アルザス(ミュウルーズ、コルマール、ストラスブール)

ルツェルンからバーゼル乗り換えでミュールーズに移動し3泊4日のアルザス地方観光をスタートしました。

バーゼル駅
ミュールーズ駅

ミュールーズ

フランス東部、ドイツとスイスの国境近くに位置するアルザス第2の町、18世紀から20世紀にかけて染織産業が栄え、フランスのマンチェスターと呼ばれてきました。

まず今回ミュールーズを訪問する主目的である染織博物館に行きました。18~19世紀の室内装飾、服飾デザイン画、染織見本を中心にヨーロッパを始めとする世界中の資料が約600万点も収められ、そのコレクションの豊富さ、質の高さにおいて、世界に類を見ない博物館です。膨大なテキスタイルのアーカイブからデザインをアレンジして商用利用できることからエルメスやサンローランなど世界の名だたるハイブランドも利用しています。

ミュールーズ染織博物館Musée de l’impression sur étoffes de Mulhouse

道に迷いながら歴史地区のレユニオン広場へ向かいます。広場の中央にはフランスでは珍しいプロテスタントの教会サン・テチエンヌ寺院、その向かいにはピンク色の旧市庁舎があります。

サン・テチエンヌ寺院
旧市役所
夕食はアルザス名物のシュークルートです

翌日から二日間観光タクシーをチャーターしてアルザスの美しい村を周りました。

エギスハイム

ミュールーズから40キロ、コルマールから5キロ、フランスで最も綺麗な村にの一つに選ばれたアルザスワインの村です。カラフルな街並みはおとぎ話にでてきそうです。

昼食にアルザス名物タルトフランべ(ピザに似ていますが、生地が薄く、発酵させない、そしてソースの代わりにチーズを使うことが特徴、トッピングは玉ねぎやベーコンでピザよりあっさりした味です)とアルザスワインを頂いてアルザス観光の中心都市コルマールで移動しました。

コルマール

人口6万8000人、アルザスでは第三の規模の都市で「アルザス ワイン街道の首都」と呼ばれ、旧市街には13~16世紀にまだドイツ領だった時代に建造されたドイツ風の木骨組みの街並みそのまま残っています。

プティット・ヴニーズ

翌日、コルマール近郊のカイゼルスベルクとリクヴィールを経由してストラスブールに向かいました。

カイゼルスベルク

2017年の「フランス⼈が選ぶお気に⼊りの村」にて第⼀位を獲得したアルザス地⽅屈指の⼈気観光地です。村の周囲を葡萄畑が取り巻き高台にお城があります。丁度お祭りが開かれており中世の騎士や可愛い子供達の歌を聴くことができました。

お城へ登る階段の八合目あたりからの眺め

リクヴィール

15世紀から16世紀の貴族の館が⽴ち並んでいます。中でもアルザスで最大25mの木組みの家が立派でした。お祭りなのか村の入り口でイベントが開かれ、スタンドでアルザスワインやビール、タルトフランべやソーセージが売られ、音楽にのってダンスを踊る人がいました。

リクヴィールからストラスブールに移動しました。

ストラスブール

フランス中東部のアルザス地⽅の中⼼、グラン・ディル(旧市街)に加え、2017年にノイシュタット(新市街)が登録拡⼤され、市の全域が世界遺産という世界でも稀な都市です。ホテルが旧市街のプティット・フランス地区の歩行者エリアにあったためタクシーがホテル前まで入れず、2分ほど荷物を転がして歩かされましたが、絶好のロケーションで散策を楽しむことができました。

ノートルダム=ド=ストラスブール大聖堂

旅行最後の夕食はアルザス料理で締めました

お土産

動画版もご覧ください(13分)

終わりに

以前からフランスのアルザス地方に行ってみたいと思っていました。クリスマスマーケットで有名な11月から12月とも考えましたが、やはりお花がきれいな春にすることにし、ゲイトウエー空港をチューリッヒにしたことからルツェルンにも寄ることにしました。そしてテキスタイル関連の工房や博物館がないかを調べてみると、ザンクト・ガレンに刺繍博物館、ミュールーズに染織博物館があることが分かりました。特にザンクト・ガレンは以前行ったドイツ白糸刺繍の村シュバルムとの関連があることが分かり、スイス3泊フランス3泊の日程がきまりました。

スイス国内の移動は鉄道を利用しました。なんとザンクト・ガレンにはチューリッヒ空港から直行列車があるのです。またスイスハーフフェアーカードという便利がものがありました。このカードを事前に買っておくと鉄道やロープーウェイなどが半額になります。また鉄道にはスーパーセイバーという運賃があり更に割引(合計で4分の1)になります。ただしスーパーセイバーは変更や払戻しができないので日程が確定するまでは手配しないほうがよいようです。手配はネットで簡単にできました。

アルザス地方の移動は、小さな村を効率的にまわるため、観光タクシーにしました。手配はネットでコルマールのタクシー会社数社に見積もりを依頼し、その中から回答が早く料金がリーズナブルなところにお願いしました。

ホテルはブッキングドットコムで手配しました。スイスは物価が高いので三つ星クラス、アルザスはスイスほど高くないので四つ星クラスとし、徒歩観光に便利な旧市街のホテルにしました。

食事はその地方らしいレストランで名物料理を食べるようにしました。スイスではチーズフォンデュやラクレット、アルザスではシュークルトやタルトフランべなど、一人前の量が多いこともあり前菜(サラダなど)とメインを一人前づつ頼み二人でシェアーしました。飲み物はビールがどこでも美味しく料金も手頃でした。おかげで二人で60スイスフラン/ユーロほど(一人当たり日本円で5000円から6000円)で済みました。

後期高齢者となり足腰がだいぶ弱り、以前のように歩き回ることが困難になってきましたが、これからも元気に旅行を続けたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奄美大島(大島紬)

フランスのゴブラン織、イランのペルシャ絨毯と並ぶ「世界三大織物」に数えられ、絣織(かすり)の頂点と言われる大島紬の工房を訪ねるため奄美大島に行ってきました。

大島紬の製造は①図案制作②整経③糊はり④締め加工⑤泥染め⑥加工⑦製織の工程が分業で行われています。できるだけ各工程の専門家にお話を伺いたいと思い調べた結果、夢おりの郷(全体の流れ)、金井工芸(泥染め工程)、龍郷町大島紬技術者養成所(製織工程)、大島紬美術館(作品鑑賞)を訪問することにしました。

奄美空港到着後レンタカーを借り、まず「夢おりの郷」に向かいました。

夢おりの郷

夢おりの郷は、「伝統とは常に新しい挑戦の積み重ね」をモットーに新しいものづくりを続ける大島紬の織元で、大島紬の原料である絹も奄美産にこだわり奄美での養蚕を復活させ、図案、締め、染め、加工、製織まで一貫した工程を行っています。
今回、南 晋吾社長と本場奄美大島紬伝統工芸士会会長の南 愛子様(ご母堂)にご案内いただきました。

見学の詳細は動画版をご覧ください(15分42秒)

翌朝、名瀬から泥染めの金井工芸に向かいました。

金井工芸

奄美大島でしか行っていない伝統的な染色技法「泥染め」、大自然の恵みを活かし、先人の知恵を伝承する、「泥染め」の第一人者の金井一人さんにご案内頂きました。

見学の詳細は動画版をご覧ください(17分33秒)

2月の奄美大島は寒緋さくらが満開です。

昼食後、龍郷町大島紬技術者養成所に向かいました。

龍郷町大島紬技術者養成所

龍郷町の基幹産業である大島紬の振興と発展を図るため、大島紬産業の担い手としての後継者育成を目的に設立され、養成期間2年・受講料無料で運営されています。龍郷町には二ヶ所の養成所があり今回訪問した瀬留養成所には7名の方がいらっしゃいました。年配の方が中心で若い方は一人でした。縦糸と緯糸を図案通りに織るため、5センチほど織る度に織り機を緩めて縦糸を調節し、緯糸を通す度に縦糸との交差を一本一本合わせる細密な作業に驚嘆し、大島紬が染織りの頂点と言われることを実感しました。

見学の詳細は動画版をご覧ください(10分49秒)

午後、草木染めに使用されるフクギ(福木)の並木がある国直海岸に行きました。

国直海岸

奄美市名瀬から車で西に約30分、美しい海岸とフクギの並木のあるのどかな集落です。アダンの下に天然記念物のオカヤドカリが集い、ウミガメが産卵に訪れ、真西に向いて開かれているため、夕陽が正面の海に落ちていくのが見えます。

美しい海岸とガジュマルの木、田中一村の絵の世界そのものです

詳細は動画版をご覧ください((1分20秒)

最終日朝、名瀬から大島紬美術館に向かいました。

大島紬美術館

大島紬を製造販売する織元として大島紬の心を後世に繋いでゆきたいという想いからホテルなど多様な事業を行なっており、その一環としてホテルの2階に大島紬美術館が開設されています。

ホテルティダムーン

2階の大島紬美術館入り口にある12マルキの超絶細密技法による作品「紅白梅図屏風」


大島紬美術館HPより転載

最後に、空港近くの田中一村美術館によりました。

田中一村美術館

昨年、作品の大半を上野の東京都美術館の特別展で見ていましたが、描かれた地でみる作品はまた別の趣がありました。
美術館の周りは田中一村の作品に登場する植物が植えられていて田中一村の世界を堪能することができました。

終わりに

2020年、 信州の松本紬と上田紬の工房の訪問をスタートに日本国内の染織りの旅が始まり、今回念願の奄美大島への訪問が実現しました。これまで各地の工房を訪問して皆様からたくさんの学びを得ることができ心から感謝しております。

大島紬は一反を完成させるためには30工程を経ています。その制作工程は分業化され、それぞれの分野の専門家が設計図に従い極めて精緻な技術でプロセスを進めてゆきます。出発の前に本やユーチュブで繰り返し予習をしてきましたが、現場で極致の技を体感し、これぞまさしく染織りの最高峰と感嘆しました。訪問先で貴重なお時間を頂戴しお話を伺えたことは大変ありがたいことでした。

私の手元には収集したり、お母様がきていた着物ですがと洗いはりをして綺麗に整えてお送りくださった布(人間国宝の方の作品でした)や、仲間がわけてくれた布があります。それぞれの布のストリーをできるだけ知った上で大切に使わせていただこうと思っています。

 

北海道(二風谷コタン、伊達紋別の藍畑)

