(IKAT)に導かれ、起源と言われるインドから絣織り伝播の道をインドネシア・タイ・ラオス・カンボジア・ベトナムとめぐり、ようやく日本の沖縄にたどり着きました。

14〜15世紀(約500年前)の琉球王国は東南アジア・中国と盛んに交易を行い、その交流により織りと染の技術を学び、沖縄各地に多様な琉球織物が発達してきました。

沖縄本島(南部、中部、北部)と他島(石垣島、宮古島、久米島など)の全てをまわるには相当の日数が必要ですので、今回は那覇郊外の南風原町(はえばる)と首里城の近くの染織工房を訪問することとし、空港近くの紅型工房も訪問することにしました。

南風原(はえばる)は琉球王府時代から絣の主生産地としてしられ、現在でも数十軒の機屋があり年間3000反以上の生産量を誇っています。その特色は分業による価格競争力にあり、図案・絣のくくり・染色・織り・仕上げの工程をそれぞれの専門家が行っています。また絣の他に花織も織られています。

丸正織物工房

空港からタクシー30分ほど南風原町の丸正織物工房に到着しました。起伏の多い地形で小道が入り組んでいるため地元のベテラン運転手さんでも苦労していました。三代目ご当主の大城幸司さんのご案内で工房を見学させて頂いた後、居間で作品を拝見させていただき色々なお話を伺うことできました。


大城幸司さんとお母様

御絵図帳(みえずちょう:琉球王国時代に描かれた600種におよぶ絣のデザイン画集)を見せて頂きました

伝統を守りながら現在のマーケットに合わせた色や柄が人気です

端布を分けて頂きました
左:やしらみ(南風原花織)
右:かじまや(風車の意味:琉球かすり)

大城幸司さんは明治大学政治経済学部卒業後、3年間服飾業界で働いた後、2009年祖父母が営む丸正織物工房で働き、絣反物の生産者が減少していく中、伝統にこだわり古典的なかすり柄を得意とする工房の三代目として頑張っていらっしゃいます。名刺には布人 大城幸司とありました。布人(ヌヌサアア)とは布職人の意味で沖縄の織物にかける情熱と矜持を感じます。翌日訪問した知念紅型研究所工房の知念冬馬さんから、紅型の生地を大城幸司さんから仕入れていることや大城さんの人柄についてのお話を伺い、沖縄の織物・染物を支える若い方々の強い絆を感じました。

那覇伝統織物事業協同組合(首里織)

翌日、首里織の那覇伝統織物事業協同組合を訪問しました。
首里城からタクシーで5分ほどの谷あいの立派な建物でした。
理事で研修講師を担当されている山城有希子さんにご案内いただきました。

首里織の特色は分業制をとらず図案・絣のくくり・染色・織り・仕上げの全工程を一人で行うことです。会員は個人事業主として自宅を工房として制作にあたっている方が大半のようです。組合は協同作業場の提供と会員の研修を行っており、研修生を公募し初級9ヶ月+中級9ヶ月の育成事業を行っていました。


よこ糸を微調整して絣の柄を合わせています

染色場では研修生が自分の作品用の糸を染めていました

首里織の種類を解説していただきました

首里織には絣・花倉織・花織・道屯織・ミンサー織の5つの技法があり、中でも花倉織は最も格調高く高度な技法が必要で王家や貴族専用だったそうです

作品の検品を受けに来ていた首里織作家の大城孝美さんから藍染めのスカーフを購入させていただきました。

丁度、沖縄県立博物館で「沖縄の藍」という企画展が開かれていましたので見学に行きました。

藍染の文化が世界中にあることと、沖縄の藍が日本で一般的に利用されている「インド藍」」ではなく独特の「琉球藍」であることなど大変勉強になりました。また出口に置かれた展示品が南風原の大城廣四郎工房四代目大城拓也さんの「琉球本藍デニム」であったことは琉球絣と藍の新時代を示していて興味深いものでした

大城廣四郎工房

博物館内のレストランで遅い昼食をとってから再度南風原町に向かい大城廣四郎工房を訪問しました。

三代目ご当主の大城一夫さんに工房をご案内いただきました。大変大きな工房で一階では絣括りと糸染め、二階では機織りが行われており、糸の絞りと染色から機織りまでの作業工程を詳しく見学することができました。


絣の柄が出るように染めない部分の糸を紐で括る(縛る)作業

糸を染める染色場、藍甕が3つ並んでいました

括りをして染められた糸、青色は藍、黄色は福木の表皮で染められたものです

織り機にたて糸を張る作業、たて糸を上下させよこ糸を通すためのスペースを作る綜絖(そうこう)にたて糸を一本づつ通していきます。織るまでの準備作業が大変なことがわかります