今回の主目的は二風谷コタンのアイヌ織物・刺繍と伊達紋別の藍畑を見に行くことです。

羽田から札幌まで航空機、空港から苫小牧まで鉄道で移動し、苫小牧に二泊しました。


部屋からの苫小牧駅前広場、反対側には王子製紙の工場が見えました。

夜は苫小牧名物のホッキ貝を堪能しました。

JR日高本線で終点の鵡川(むかわ)まで30分、タクシーで平取町二風谷(びらとりちょう にぶたに)まで25分

二風谷コタン

北海道内の多くの地域においてアイヌが少数派になってしまった状況のなか、二風谷地域は現在に至るまでアイヌが多数派を占めている特別な地域で、極端に観光地化されることなく、アイヌ文化が生活の中に色濃く残っています。平取町郊外の二風谷にはアイヌ文化関連施設が集約された二風谷コタンがあり、平取町立アイヌ文化博物館や沙流川歴史館、平取町アイヌ文化情報センター等の施設の他、多くのチセ(家)が復元されています。

二風谷アイヌ文化博物館

貴重なアイヌ文化を正しく受け継ぎ、未来へと伝えていくことをコンセプトとし、平成4年に開館しました。館内は4つのブースにわけられ、人間と神と自然(大地)が一体となって営まれるアイヌの暮らしと文化をそれぞれの側面から伝え、視覚・聴覚をフルに使って楽しめるよう工夫されています。現在入口に映画「ゴールデンカムイ」の主要キャストが使用した衣装が展示してありました。豊富なコレクション(重要有形民俗文化財指定919点)と素晴らしい展示(レイアウト、照明、説明など)で大変見やすく素晴らしい博物館でした。特にアイヌ衣装が豊富に展示されておりアイヌ織物(二風谷アットウシ)と刺繍にアイヌ文化の精華を見ました。

萱野茂 二風谷アイヌ資料館

アイヌ初の国会議員となった萱野茂氏が40年にわたって収集した個人コレクションを展示。館長ご夫妻の近年の作品をまじえた新旧の資料群が、所狭しとケースに陳列されていました。奥様が制作されたアイヌ衣装は大変美しくご主人への愛情の深さを感じました。

アイヌ工芸伝承館ウレㇱパ

アイヌ工芸の伝承を進める場として開設されました。「匠の道」に立地しています。第一線で活躍する工芸家も創作活動に利用しているため、その技術を見ることができます。また、レーザー加工機といった最新の設備も導入され、アイヌ文様入りオリジナルタンブラーやマグボトルといった様々な体験プログラムを提供しています。残念ながら工芸家による創作を行うところは見ることはできませんでした。

平取町アイヌ文化情報センター

一角が工芸館になっており、作家たちが丹精込めて作った本物の「二風谷イタ」や「二風谷アットゥㇱ」で作られた作品、製品を購入することもできます。

チセ(アイヌの家)

広場には9棟のチセが建ち、アワンチセでは木彫(イタ)、イワンチセでは刺繍、トゥペサンチセでは編み物の実演を見ることができました。

沙流川歴史館裏、にぶたに湖の眺め

長い夏がようやく終わり、急に秋がきました。アイヌ語で「ニプタイ(木の生い茂るところ)という語源の通り、二風谷コタンの周りはみどりにつつまれ、沙流川が流れる。まさに「ゴールデンカムイ」の世界でした。

翌日、苫小牧から伊達紋別まで鉄道で1時間、タクシーで15分、藍染の里の藍師4代目篠原一寿さんを訪問しました。

藍染めの染料(蒅)の生産は徳島が最大の産地で二番目が北海道ですが、北海道の生産は篠原さん一人で行なっています。徳島は藍の栽培と蒅の生産は分業ですが、篠原さんのところは藍の栽培から蒅生産まで一貫して行なっています。

現在、藍畑は蒅用が約7ヘクタール、翌年の種用が約3ヘクタール。4月上旬にポットに種をまき、15cmほどの苗になるまでビニールハウスで栽培。5月下旬~6月上旬から苗を畑に移植する。50~70cmほどに成長したら、花が付かないうちに収穫。通常、8月に一番刈り、9月末~10月中旬に二番刈りを行う。天気次第だが、畑にそのまま4日ほど置き、自然乾燥させた葉を伊達では4カ月かけて熟成させて蒅を生産していく。蒅が完成するのは2月末、冷めてから脱穀機にかけて出荷できるのは3~4月だそうです。

自宅裏の種用の藍畑にご案内いただきました。

藍は肥料を食う作物で、徳島では江戸時代から吉野川の氾濫による肥沃な土壌で栽培されていました。当時は近海で取れるイワシを乾燥させ肥料として入れていたが、不漁により道産の鰊粕を求めるようになりました。農民たちにとって遠方からの肥料は高価過ぎたのでしょう。明治時代、徳島県人は広大な大地と安価な鰊粕を求めて北海道に移り住むようになったそうです。篠原家は明治28年ころに徳島から北海道に移住し藍栽培を行い、最盛期には160~180ヘクタールの耕作面積を誇っていました。やがてインド藍やドイツの人造藍の輸入などに押されて国産藍の価格は下落し全国的に藍の生産は衰退、戦後は農地解放で耕作地も減少、など様々な理由から一時は藍の栽培と蒅の生産を止めていたが、祖母のかめさんが将来のために守ってきた種で一寿さんが復活したそうです。

藍の花には徳島由来の「白花」と一寿さんが導入した「赤花」そしてそのハイブリッドの「ピンク」があるそうです。

種をいただきました。来年自宅で蒔いてみようと思います。

篠原家の周りには多様が植物が生えており、 帰りに栗と葡萄をいただきました。

篠原家を退出し道の駅「だて歴史の杜」で昼食をとり、鉄道で新千歳空港まで70分、航空機で羽田に戻りました。

動画版(5分28秒)

終わりに

昨年11月に徳島の藍染めの染料(蒅)の工房を見学した際に北海道の藍生産について伺い、次は北海道に行こうと思っていました。また北海道を舞台とする映画「ゴールデンカムイ」を見てアイヌについて興味が湧き、藍畑とアイヌコタンを巡る旅行を企画しました。

二風谷コタンは予想以上に素晴らしくアイヌ文化を学びゴールデンカムイの世界を体験できました。よくこれだけの施設を建築し維持しているものだと感服しました。

アイヌ衣装の制作実演で「土台となる布にアップリケ用の布をしつけをする」という制作方法がハワイアンキルトに似ていることに驚きました。よく見るとアップリケ用の布にパターンを描いてから土台となる布にしつけをして、模様となる部分を残しながら余分な部分は切り取り、アップリケをしていました。ハワイアンキルトはアップリケのパターンを切り上げてから土台布に広げ、しつけをして制作を進める点が異なっています。ハワイアンとアイヌ、南と北に遠く離れていますが、合い通じるものがあるとは興味深いものです。

藍篠原の篠原さん、見ず知らずの老夫婦の見学希望をお受けいただき、丁寧にご案内いただき誠にありがとうございます。一度絶えた藍と蒅の生産を再開し全国の藍染め産業を支えている真摯な姿勢に感服しました。健康に留意され今後もますますご活躍されることをお祈りします。

次は、奄美大島に大島紬と田中一村の描いた風景を見に行こうと計画しています。

 

 

 

 

英国周遊(スコットランド、バース、コッツウォルズ、オックスフォード)

今回の旅の主たる目的はオクスフォードのピットリバーズ博物館で開かれる故ジョンセラオ氏によるデザインをキルトとして完成した作品の特別展「Mauka to Makai Hawaiian Quilts and Ecology of the Islands」のオープニングセレモニーとレセプションに参加する事とエジンバラ近郊のLochcarron of Scotland社のタータン工場を見学することです。エジンバラとオックスフォードをベースに日程を広げ、前半はインヴァネスからスカイ島へ、後半はバースからコッツウォルズをめぐりオクスフォードへと向かいました。

今回もカタール航空を利用しました。ドーハ乗り換えでエジンバラに入り2泊、エジンバラ城と市内観光を楽しみエジンバラから鉄道でボーダー地方(スコットランドとイングランドの境界)にあるタータン工場見学に行きました。夕方、長距離バスでインバネスに移動して2泊、日帰りでハイランド地方の絶景スカイ島を観光しました。

旅の後半はインヴァネスから空路ブリストルに移動してバースに1泊、翌日から23日で蜂蜜色の家々を彩る薔薇や多種多様の花々の咲いた村々をゆっくり周り最終日オクスフォードに1泊しました。

成田からドーハ乗り換えでエジンバラへ

エジンバラ (Edinburgh)

エジンバラ空港からバスで市内へ、所用30分。終点は宿泊するOld Waverley Hotel の真横で自分たちで荷物を運んでチェックインするのは楽でした。ホテルはスコット記念塔の真正面でもあり、部屋の窓からエジンバラ城が見える絶好のロケーションでした

旧市街を散策しエジンバラ城の麓に賑わうグラースマーケットの老舗のパブで最初の夕食を楽しみました。

翌日、朝一番でエジンバラ城に行きました。オンラインで日本から予約していましたのでスムーズに入場できました。(終日予約でいっぱいでした)

エジンバラ城は街の中心の小高い丘の上に築城されエジンバラ市内を一望する難攻不落の城です。入り口から坂道が始まり登りながらお城の見学です。ちょうど戦没者慰霊の式典が行われておりスコットランド伝統の正装タータンのキルトを身に纏った儀仗兵を見ることができました。

エジンバラ城を出て、メインストリート「ロイヤル・マイル」を下りながら旧市街を観光、途中でバグパイプの街頭演奏を聴くことができました。

夕方、ホテルの前の公園をエジンバラ城の麓の噴水まで歩きエジンバラ城を真下から撮影しました。ちなみに暗くなるのは21時頃です。

動画版(3分44秒)

ボーダー地方 (The Scottish Borders)

翌日、エジンバラ駅から鉄道とタクシーでボーダー地方(スコットランドとイングランドの境界)のタータン工場とスコットランド王ロバート一世の心臓が埋葬されているメルローズ修道院に行ってきました。

タータン工場(Lochcarron of Scotland)

世界有数のタータンメーカーで、糸の染色から生地の織り、オーダーメイドの縫製まで一貫して行っています。最新鋭の自動織機で生産されていますが、検品は丁寧に厳しく手作業で行われているのが印象的でした。先日もチャールス国王がカミラ王妃を伴いタータン・キルトの正装で訪問されました。
工場に向かう道路は広く周囲は牧歌的で羊が飼われ羊毛原料を直近で得られるとの事、製品のスムーズな搬出はこの道路が大きな役割を担っているとのことでした。

メルローズ修道院

イングランドとの戦争により廃墟となっていますが、1136年創建のゴシック様式の修道院です。イングランド王国に対する独立戦争においてスコットランドを率いた、スコットランドの国民的英雄、スコットランド王ロバート1世の心臓が埋葬されています。

動画版(3分31秒)

夕方、長距離バスでインバネスへ移動しました。移動距離は180キロ(所用4時間)運賃は9ポンド(1800円)となぜか格安でした。鉄道の方が早く快適ですが大きな荷物を持っての移動にはバスの方が楽です(鉄道は荷物を置く場所が確保できるか乗るまで分かりませんが、バスは荷物室に確実に預かってくれます)

インバネス(Inverness)

インバネスはネス川の河口に位置するスコットランド北東部の海岸都市です。夕食はネス川にかかる歩行者専用の橋を渡ってシーフード・レストランに行きました。

翌日、定期観光バスに乗って日帰りスカイ島とアイリンドナン城観光に行きました。朝8時発、夜8時帰着の12時間観光です。バス会社からは、雨と強風が予想され、傘は役にたたないため、上下服と靴は防水仕様の装備が要求されました。

スカイ島 (Isle of Skye)

まず、ハイランド牛とのご対面です。スコットランドの在来種で絶滅危惧種の愛らしい牛です。

ネス湖沿いにしばらく走ると、1230年に築城された今では朽ち果てた古城アーカート城を見下ろす展望台に着きました。

次に、午前中のハイライト、スコットランドで一番美しいと言われているアイリンドナン城にゆき1時間の休憩です。

スカイブリッジを渡ってスカイ島に入り、まず第一の絶景、1820年代に建造された3つのアーチをもつ美しい石造りの橋スリガカン・オールド・ブリッジ、古い石造の橋と背景の山並みのコントラストが美しい!

次は、第二の絶景、港町ポートリーです。遅い昼食を兼ねた1時間の休憩をとりました。港の埠頭に建つ建物がピンク、ブルーとカラフルです。

午後はスカイ島らしい絶景が続きます。先ず、奇岩 Old Man of Storr

次は、Rigg Viewpoint、海の景色が素晴らしい。強風が吹くなかで羊が放し飼いされていました。

最後は、Kilt Rock and Mealt falls、タータンのキルトスカートのひだように断崖絶壁が続き、落差60メートルの滝が海に落ちる様は絶景です。

スカイ島から本土に戻り、帰り道は往路とは異なり鉄道の路線に沿ってインバネスまで戻りました。

動画版(3分36秒)

https://www.youtube.com/watch?v=9dqW1ztYPVI

翌日、空路で一気にブリストルに飛び、タクシーで英国唯一の温泉地バースに移動しました。

バース (Bath)

  • バースのホテルにチェックインして先ず世界遺産のローマ浴場博物館に行きました。25年ぶりの再訪です。外観は昔のままですが博物館の内部の展示は現代の技術を導入して当時の様子はこのようであったであろうと映像で示したり、通路の一部は透明な床になっており見学者の足元に当時の遺跡を見ることができました。

次に、大聖堂に入りました。

その後エイボン川に向かいました。バルトニー橋を挟んで両岸に立ち並ぶ建物と川面に飛び交うかもめやゆっくりと近づいてくる白鳥は旅びとの目を楽しませてくれます。

動画版(1分44秒)

カッスル・クーム(Castel Comb)

昼から2泊3日のコッツウォルズ観光を開始しました。先ず、英国一、最も古い街並みが保存されている村コンテストで何度も表彰されている村カッスル・クームです。

テトベリー (Tetbury)

アフターヌーンティーを楽しみました。3段トレーには①フィンガーサンドイッチ②2種類のスコーン(プレーンとレーズン入り)にクロテッドクリーム(脂肪分がバターと生クリームの中間の濃厚なクリーム)といちごジャム③プチケーキがセットされ、飲み物は紅茶またはコーヒーが選べます。一般的に午後2時から5時頃までの間で提供されます。かなりヘビーなので昼食を抜いておかないと食べ切れないかもしれません。室内のテーブルでも屋外で庭の植物を眺めながらでもゆっくり時間をとって楽しむのが良いと思いました。

スタントン (Stanton)

NGS(英国園芸協会)が年に1回開催するオープンガーデン(個人のイングリッシュガーデンを公開すること)がスタントンで開かれることを知り、日程を変更して訪問することにしました。

個人の庭にも通りにも至る所で色彩豊かな薔薇や多種の花々が咲いていました。数箇所の案内のポイントではお茶とケーキの接待も行われていました。村の人々が花を育てて来訪者にどうぞ見て楽しんで下さいという精神は本当に素晴らしいと思いました。

 

1泊目は「コッツウォルズのベネチア」として愛されるボートン・オン・ザ・ウオーターです。

ボートン・オン・ザ・ウオーター (Bourton-on-the-Water)

 

二日目の最初の村は「イングランドで最も美しい村」として名を馳せるバイブリーです。

この村を訪ねるのは3度目となりました。1度目は高校生だった娘と、2度目は児童文学作家の山下先生ご夫妻と訪ねた思い出があります。30年近く前になりますが風景は変わらず美しい村ですね

バイブリー (Bibury)

 

 

次に、ローワー・スローターに行きました。大型バスが入れないこともあり観光客が少ない静かた村です。この村では静かで観光化されていない佇まいを十分に楽しむことができました。清らかな水の川、水車、家々の花、地元のワンちゃんが散歩を楽しみ、乗馬の人たちもいます

ローワー・スローター (Lower Slaughter)

 

次は、ブロードウェー村より1マイル(1.6キロメートル)ほど南東の高台に位置するブロードウェイ・タワーに立ち寄りました。

ブロードウェイ・タワー (Broadway Tower)

次も、大型バスが入れない観光客が少ない静かな村スノーヒルです。小さな綺麗な村でした。やはり薔薇やたくさんの草花が家々の玄関口に咲き揃っていました

スノーヒル (Snowhill)

次に立ち寄ったのは「コッツウォルズの宝石」とうたわれるチッピング・カムデンです。昼食を兼ねてクリームティー(アフタヌーンティーからサンドイッチとケーキを除いたもの=スコーンと紅茶の軽食)をいただきました。ここも以前来たことがあります。村のランドマークとも言える古いマーケット跡があります。

チッピング・カムデン (Chipping Campden)

最後に、シェイクスピアゆかりの地ストラスフォード・アポン・エイボンに行き宿泊しました。
先ず、シェイクスピアの奥さんアン・ハサウェイの家、次にシェイクスピアの生家を見学しました。

ストラスフォード・アポン・エイボン (Stratford-upon-Avon)

アン・ハサウェイの家

シェイクスピアの生家

ストラスフォード・アポン・エイボン

動画版(6分51秒)

朝、最後の宿泊地オックスフォードへタクシーで移動しました。ホテルのご厚意で午前中にチェックインでき市内観光に出ることができました。

オックスフォード (Oxford)

午後、ピットリバーズ博物館で開かれたハワイアンキルト特別展のオープニングセレモニーに参列しました。その特別展に展示されたキルトは、ピットリバース博物館から依頼を受け故ジョンセラオ氏のデザインをポアカラニキルターが制作した作品です。

動画版(5分32秒)

おわりに

6月のスコットランド・スカイ島の気候(最高気温17度・最低気温9度)は、日本の白馬村の6月の気候(最高気温19度・最低気温11度)より寒いだけでなく、1日のうちで空模様は曇りのち晴れ、時々雨、さらに強風が吹き荒れる、という激しいものです。我々も上下防水使用の服を着用しました。短い夏(7月と8月)を除き1年の大半は寒く厳しい気候です。スコットランド人の荒々しい性格はあの厳しい気候によって育まれているのかと思い至りました。

ピットリバース博物館のハワイアンキルト特別展は大変素晴らしいものでした。今は亡きジョン・セラオ先生も奥様ポアカラ二と共にお喜びになっていると思います。今回の展示会を機会にハワイアンキルトが一層発展していくように祈っています。

Susie

徳島・京都

今回の旅行の目的は、徳島では大塚国際美術館や藍染工房と藍染めの染料「すくも」作りを見学すること、京都では美術館「えき」KYOTO の「芭蕉布 人間国宝平良敏子と喜如嘉の手仕事展」と相国寺の「若冲と応挙展」を見学することです。

羽田発9:45の便で富士山の真横を通過し徳島を目指しました。

徳島空港からバスで鳴門市の大塚国際美術館に行きました。

大塚国際美術館

古代壁画から世界26ヶ国190余の美術館が所蔵する西洋名画1000余点を原寸大で複製陶板化した世界初の陶版名画美術館です。地下三階地上二階延床面積30000平米の巨大な展示スペースにテーマ別に古代、中世、ルネサンス、バロック、近代、現代と作品が展示されておりじっくり見るには半日では無理丸一日必要です。

入口から長いエスカレーターを地下三階に登ると正面にシスティーナ礼拝堂です。ミケランジェロの天井画と壁画が素晴らしい。

地下二階に登り昼食をとりました。レストランの中心の円形の池には睡蓮が咲き、そのまた中心に野外展示された楕円形のモネの「大睡蓮」を楽しむことができました。


睡蓮が咲く池


昼食の海鮮丼

モネの「大睡蓮」

昼食後は世界の名画を思う存分に堪能することができました。世界各地の美術館で実物を見てきましたが、陶版による複製は実物と見まごう出来栄えで、再会したような喜びを感じました。またレオナルドダビンチの「最後の晩餐」は修復前と修復後が向かい合って展示されており、比較することで大変勉強になりました。

作品の一部を撮影しましたのでご覧ください。クリックで拡大表示、→で次の作品、←で前の作品、✖︎で終了です。

翌日、天然藍染料「すくも」の工場と藍染工房を見学しました。天然藍染めの染料は「タデ藍」「琉球藍」「インド藍」の三種類があり、日本古来の染料「タデ藍」の産地は徳島、北海道、青森、兵庫で徳島が江戸時代以来最大の生産地です。

佐藤阿波藍製造所

江戸時代から続く藍染めの天然染料「すくも」の伝統的な製造技術を受け継ぐ、国選定阿波藍製造無形文化財・国指定卓越技術者 現代の名工・19代藍師・佐藤昭人さんに工場をご案内いただき「すくも」の製造工程を見せていただきました。

「すくも」の原料となるタデアイは3月にタネをまき、7月から8月に刈り取り、葉を1センチほどに刻んで天日干し、9月のはじめから11月末までむろ内に1メートルほどに積み上げむしろで囲って発酵させます。むろに入ると発酵により発生したアンモニア臭が充満していました。作業のタイミングは昔ながらの方法で行われ、タネまきはつばめが飛んだ1週間後、むろでの発酵開始はイチョウの葉が色づいたら、発酵温度の管理は膝でさわった肌感覚でむしろの枚数を増やすそうで、なんとも長閑ですが伝統を感じさせる凄いお話でした。