織り機がたくさん並び機音が響きます


括りにより先染めされたたて糸により絣の柄が透けて見えます

1階のショップで端布とマスクを購入しました

沖縄県立博物館の特別展「沖縄の藍」に展示されていた「琉球本藍デニム」を制作された大城拓也さんはご子息で、お父様の工房で働きながらご自分の工房「ぬぬ工房」で木綿を藍染めし斜文織りした「琉球本藍デニム」を開発し、東京のセレクトショップや有名ブランドとのコラボレーションなど着物以外のマーケットへ参入されています。伝統を守る三代目の父と、伝統を守りつつ新しい分野に挑戦する四代目の息子、「デニムなんぞをやっているですよ」と微笑みながら言葉少なく息子を語る父、沖縄の織物文化が着実に受け継がれていることを感じました。

知念紅型研究所工房

最後に空港の近くの知念紅型研究所工房を訪問しました。

琉球紅型は15世紀の琉球王朝時代の交易を通じて伝来した、中国やインド、ジャワの更紗などの染色技術をもとに生まれたと言われています。紅型には「沢岻家」「知念家」「城間家」の三宗家がありましたが現在でも制作を続けているのは「知念家」「城間家」の二家です。

工房では10代目当主の知念冬馬さんにご案内いただきました。知念冬馬さんはかつての琉球王家お抱え紅型三宗家の知念家に生まれ、17歳より祖父である知念貞男氏のもとで紅型作りに従事し、10代後半から京都や大阪、イタリア・ミラノでグラフィックデザインを学び、22歳で知念家十代目びんがた七代目として伝統的技術を継承し工房を引き継がれました。


生地に型紙を乗せ防染糊で柄を転写し、その上に顔料で色を乗せて(塗って)いき、筆で刷り込みます


次に文様の部分に隈取りを行います。琉球紅型独特の「ぼかし染」です。この工程により立体感のある鮮やかな色彩が生まれていきます

配色を終えたら蒸し機で熱を与え、色を定着させ、生地に乗っている糊を残さないよう綺麗に洗い落とし、白地に仕上げます。
洗い終えた生地を張り出し、筒と糊を使い、柄の上に防染作業(糊伏せ)を行い、染料で背景の地染めを行います

再度1時間蒸し機で蒸し上げて糊伏せの糊や余分な染料を洗い落とし、洗った生地を張り出して乾燥させ、​湯のしをかけたら完成です。

色差し・取り・糊伏せという工程は大変手間がかかり気が遠くなるほどですが、その段階ではさして美しいとは思えませんでした。しかし水洗いした完成品は驚くほど美しく変身します。顔料による彩度の高い美しい色、隈取によるぼかし染のグラデーシヨン、世界一美しいと言われるのも言い過ぎではないと思いました。


色鮮やかなものだけではなく藍染に紅型を施したシックなものもあり新鮮でした
デザインは冬馬さんが担当し型紙を制作していました。
台紙にデザイン原画を貼り、手作りのカッターで突彫りして型紙を作成します。

台紙の下敷きには島豆腐を乾燥させたルクジューを使用します

居間のタンスの中の端布の山(宝の山)から端布を自由に選ばせていただき分けて頂きました。


同じ型紙で配色を変えています

終わりに

絣織りは先染めした糸を織ることで布地に柄を表現する織り方でインドを源流として世界中に広まっています。「たて糸絣」「よこ糸絣」「たてよこ糸絣(ダブルイカット)」の三種類がありますが、海外の絣工房を回っているとき、「たて糸絣」か「よこ糸絣」のどちらかが一般的で「たてよこ糸絣(ダブルイカット)」はあまりにも技術的に高度で複雑なためインド・グジャラート州パタンのパトラ織とインドネシア・バリ島トゥガナン村のグリシン織の二つしかないと聞かされていました。しかし沖縄の絣はたてよこ糸絣(ダブルイカット)が一般的であることを知りびっくりしました。日本の絣は世界最高水準だったのです。

伝統的な手織りや染色の伝統は服装文化の変化と機械化に押され世界的に衰退の道を歩んでいます。その中にあって沖縄では大勢の若い方々により伝統文化が伝承され現代のマーケットに合わせた進歩を遂げていることに感動いたしました。

新型コロナウイルスの感染拡大が続く中、本土から来た老夫婦を温かく出迎えていただき、丁寧にご案内いただいた沖縄の皆様に心より感謝いたしております。

今回の旅行を動画にまとめましたのでご覧ください(7分)

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