タネをとるため花が咲いたタデアイ、「すくも」作り用には花の咲く前の葉の状態で刈り取ります


むろの中に二つ「すくも」の山ができている。一つの山には6000坪のタデアイ畑から採った葉が使われています


発酵により70度ほどの温度になっています


壁の柱に作業記録が書き込まれていました


佐藤夫妻と友人夫妻と共に記念撮影

本藍染矢野工場

代表の矢野藍秀さんにご案内いただきました。化学薬品を一切使用せず、佐藤昭人氏が製造する「すくも」を使用した「天然灰汁発酵建てによる本藍染」という江戸時代から伝わる伝統技法で藍染めを行っており、その作品は2013年 4月放送 NHK大河ドラマ「八重の桜」のオープニング映像に使用されています。

「藍染め」の種類
1)藍染め:化学染料使用のものも含む
2)本藍染め:は天然藍(タデ藍、琉球藍、インド藍)を使用したもので、藍建ての方式として苛性ソーダやハイドロサルファイトなどの化学薬品を使用する化学建ても含む
3)本建て(地獄建て)・正藍染め:タデ藍の『すくも」を使用し、灰汁のみで藍を建て、染液の維持に麩や貝灰以外を用いない

工房には16の藍がめが並び、かめの中には綺麗な「藍の華」が浮いていました。九州など他の藍染め工房では藍建てにあたり灰汁の他に発酵促進のためお酒が添加されていましたが、矢野さんは灰汁しか使わない古来の手法にこだわっています。それだけに化学染料や化学薬品を使用した化学建てによるものが「藍染め」として広く流通し「色落ち」など問題を起こしている現状に本来の「藍染め」が誤解されていると憂いておられました。


灰汁を加え


竹の棒で攪拌する


藍の華がさいています


九州宮崎の藍染め工房、こちらも佐藤さんの「すくも」を使用していますが、発酵促進のため日本酒を添加しています

無地染め、絞り染め、型染め、ローケツ染め、糸染めなどの技法を駆使し、絹、木綿、麻、木材、皮革などの天然素材であれば、全て染めることが可能だそうで、今回はコードバン(馬の尻皮)を染められていました。


コードバン(馬の尻皮)を何度も藍がめに入れていました


藍染めのグラデーションが美しい


矢野さんの藍染めのTシャツ、良い色合いですね

次に阿波の藍染めに使われる藍がめを制作している阿波大谷焼の窯元に行きました。

森陶器

国の有形文化財に登録されている日本最大級の登り窯をもつ大谷焼の窯元、藍染めの甕や水琴窟の甕などをはじめとする大きな甕を作る際、「寝ろくろ」(2人一組で1人が甕の成形し、1人が寝ころんで足で蹴りながらろくろを回す製法)という大谷焼独自の技法が使われることでも知られています。しかし、昭和20年代後半からは生活様式の変化に伴い、大甕の製造に加えて日用品などの小物を多く作るようになったそうです。登り窯を中心とする広大な敷地に大甕などが敷き詰めら壮観です。


登窯

その後、お遍路八十八ヶ所のスタート地点 一番札所・霊山寺にお参りしました。

昼食は地元で有名な活魚料理「びんび家」で美味しい魚をいただきました。


びんび」とは、徳島の言葉で「ピンピン跳ねる新鮮な魚」を意味しています


新鮮な魚料理と鳴門わかめたっぷりの味噌汁で大満足です

昼食後、鳴門の渦潮を見に行きました。


四国と淡路島を結ぶ大鳴門橋


大鳴門橋遊歩道「渦の道」全長450mを歩き展望台へ


高さ45メートルの展望台からの眺め。残念ながら渦は巻いていませんでした。

アオアヲナルトリゾートから高速バスに乗り京都へ


淡路島からの夕陽

京都

翌朝、京都駅に隣接する伊勢丹デパート内の美術館で「芭蕉布 人間国宝平良敏子と喜如嘉の手仕事展」を見ました。

芭蕉布は、沖縄本島の北部に位置する大宜味 (おおぎみ) 村の喜如嘉 (きじょか) を中心に作られるバナナの仲間である糸芭蕉 (イトバショウ) の繊維から糸を紡ぎ織られた布です。とんぼの羽のように透けるほど薄く軽いと評され、王族の衣服や士族の役人の制服として庶民の普段着や晴れ着として幅広く利用されてきた。また、琉球王朝から中国や江戸幕府への献上品としても使われました。

第二次世界大戦中・戦後にかけて衰退し消失の危機にありましたが、民藝運動家で染織家の外村吉之介氏に師事し、民藝や染織について学んだ平良敏子さんが沖縄の織物を守り育ててほしい」という声に応えて復興、「喜如嘉の芭蕉布」の名で国の重要無形文化財、経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されています。

糸芭蕉から繊維をとり糸を紡ぎ布を織るという途方も無い手間と織り上がった布の類まれな美しさに感嘆し京都にまで来た甲斐があったと思いました。


黄地 絽織 経縞


帯地「藍コーザー アササ」

相国寺

次に相国寺に行き「秋の特別拝観」と承天閣美術館の「若冲と応挙展」を見学しました。長蛇の列を覚悟して行ったのです意外にもがらがら、紅葉には少し早くもみじも緑ですがお庭が美しく、ゆっくり拝観できました。


法堂(ハットウ)我が国法堂建築の最古のもので、天井画「鳴き龍」画の下で手を叩くと堂内に大きく響きました


表方丈庭園、南側は白砂を敷き詰めただけの簡素な庭です

裏方丈庭園、北側は深山幽谷を表した枯山水の庭です

開山堂庭園、開山夢窓国師の木像を安置している堂で、その南庭は「龍渕水の庭」と呼ばれる石庭です

開山堂の入口に近い堂内の壁の片隅にとても可愛いい子犬の画があり和みました。


円山応挙筆 仔犬図 杉戸絵

次に承天閣美術館で「若冲と応挙’」展を見ました。

 

第1展示室:伊藤若冲が相国寺に寄進した「釈迦三尊像と動植綵絵」動植綵絵は複製(実物は宮内庁)ですが相国寺の法要で使用されているものです。若冲らしく細密で色鮮やかです。


釈迦三尊像


動植綵絵

第2展示室:伊藤若冲の水墨による障壁画と丸山応挙の代表作で重要文化財の「七難七福図巻」
「七難七福図巻」は三井寺裕常門主の依頼を受けて描いたもので、任王経にもとづき人の七難七福のありさまをイメージ化したものです。全三巻からなり、それぞれ天災、人災、福をテーマにしており、依頼者の祐常によって描かれた下絵、それを受けた応挙の画稿、そして完成した大作絵巻を比較して見ることができ大変勉強になりましたが、人災や天災の画は応挙の上品な作風からは想像できない壮絶かつ残酷な描写で、こんな応挙があるのかと驚きました。


伊藤若冲「鹿苑寺大書院旧障壁画 月夜芭蕉図床貼付」


丸山応挙 七難七福図巻 福寿巻(部分)


丸山応挙 七難七福図巻 天災巻(地震部分)

午後、京都駅から新幹線で東京に帰りました。

世界の染織り工房を回る旅の一環として、今回「藍染め」の染料「すくも」がどのように作られているのかを現地で見ることができ大変勉強になりました。すくも作りの佐藤さん、藍染めの矢野さん、懇切丁寧にご案内いただき誠にありがとうございました。

徳島では徳島市在住の友人夫妻のおかげで藍染工房だけではなく窯元や寺院さらに鳴門の渦潮までご案内いただき大変感謝しております。おかげさまで大変充実した旅行となりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

信州(駒ヶ根・岡谷・茅野)

今回の旅の目的は、長野県の駒ヶ根で伊那紬工房、岡谷で蚕絲博物館、茅野で諏訪大社上社(前宮&本宮)を訪問することです。

駒ヶ根

新宿から特急あずさ号で岡谷まで2時間、飯田線のローカル鉄道で1時間、駒ヶ根まで合計3時間半ほどかかりました。なお駒ヶ根は中央アルプスの玄関口で駒ヶ根ロープウェイで行ける千畳敷カールで有名です。

伊那紬の織元(久保田織染工業)

長野県は「蚕の国、絹の国」と呼ばれるほど、養蚕業・織物業が盛んでした。松本紬や上田紬が有名ですが総称して「信州紬」と呼ばれています。伊那地方の天竜川沿いでつくられる「伊那紬」は、そのうちのひとつ。かつては約120の工房が存在していたものの、現在唯一生産を続けているのは、明治43(1910)年創業の久保田織染工業のみ、いまでもその技術を受け継ぎ、糸づくりから手織りでの仕上げまでを、すべて自社内で行っています。この度は4代目となる久保田貴之専務に工房をご案内いただきました。

伊那紬は草木染による先染めが特徴で、信州らしく「りんご」「やまざくら」「しらかば」などの乾燥された木の皮が並んでいました。経糸(たていと)を自社生産しており、製糸工場から納められる綛(かせ)の状態の糸をボビンに巻く「糸繰り」、目的の太さにするために2本の糸を一緒に巻き取る作業を数回行う「合糸」、それに撚りをかける「撚糸(ねんし)」という工程を行う機械が並んでいました。ここまで自社で行う工房は見たことがありません。糸づくりにかける並々ならぬ思いを感じました。

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二階には高機が列び手織りの音がなりひびいていました。緯糸(よこいと)には岡谷の宮坂製糸所の紬糸(つむぎいと)が使われ、美しいグラデーションの織物が織られていました。

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最後に作品を拝見し、端切れを分けていただきました。良い生地をいただきましたので今後のクレイジーキルト作品つくりに活かしていきたいと思います。

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伊那市

駒ヶ根から電車で25分、伊那市に移動し駅前のホテルに泊まりました。伊那市は南アルプスと中央アルプスに挟まれた谷間の街です。夜は居酒屋で信州料理と地酒を堪能しました。

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岡谷蚕絲博物館

翌朝、岡谷に移動し岡谷蚕絲博物館を訪問しました。岡谷地方は、上田と共に、信州でも最も製糸業が栄えたところで、蚕絲博物館では、世界遺産の富岡製糸場で使われた最初のフランス式繰糸機(日本で唯一現存)や、明治時代に開発され全国に普及した国産の諏訪式繰糸機など貴重な3万点もの機械・絹製品・資料が展示されていました。石川県の牛首紬の工房で座繰繰糸機による繰糸を見てきましたが、条数を4条/6条/8条/多条と増やす工夫や、繭を茹でる工程の分業化、繊度自動感知器の発明により新しい繭の糸が自動で追加される自動繰糸機が開発され、生産性が飛躍的に向上した歴史をはじめて知りました。製糸に特化したこれほどの博物館は世界でも他に例をみないのではないかと思います。

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1936(昭和11)年に描かれた岡谷市街地の鳥瞰図、街じゅう製糸工場です

宮坂製糸所

次に博物館に併設された宮坂製糸所を見学しました。岡谷は近代製糸業発祥の地であり、明治から昭和初期にかけては日本の生糸生産量の三分の一を占めるほどの活況をみせ、重要な輸出産業として日本の近代化に果たした役割はきわめて大きなものがありました。しかし最盛期には300の製糸工場が立ち並び労働者が50000人もいましたが、製糸業の衰退により現在岡谷では宮坂製糸所のみとなってしまったようです。

宮坂製糸所は昭和3年に創業、伝統的な諏訪式と上州式の座繰繰糸機と最新式の自動繰糸機が列び伝統的な生糸の生産方式が系統的に残されている日本で唯一の製糸工場で、年間約1トンの生糸、織物で約千反分を生産しています。注文された糸の質(均一・紬・ソフトなど)と量(少量・大量)により伝統的な繰糸機と自動繰糸機を使い分け職員の配置を柔軟に変更しています。

諏訪式繰糸機で二人の女性が繭から糸をひいていました。茹でた繭10頭から糸を引き出し1本の糸にして巻き取る作業はいくら説明を受けても何をしているのか見分けられません。正に神業です。自動繰糸機も壮観です。茹でられた繭が小分けされてベルコンベアで流れてきて、10頭の繭から糸を引き出し1本の糸にまとめるのは手作業ですが、糸が足りなくなると自動的に感知して新しい繭を追加し、殻になった繭を排除する、という作業が自動なのです。すごい発明です。この機械がニッサン製でした。なんとニッサン製の繰糸機で紡いだ糸をトヨタ製の自動織機で織っていたのです。

多種多様な自動繰糸機(FR型小型自動繰糸、銀河シルク繰糸、極細生糸繰糸など)を見た後、高齢の男性からシルクを使った石鹸や繭の種類の説明を伺いました。実はこの方はなんと宮坂製糸所会長の宮坂照彦さんだったのです。大変丁寧なご説明をうけ感激いたしました。見学後、ファクトリーショップでお買い物。ここの商品も素晴らしいものでカラフルで魅力的な小物が沢山ありまいした。

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岡谷名物うなぎの昼食

浜松で生まれたうなぎの稚魚が、天竜川をのぼってきて、諏訪湖で育ったため、昔からうなぎを食べる文化があったそうです。岡谷のうなぎの特徴は①関東風で背開き②蒸さない③炭火で焼くです。大変美味しかったのですが、蒸さないのでやや油っぽく味も濃いため、人によっては好き嫌いがあると思います。

諏訪大社

諏訪大社は二社四宮からなり茅野に上社(前宮と本宮)下諏訪に下社(春宮と秋宮)があります。下社は以前お参りしたことがあるので今回は上社にお参りしました。

諏訪大社上社前宮

茅野駅から2.6キロタクシーで10分ほどの高台にあり豊富な水や日照が得られる良き地で、御祭神が最初に居を構えられ、諏訪信仰発祥の地と伝えられています。他の3宮と異なり規模も小さく簡素ですが四本の御柱を間近に見ることができ最も神秘的です。本殿の横を流れる小川「水眼(すいが)の清流」が神聖な気を宿しているように感じました。

 

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諏訪大社上社本宮

我国最古の神社の一つであり、全国一万有余の諏訪神社の総本社です。幣拝殿と片拝殿のみで本殿を持たない諏訪造りという独持の様式です。

 

前宮に比べると大変大きな宮で建物も多く立派です。北参道の石の鳥居をくぐって境内に入ると正面に一之御柱が見えます。手水舎で手を清め、順路に従い左まわりに雷電の像・神楽殿と歩くと二之御柱がありました。布橋門をくぐって布橋を歩くと神妙な気持ちになりました。参拝所への道が北参道から直進せず迂回して横から入るという変わったレイアウトでした。調べてみると御神体である社殿背後の山(守屋山)に向いているためとか、神仏混合時代の寺社の配置が明治の廃仏毀釈により変更されたためとか、の説がありました。四本の御柱を四方に建てる理由も定かではありません。地元の年配の方に聞いても分かりませんでした。しかし7年に一度、寅と申の年に行われる御柱祭には上・下の二社に別れそれぞれ数千人の氏子によって、八ヶ岳の麓から切り出された17メートルを超える大木を宮まで道路を封鎖し川を渡り人力で引き、宮の四隅に建てる神事は平安時代以来1200年も続き、氏子たちはこの時期になると「血が騒ぎ」危険も忘れ神木に乗らないではいられないそうです。

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タクシーで茅野駅に戻り特急あずさで帰路につきました。

おわりに

2020年に長野県の松本紬と上田紬、2021年に茨城県の結城紬、2022年に石川県白山の牛首紬の工房をめぐり、今回伊那紬の工房を見学することができました。紬は紬糸を使い手機で織ることから独特な風合いがあり日本の伝統文化を体現させた素晴らしい織物です。洋装化の進捗により和装が非日常化したため各地の染織工房も激減しています。その中で伝統を守りながら経営努力されている久保田織染工業さんに敬意を表します。いままで染と織りの工程を中心に見てきたため、その前段の糸の工程を今回詳しく見ることができ大変勉強になりました。岡谷蚕糸博物館の繰糸機コレクションと宮坂繰糸所の動態展示という素晴らしい組み合わせは世界に誇れるものだと思います。是非インバウンド観光の目玉の一つとして海外にプロモーションすべきだと思います。また染織関連グッズは海外みやげに最適だと思いました。

 

 

石川・新潟(金沢・白山・小千谷)

今回の旅の目的は、石川県金沢で加賀友禅、白山の山深い村(白峰と桑島)で牛首紬、新潟県小千谷で小千谷ちぢみ・片貝木綿・古代織の工房を訪ねることです。


大宮から北陸新幹線で金沢へ2時間8分


金沢駅(おもてなしドームと鼓門)世界で最も美しい駅14駅の1つに選出されています

加賀友禅(鶴見工房)

加賀友禅作家の鶴見晋史(つるみくにちか)さんに制作工程をご案内いただき作品を拝見しました。加賀友禅(株)鶴見染飾工芸

鶴見家は加賀友禅の創始者と言われる宮崎友禅斎が身を寄せた加賀藩御用である紺屋頭取「太郎田屋」の家督を三代に渡り務めた鶴見他吉郎さんを曽祖父とする由緒正しい家系で、実父の保次さんは日展会員で、石川県文化功労賞を表彰された金沢を代表する加賀友禅作家の1人です。

晋史さんは九州産業大学芸術学部美術学科を卒業後、東京友禅を学んだのち、実父である保次さんから加賀友禅を学び、現在は加賀友禅作家として活躍しています。伝統を守りつつ新しい表現にも挑戦し、加賀友禅の手法で織物絵画を制作し2019年改組新第六回日展にて特選を受賞しておられます。

動画:1分53秒

記念にテーブルランナーを購入させていただきました

その後、武家屋敷跡を散策し長町友禅館で加賀友禅の作品を拝見しました。

夜、加賀料理を頂き、金沢城のライトアップを楽しみました。

 

動画:37秒

翌日、金沢から50キロ離れた白峰と桑島に向かいました。

牛首紬

牛首紬は、平家の落人が白峰村に逃れ、村人に機織りを教えたのが始まりと伝えられます。ひとつの繭に2頭の蚕が入った特殊な繭「玉繭」から「座繰り」により手挽きした太くて節のある玉糸をよこ糸に使うため、織り上げた紬は独特の光沢があり、他の絹織物に比べて野趣にあふれ、素朴な味わいと優れた耐久性から長く人々に愛されており、国の伝統的工芸品にも認定されています。

牛首紬 織りの資料館 白山工房

和服の需要の低下や第二次世界大戦などの影響も受けて商業としての紬生産は一時途絶え、一部の職人によって伝統的な技術を保つだけとなりました。戦後まもなく大きな工場が廃業するという危機によってその技の継承は途絶えかけたため、地元で建設業を中心として事業展開を行っている西山産業が繊維部として事業を継承しています。

白山工房は生産工程の見学対応に力を入れており、展示や作業工程案内などが充実していました。ご案内いただいた西山幹人さんは、大学卒後、地元の大手繊維メーカーに就職し、織物製造の基礎技術を学び、2014年に家業である「株式会社 西山産業」に入社。繊維部に所属し、牛首紬の製造技術を学びながらその製造に従事。現在では営業業務にも携わり、牛首紬の認知拡大に向けて精力的な活動を行っていらしゃいます。

白山工房の牛首紬は、2割が糸を先染めして織り、8割は白生地に織ってから後染します。高機(たかばた)による手織りは一部で、大半は玉糸機(たまいとばた:玉糸に特化した機械織機)で織られています。

動画:3分14秒


記念に「ふくさ」を購入しました

白峰村

白峰村は、日本三名山のひとつ白山の麓、平年の積雪が2mを超える日本屈指の豪雪地帯で、稲作はほとんど行われず、江戸中期から養蚕が行われていました。白山麓天領18か村の大庄屋として天領行政の中心であったため、山村でありながら寺院や建物が密集して町場のような景観です。明治中期の紀行文で「製糸業が盛んで、警察分署、登記所、宿、料理店、雑貨店、飲食店、呉服店、芸鼓、消防の施設など様々な施設がある。」と記しています。

重要伝統的建造物物群保護地区の古民家食堂で昼食をとりました

昼食後、白峰村の隣村、桑島村の加藤工房を訪ねました

加藤手織牛首つむぎ

大正から昭和の初め、桑島集落内には工場3ヵ所、家内工業的に各家庭で生産していたものを合わせて織機台数80~100台を数え、牛首紬の生産が盛んでした。しかし太平洋戦争中食糧増産のため桑園は畑に転用され、牛首紬の原料となる原糸の製造は絶たれ、牛首紬の生産は不可能となってしまいました。しかし、加藤三治郎(加藤手織牛首つむぎ3代目当主)一家が、僅少の山桑による自家養蚕により原糸を生産、牛首紬の生産を継続し今日も伝統を守っています。

今回、5代目当主の加藤治さんに作業工程のご案内をいただき、奥様に商品のご紹介を頂きました。加藤工房の牛首紬は伝統を守り①玉繭から座繰りで引いた玉糸をよこ糸に②高機(たかばた)で手織りし③全て白生地で出荷する④仕入れた業者が後染めしてから完成品としてマーケットにでる。というビジネスモデルを行っています。

動画:3分5秒

白生地を少し分けていただき、名刺入れを記念にいただきました

 

金沢に戻り、新幹線と特急を上越妙高で乗継、長岡に移動です

富山周辺、車窓からの風景

片貝木綿(紺仁染織工房)

紺仁染織工房は、宝暦元年(1751 年)初代 松井仁助が藍染めの染物屋として創業、以来約270 年の老舗染物屋さんです。

昭和20年代、民藝運動の一環として日本各地を回る柳宗悦や白洲正子たち一行が片貝を訪れたおりに技術を生かした独自の織物を作ることを勧められ、柳悦孝氏(柳宗悦の甥)の指導により自然素材である綿をできる限り自然のまま生かし、太さの異なる3種類の糸を組み合わせて織った片貝木綿を生産するようになりました。

今回、十一代目当主の松井均さんに片貝木綿の生産工程だけではなく、染物の工程も合わせて大変詳しくご案内いただきました。

動画:10分33秒

記念に片貝木綿を少し分けていただきました。

小千谷(布ギャラリー水田)

新潟県小千谷市にて麻や縮など天然素材と伝統色にこだわった製品をIONOブランドにて製造・販売している会社です。小千谷ちぢみの用途を着物だけではなくインテリアなどの分野に広げる努力をされており、店舗にはモダンでおしゃれな商品がたくさん並んでいました。

今回、水田会長に小千谷ちぢみの後工程(織り上がった小千谷ちぢみを「湯もみ」して「しぼ」をだす作業)や文化財級のすばらしい作品を見せていただきました。

動画:7分8秒

記念に小千谷ちぢみのスカーフを購入しました

古代原始布織(織田工房

楮(こうぞ)の表皮から「こうぞ糸」を作る方法を開発し特許を取得したお父様の後を継いで楮紙布織(とうしふおり)を作り出した折田一仁さんの工房を訪ね、その技法と作品を拝見しました。

動画:7分14秒

長岡に戻り上越新幹線で帰路につきました

おわりに

今回6個所の染織工房を訪問させていただきました。見も知らぬ埼玉県の老夫婦を温かく迎え親切にご案内いただきました皆様に心より御礼申し上げます。

着物離れが進む厳しい経営環境の中で伝統を守りつつ新たなマーケットへの対応努力をつづける皆様の熱意と努力に心より敬意を表し、さらなるご発展をお祈りします。

スペイン(マドリッド、ラガルテラ、バレンシア、パルマ、ロルカ、ムルシア)

2年ぶりの海外旅行です。今回の旅行の目的は①LagarteraのCorpus Christi (聖体祭)で伝統的な刺繍を見ること②Valenciaの伝統的織物工房を訪問すること③Mallorca島の絣工房を訪問すること④Lorcaでセマナ・サンタ(聖週間)で使用される刺繍を見ることです。

1.成田からマドリッドへ

QR807 2355分出発便の搭乗手続きのカウンター周辺は混雑していますが出国手続きを済ませゲートに向かう途中の免税店は閉まり、歩いている人は同じ便に乗る人のみで旅のワクワク感を感じられない閑散とした雰囲気でした。今回はカタール航空を利用しましたので乗り継ぎのドーハまで12時間、トランジット3時間20分、マドリードまで7時間40分、合計23時間かかりました。しかしフルフラットシートのおかげで良く眠れて予想外に快適でした。

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2.マドリッド

スペイン入国は入国アプリSpTHを荷物ターンテーブルエリアに入る前にチェックする手続きが追加されたこと以外は以前のままで極めてスムースでした。空港からアトーチャ駅行きのバス(15ユーロ)に乗り、駅前のNHホテルにチェックインしました。空港行きバス乗り場から徒歩200メートルほどと大変便利です。部屋付きのルーフバルコニーで懐かしい景色をゆっくりと目にすることができました。徒歩10分ほどのレイナソフィア美術館(ゲルニカ所蔵)も見えます。少し休憩して夕食へ。駅の反対側にある海鮮レストランで早速スペイン料理を堪能しました。前菜は野菜のオーブン焼き、メインは海鮮盛り合わせの2種、ビールに白ワイン。2人で65ユーロ(約9000円)料理の量も丁度いい具合で大満足でした。

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3.マドリッドからオロペサへ

アトーチャ駅から在来線のセビリア行きに乗り2時間、オロペサへ向かいました。スペインの鉄道は出発のホームが決まるのがギリギリの時間になるので案内板に注意が必要です。(ハラハラ)特に大きな荷物がある場合は大変です。ホームが決まったらダッシュで予約した号車に向かわないと荷物置き場がいっぱいになり座席の頭上に持ち上げて棚に置かねばなりません。(ウエイトリフテイングですよ。)またヨーロッパの駅と列車の高さは段差がありますので大きな重いバッゲージを持っての乗り降りは注意が必要です。今回は二人で中サイズのスーツケース2個を使いました。ホテル9泊分です。できるだけコンパクトに荷造りしました。

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4.オロペサ

オロペサ駅からタクシーでパラドールまで5分ほど、オロペサの古城の館を改装した国営ホテルです。スペイン全国に90以上あるパラドールの中でも屈指の建物の美しさかと思います。広大な景観を一望できる高台に位置して内装、空間、色彩、調度品、絵画、そして目の前には古城とスペインの歴史書などの中から膨らむイメージを楽しむことができます。チェックインを済ませ隣接するオロペサ城に登ると360度視野の熱くドライなスペインの大地と村の渋いオレンジ色の屋根の甍、幾つもの教会の尖頭、スーっと伸びる糸杉、カジェ(通り)に沿ってバル(居酒屋)や店が並んでいる村の構成を見ることができます。

夕食は歩いて10分ほどの旧市街の広場に面したバル(居酒屋)のテラスです。スペインのレストランは早くても20時半頃からオープンと遅く、それより早めに食事をするのであればバルでとることになります。外国人観光客の姿は見えません。地元の人たちが家族で、仲間同士で、テーブルを囲んでいます。2人分の量を注文すると多すぎますので3品(前菜・サラダ・魚料理)をオーダーしシェアー、後はビールとワイン、それで十分でした。日没は21時頃ですから明るく野外のテラスが快適です。静かな素敵な村でした。

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5.ラガルテラ

オロペサから3.5キロ(車で5分)人口1400名ほどの小さな村です。スペイン刺繍の主要生産地で9軒の刺繍工房がありテーブルクロス、スカーフ、ショールなど実用的な刺繍商品を制作販売しています。

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6月の第4日曜日にCorpus Christというキリスト教の祭りがあります。各家々の正面入り口が代々家宝としている大切な刺繍布や貴重なチンツの布で飾られて、祭壇をしつらえます。11時頃から人が集まり始めてカジェ(通り)は人人人でごった返す賑わいとなりました。12時から始まる教会のミサに村人は民族衣装を着て参加し、その後祭壇で飾られた通りをパレードします。司祭は飾られた祭壇を一軒づつ祝福して回ります。

私たちは朝早めにホテルを出て10時過ぎに村に到着、各家庭の飾り付けの様子を見たり、博物館へ行ったり、まだ人数の少ない村の中を散策しました。民族衣装で身支度を整えた女性たちのなんと美しいこと。撮影の許可をお願いすると可愛らしくポーズを取ってくれました。パレードが終わると飾り付けはすぐに撤収されました。

刺繍されたクロスや小物を販売するお店で店主と話をしていると、店主が民族衣装を纏った知り合いの女性を店内に招き入れ衣装について説明してくれました。特にリボンについてはビックリです。おばあさんが絹の布に手で刺繍をして仕立てたものでした。スカートは5枚ほど重ねて着用してふっくらとした形を作っていました。飾り付けを撤収した後の家々の入り口からは石造の家屋をパティオ(中庭)を植物が彩り日常の姿を見せてくれました。

聖体祭(Corpus Chiristi)

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ラガルテラ博物館(Municipal Museum ‘Marcial Moreno Pascual’)

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6.オロペサからバレンシアへ

オロペサからマドリッド乗り換えでバレンシアに向かいます。

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7.バレンシア

バレンシアの街を観光しました。まずタクシーでセラノスの塔まで行き、歩いてサンタマリア大聖堂、ラロンハ・デ・ラ・セダ、中央市場と回り、夕食はサンセバスチャン流のタパス(ピンチョス)の店に入りました。一品どれでも2ユーロ、皿に残った楊枝の数でお勘定です。

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8.バレンシアの伝統織物工房

地下鉄に20分ほど乗りバレンシア郊外にある伝統織物エスポリン工房Garinを見学してきました。有名なバレンシアの火祭りのパレードで女性が身に纏う絢爛豪華な伝統衣装に使われる絹織物がエスポリンです。1820年創業のエスポリン工房Garinはヨーロッパに残る最古の織物工房と言われています。

工房に入ると100年以上前に作られた10台ほどの手織りの機械が並んでいました。横糸を通すシャトルをエスポリンと呼ぶことから生地の名になったそうです。生地を織りながら小さなシャトル=エスポリンに用意されたたくさんの色糸を織りあげる布の裏側を見ながら織り込むという非常に難しい技法です。

工房の建物が老朽化し最近は見学をお断りしているそうです。そうとも知らず予約なしで突然訪問してしまったため、最初は男性3人が出てきてダメですと断られドアは閉められました。私たちも諦めたところ、ドアが再び開き東洋人の老夫婦に同情して下さった様子で特別に入館を許可、大変丁寧に館内をご案内していただきました。織物の現場、染色された絹糸、デザイン室、大切なデザインの保管室、同じパターンでカラーアソートを変えたサンプル生地等々ここまで見せて下さるのかと感激しました。説明を受けながら時折私の拙いスペイン語でフランスのリオンでの経験などをポツリポツリと伝えるとあなたはそこまで興味を持っているのかと嬉しそうな笑顔を見せてくださり、エスポリン工房Garinについての本をプレゼントして下さいました。特別に入館を許可して下さったことと丁寧にご案内下さったことに心より感謝いたします。

写真と映像は最初はNGでしたが特別に撮影許可をしてくださいました。ありがとうございます。

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9.バレンシアからパルマ・デ・マジョルカへ

ホテルから空港までタクシーでいきました。このタクシーが電動自動車のテスラだったのです。トランクにスーツケース2個も普通に入り、乗り心地も普通で違和感はまったくありません。しかし運転席を見ると13インチほどの大型モニターがついています。驚いたことに自分の車の前と左右の車や人の状況がリアルタイムでデジタル表示されているのです。自動運転一歩前の世界を見る思いです。

パルマ・デ・マジョルカのホテルにチェックインした後、久しぶりに和食にしようとホテルから近い日本食レストランに行きました。綺麗で洒落た和モダンの内装です。スタッフは全員スペイン人、英語のメニューを見ても何を食べたら良いのか判断しにくい表示です。とりあえず最初にサーモン、次に天ぷら、おすすめのカツオのタタキを頼みました。天ぷらはカラリと揚がり和食として立派なものでした。サーモンと鰹は和食とは言い難いのですがそれぞれソースが良く合い美味しくいただきました。最後に握り鮨を3貫(サーモン、ホタテ、マグロ)頼みましたが、これもまた美味しく大満足です。パルマ・デ・マジョルカを訪れる日本人観光客は少ないはずですが和食レストランはビックリするくらいたくさんあり、和食がスペインの食文化の一部にしっかりと定着していることを実感しました。

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10.絣織り工房見学

インドを源流とする絣織は東南アジア諸国を巡って日本に伝わりましたが、パキスタンやウズベキスタンを巡りヨーロッパにも伝わりました。しかし20世紀半ばころまではヨーロッパ各地で織られていましたが現在ではスペインのマジョルカ島の二つの工房でしか織られていないそうです。今回マジョルカ島にきたのは絣伝播の西端を見るためでした(物好きですね)

Teixits Vicens社

バスで1時間、マジョルカ島の北端に近いポレンサに向かいました。バスの停留所の側に目的のお店の広いショールームがありました。残念ながら工房見学はできませんでした。ショールームにはおしゃれな絣商品が並んでいました。インテリア製品、バッグや小物、衣類、壁布 etc.,  提案方法も色別に幾つかのサンプルを並べ、さらにまだこれだけのカラーパレットを用意しているのでカスタムメイドができることをアピール。確かに絣柄なのですが日本の絣のイメージとは全く異なります。現代の生活空間に取り入れたくなるような色のトーンやパターンのサイズ、アレンジ・デコ方法の提案が一般家庭の生活の場にすんなりと収まるのだと再認識するお店訪問となりました。カーテン/ドレープやテーブルクロスなど日本の家庭で使用しても違和感などなくきっと素敵なお部屋になることでしょうというクールモダンの印象でした。

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Aresania Textil Bujosa社

次はバスと電車を乗り継いでサンタ・マリア・ダル・カミに向かいました。Bujosa社は1949年創業の3世代ファミリー企業で昔ながらの70cm幅の布を生産している唯一の工房です。

最初に工房を見せていただきました。古色愴然とした機械織り機が並び絣が織られていました。デザインはシンプルな幾何学模様と明るい色が特徴で、古代から島で使われてきたデザインを再編集したものだそうです。1925年までは天然染料(インディゴ、樹皮、コチニールなど)を使用していましたが現在では最高品質レベルの化学染料が導入され、あらゆる色に対応しています。工房見学を終えて店舗に戻ると絣織りの商品がたくさん並んでいました。バッグ一つを例に挙げると最近のトレンドを意識したデザインを取り入れています。布は欲しい分だけカットしてくれます。Teixits  Vicens社の商品に対してこちらは落ち着いた色合いで織りの風合いが手仕事の好きな人には馴染むかもしれません。デザインは再編成とのことですが細やかな美しい色合わせに優しさのある伝統を感じました。

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Bujosa社を訪問した後、近くのレストランで昼食をとりました。パエリアなどの米料理を専門とするお店でしたが、お米ではなく細かく折ったスパゲッティーを使ったシーフード・フィデワを頼みました。前菜のいわしの酢漬け共々、大変美味しくいただきました。

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11.パルマデマジョルカからロルカへ

早朝、パルマデマジョルカからアリカンテに飛び、バスでムルシア乗り換えロルカに移動しました。

12.ロルカ

ロルカはセマナ・サンタ(聖週間)の仮装パレードで有名な街です。今回訪問の目的はそのパレードで使用される精緻に刺繍された豪華絢爛な衣装を見るためです。京都の祇園祭のように地区ごとに山車や行列があり4つの地区同胞団の博物館がありそれぞれ衣装の展示があります。中でもMUBBLA. Museo de Bordados del Paso Blanco(白組)とMUSEO AZUL DE LA SEMANA SANTA. MASS(青組)の展示が素晴らしいとのことで訪問することにしましたが、開館時間がスペインらしく10:00-14:00と17:00-20:00となって14:00-17:00は休館します(シエスタですね)そこでこの時間を使ってロルカ城に登り城内のレストランで昼食をとりました。

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夕方、まずMUSEO AZUL DE LA SEMANA SANTA. MASS(青組)に行きました。この博物館は最大規模で4階建になっており4階には刺繍を実際に行う工房があり窓越しですが見学できます。4階から2階までの展示は過去の作品が展示され1階には現在使用している作品が展示されているようでした。

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次にMUBBLA. Museo de Bordados del Paso Blanco(白組)に行きました。
ここは1階のみの展示ですが見事な作品が並びます。特に奥の部屋は漆黒の闇に作品にスポットライトがあたるドラマチックな展示が神秘的でした。

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翌日、見残した二つの博物館にいきました。ネット情報では開いているはずなのですがどちらも閉まっていました。

The Museo de Bordados del Paso Encarnado(真紅組)インターホンで来訪を伝えると特別に開けてくださいました。展示だけでなく刺繍工房も見学することができました。刺繍をする皆さんはピンクの上下のユニフォームを着て作業に入ります。刺繍フレームには作業途中の金糸刺繍の作品がセットされていてデザインラインを描いた紙が糸で止められアルゴドン(コットン綿)を糸で包みながら立体的にしている場所、立体的になっている部分をオロ(金)糸で巻き込んでいる箇所、いろいろな制作過程が全部一つのフレームに見ることができます。複数の手による共同作業です。展示作品はあまり多くありません。シスター自ら刺繍のプロセスを説明してくださいました。大変嬉しく感激しました。

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博物館を見学した後、近くの喫茶店でスペイン名物チュロス・コン・チョコラテ(揚げドーナツの一種のチュロスをホットチョコレートに浸けて食べます)の二度目の朝食(スペインでは朝と11時ころの2回朝食をたべるのです)を楽しみました。隣の八百屋さんに今が旬(5月から6月)のカラコレス(カタツムリ)が売られていました。フランスのエスカルゴとは違いスペインでは茹でて食べます。そういえばモロッコのスーク(市場)でも茹でたカタツムリが露天で売られ女性が立ったまま食べていました。

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最後にThe “Nicolas Salzillo, Il Maestro” museum of the Paso Morado紫組)を訪問しました。インターホンで来訪を伝えると関係者の方が対応してくださったのですが閉館中とのことで残念ながら見学は叶いませんでした。

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13.ムルシア

バスで1時間半、ムルシアに移動しました。ムルシアは州都で人口42万人スペイン第7位の都市ですが、マドリッドに比べると車や人通りも少なく落ち着いた街です。夕方、街を散策し大聖堂やレアルカジノを見学しました。

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14.ムルシアからマドリッドへ

長距離バスでマドリッドへ約5時間の移動です。今回は日本帰国の為のPCR検査をマドリッド空港内のクリニックで受けるため、ムルシアからマドリッド空港行きのバスを利用しました。横1+2列で足下も広く快適です。マドリッドまで160キロのメセタ(高原地帯)を走行していると風車が林立しており多い所では一望数十基もありビックリしました。昔はドンキホーテの舞台となるカンポデクリプターナの風車が有名でしたが現代は高速道路に沿って金属の白い発電用風車になっているのです。調べてみると2019年現在スペインの電力の2割が風力発電でEU27カ国中6位なのだそうです。恐れ入りました。

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15.マドリッド

空港内クリニックでPCR検査を受けたあと、シャトルバスでアトーチャ駅へ向かい、前回と同じ駅前のNHホテルにチェックインしました。少し休んでからレイナソフィア美術館へ行きました。チケット売り場で65歳以上は無料になるのでパスポートなど年齢を証明するものを見せて欲しいと言われました。しかしパスポートはホテルのセーフティーボックスに置いてあり、今持っていないことを伝えると次回は持ってきてねと言って無料のチケットを発行してくれました。ご配慮に感謝です。早速ピカソのゲルニカやダリの作品を堪能させてもらいました。次はパスポートのコピーを携帯します。

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翌日はスペインの旅も最終日です。久しぶりにソル広場へ行くと大規模な工事中で広場はフェンスで覆われ熊さんの像も可哀想でした。しかし近くのマヨール広場は以前のまま、イメージのままでした。隣のメルカド(市場)はバル(居酒屋)街になっており、美味しい具材盛り盛りのタパス(つまみ)がケースにカウンターに山盛り並べられています。その場で好みのタパスを選んでお勘定をして飲み物も買ってメルカド内のテーブルで食べることができます。外観はイメージのまま、屋内は随分と綺麗なメルカドになっていました。しばらく裏路地を歩きオペラ座に出ました。路地も綺麗になっていてびっくりです。明るい時間は安心して歩けます。王宮からスペイン広場のドンキホーテの像まで歩いて、昔夫の会社のオフィスのあった建物に対面して思い出に浸ることが出来ました。ホテルに戻り荷物をピックアップして空港へ向かいます。

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16.マドリッドから成田へ

空港のチェックインにはパスポートの他に72時間以内に受けたPCR検査の陰性証明書が必要でしたが、書類が完備していたので問題なく搭乗手続きは完了しました。今回はカタール航空を利用したのでマドリードからドーハまで6時間40分、トランジット2時間、ドーハから成田まで10時間40分と結構時間がかかりましたがフルフラットシートでしたからよく眠れ快適でした。

成田空港での入国手続きも入国アプリMySOSの登録申請が完了してスマホの画面が青になっていれば極めてスムースで飛行機から降りて税関を通過するまで30分ほどでした。入国アプリの登録やPCR検査陰性証明書の取得などまだまだ面倒な手続きが必要ですが、それさえ済んでいれば今まで通りに海外旅行ができるようになったと思います。しかしスマホがないと海外旅行ができない時代になりましたね。

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おわりに

1993年から1995年6月まで3年ほど夫の仕事の関係でマドリッドで暮らしました。その後はなかなか来西する機会がなく今回のスペイン訪問は四半世紀ぶりということになります。2年前に友人たちとスペインの刺繍と染織りを訪ねる旅を計画しましたが新型コロナの世界的蔓延のため残念ながら中止となりました。ようやく新型コロナが収束に向かい旅行が可能となったことから思い切って夫との二人旅となりました。二人とも70歳を超え体力は以前とは同じではありません。無理をしないことを心がけ、午後2時から5時まではホテルで休むようにしました。まさしくスペイン流シエスタですね。ラガルテーラの聖体祭、バレンシアの伝統織物、マジョルカ島の絣織り、ロルカの刺繍とあまり有名ではなく情報も無い場所ばかりでした。なんとか目的を達成し、素敵な人々に出会いうことができ、美味しい食事も楽しみ、改めてスペインの魅力を満喫できた旅でした。

今回は移動が多く列車やバスを利用しました。事前にネットで予約ができ料金も割安でした。ホテルはBooking.comで全て予約できました。四つ星のホテル代が結構安く1泊ルームチャージ20000円以下のところが多かったです。食事はバルで済ませることで安くて美味しいスペイン料理が堪能できました。成田空港で両替しユーロを用意しました が 支払いはカードが一般的でした。しかしアトーチャ駅の有料トイレ前では1ユーロのコイン持たずにきた人たちが困っていましたので多少の現金(ユーロ)は必要です。

屋外や店内などでマスクをする人は20%ぐらいでしたが、乗り物内は着用が義務化されていて皆さん全員マスクを着用していました。大声でのおしゃべりもしていませんでした。

もう一つ:刺繍の道です。以前メキシコの刺繍の伝播に触れヴォーグ社発行のステッチデイに書かせていただきました。今回、教会のシスターさん達の刺繍する様子を拝見することが出来ました。中米メキシコへスペインが進出した頃、修道院のシスターたちもメキシコに渡りご当地の女性達に刺繍を伝えたのだと私の内の刺繍の道ストーリーにつながりました。

あと一つ:ハワイアンキルトを制作することも私の好きなことの一つです。マドリッド駐在時代の思い出の一つはご当地で暮らす日本人の方達とハワイアンキルトをしたことです。スペインで一生暮らすことを選択した方も、また一時的な駐在員の家族の方もいらしゃいました。2度目のハワイ駐在員生活が始まって間もなく人づてにスペインでハワイアンキルトを習ってきた人がマウイ島?ハワイ島?(すみません、記憶が曖昧です。今は。)にいるのよとのことでした。私のスペインのスタジオで楽しんでいた方がお友達に教えたらしいことがわかりました。人が移動すると色々なことが一緒に移動しますね。余談です。

最後までご覧いただきありがとうございました。

スージー 杉 20227月記

九州(久留米・都城・綾)

九州の染織工房を訪ねるため、福岡県の久留米、宮崎県の都城と綾に行ってきました。

久留米

久留米絣(くるめがすり)は、福岡県南部の久留米周辺で製造されている綿絣で、伊予絣(愛媛県)、備後絣(広島県)とともに日本三大絣の一つとされています。織物産業の衰退とともに伊予絣と備後絣はそれぞれ1〜2社となってしまいましたが、久留米絣は現在でも21社操業と健闘しています。今回はその内の11社が集中している八女郡広川町の工房を訪ねました。

藍染絣工房山村健(やまむら たけし)

高速道路の広川ICから車で10分ほどの住宅地にある正藍染め手織り工房です。山村健さんは重要無形文化財保持者会会員/日本伝統工芸会正会員で日本伝統工芸展に1999年以来連続的に入選され2009年にはNHK会長賞を受賞された染織家です。数軒の工房が操業しており織機の音が響いていました。山村健さんに工房をご案内いただき、居間で作品を拝見させていただきました。天然藍染と手織りの伝統工法にこだわりながら絣によるグラデーション表現という新しい技法に挑戦され「Yamamura Blue」というブランドを確立されています。

丁度ご子息が藍染めの最中でした。柄を括られた糸(絣糸)を藍甕につけ、絞り、叩きつける、という作業を力強く続けられていました。希望の色になるまで30回以上も染めを繰り返す大変な仕事です。

居間に通していただきました。3月ということで雛飾りがしてあり華やかでした。藍染の着物・反物・袋物などが整然と並ぶ美しいお部屋です。山村健さんと奥様から多彩な作品を見せていただきました。ほとんどの久留米絣が経糸絣か、緯糸絣で、一方は無地で、模様は、横糸か縦糸のどちらか一方でつくりますが、山村さんの久留米絣は、経緯絣(ダブルイカット)といって、経糸と緯糸、二つの模様を合わせて織る極めて高度で精緻なものです。また伝統的な絣柄(紺地に白抜きの絣文様)だけではなくグラデーションを表現した現代的な大作など山村さんの独創的な作品群に感服しました。

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野村織物

山村工房から車で5分ほど広川の中心街にある機械織り工房です。
創業明治31年今年で125周年の老舗です。業界内では外注がほとんどの「染め(染色)」を自社で行う色づくりには定評があり、毎年新たに50~80の新色・新柄を発表しています。

四代目ご当主の若奥様に工房をご案内いただきました。まず倉庫の2階で製品を拝見しました。反物ではなく直径50センチほどのロール状の織物が並んだでいました。中でも伝統的な紺色ではない赤や黄色などのカラフルなものが新鮮でした。

1階は染色場です。山村工房の藍瓶が並ぶ天然藍染めと異なり反応染料による機械染めです。染め上がった絣糸と一緒にほぐした括り糸が再利用のため保存してありました。庭には染色前のくくった糸が糊付けされて干してありました。

隣の建物に入ると入り口で経割(柄合わせ)と経はえ(整経/せいけい)が行われ、奥には数十台のシャトル式機械織機が稼働していました。手織りは緯糸(よこいと)をシャトル(杼)で通し柄を合せながら一段づつ織りますが、機械織りは自動で連続的に行います。このため緯糸(よこいと)をトングとよばれる板状の木管に巻く作業をヌキ巻き台で行うところを初めて見ました。この作業で織るときの目印となる「耳」ができ機械織機でも柄をあわせることができるのです。

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都城

久留米から新幹線で新八代駅、高速バスに乗り換えて都城北、路線バスで都城に到着しました。

東郷織物工房

奄美大島生まれで祖父が大島紬の締機(しめばた)の発明者と言う一家で育った永江明夫氏(現代の名工に認定されています)によって生み出された綿のダイヤモンドと呼ばれる綿薩摩(薩摩絣)や大島紬・夏大島を生産する工房です。

都城駅からタクシーで5分ほどの本社を訪問すると社長夫人の谷口啓子さんにお出迎えいただき織物について詳しくお話をお聞きすることができました。まず代表的な製品である綿薩摩(薩摩絣)を見せていただき、商標になっている武者小路実篤の色紙(薩摩絣  手織絣  誠実無比  実篤)の掛軸も拝見しました。その後は次々と各種の織物見本や製品をご紹介いただきました。大島紬は一般的に絹ですが東郷織物はあえて技術的に困難な綿に挑戦しており、奄美大島では分業化されているデザイン・括り・染色・織りを自社で一貫して行っています。谷口さんは今年で77歳になられますがデザイナーとプロデューサーを兼ねられる大変精力的で方で織物に対する熱い思いに圧倒されました。

次に車で都城駅とは反対側の高台にある工房・ギャラリーにご案内いただきました。工房には20ほどの高機が列び絣が織られていました。高機に張られた経糸を見ると極めて細かく括られ先染めされていることが分かります。織子さんが緯糸を通すたびに一本づつ柄合わせをしているのが印象的でした。

隣接するギャラリーは銀座のショールームと言っても言い過ぎではない立派なもので、綿薩摩・大島紬・夏大島の着物や反物などが整然と展示され多様な作品を鑑賞できました。またショップが併設されていて洋服・スカーフ・ネクタイ・ハギレなどお土産に好適な商品が並んでいました。

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宮崎駅から西に25キロ、タクシーで30分ほど内陸に入ったユネスコエコパークに認定された自然豊かな町です。

綾の手紬染織工房

第3回三井ゴールデン匠賞グランプリを受賞された”現代の名工”秋山眞和氏が意匠監修する染織工房です。①桑栽培②養蚕(小石丸) ③ 天然染め(古法藍染め/大和貝紫染め )④織り(花織 / 絣織)と一貫した生産をおこなっています。

綾北川を渡り工房に着くと、お嬢様にお出迎えいただき、工房をご案内いただきました。藍染め場は今まで見た中では最大規模で40もの藍甕が列び生産量の多さがうかがわれました。隣は糸取り場で繭から絹糸を取る設備がならんでいました。庭には藍の元となるタデ(蓼)が栽培されていました。展示場に入るとショールーム・ショップがあり皇居で皇后陛下が育てておられる日本古来の在来希少繭(小石丸)や幻の貝紫染色による織物などを見ることができました。その奥が工房になっており、絣織りや花織りが織られていました。

ショールームでは奥様から色々なお話をうかがうことができました。私がキルターだと知ると藍染めの生地で作ったパッチワークキルトの上着まで見せていただき感激しました。

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あとがき

日本における絣伝播の道を訪ねる上で絣の三大産地の一つである久留米は是非行きたいところでした。今回、手織りと機械織りの工房を見学することができましたが、機械織りは①糸を括り先染めした絣糸を使用する②杼で緯糸を通すシャットル織機を使用する、という二点は一緒ですが手織りとは全く異なるものだと感じました。しかし非常に手間がかかり高価格で高級品の「手織り」と生産性が高くリーズナブルな価格で多様なニーズに対応できる普及品の「機械織り」はお互いに補完しあうことで、伊予絣と備後絣が衰退したのに反し、久留米絣が存続しているのだということが分かりました。

都城の染織は奄美大島、綾の染織は沖縄由来でした。太平洋戦争の激化により染織工場が鹿児島や宮崎に疎開し、戦後の混乱の中戻ることができずに宮崎に定着しました。その後宮崎の地域性を生かした商品開発を行い、東郷織物は綿薩摩、綾の手紬は貝紫染色・大和紫貝染や小石丸繭を完成しブランド化に成功したのです。

今回、どちらの工房でも、埼玉の田舎から来た面識もない老夫婦を暖かく出迎え、懇切丁寧に対応していただき誠にありがたく感謝に耐えません。伝統的な織物産業は着物文化の衰退により大変厳しい状況にありますが、皆さんの染織への情熱とご努力を見て、世界最高のレベルに進化した日本の染織は今後も発展していくと確信いたしました。

帰宅した翌週(4/2)、山村健さんがTBSの夜の番組「「和心百景」(21:54-22:00)という番組で紹介されました。私たちがお会し拝見した藍染や久留米絣に再会し良いご縁をいただいたと嬉しくなりました。この後も4月7/9/14/16/21と地上波やBSで放送されるそうですので是非ご覧ください。

動画版もよろしければ御覧ください(12分)

栃木・茨城(馬頭温泉と結城紬)

栃木県の馬頭温泉に泊まり紅葉と夕日を楽しみ温泉で養殖したトラフグのコースを堪能し、翌日は以前から行きたった茨城県結城市で結城紬を見学してきました。

馬頭温泉は宇都宮から普通電車で二駅先の氏家から車で30分ほど東に走った那珂川のほとりの温泉郷です。付近にゴルフ場が多いことからゴルファーの方には知られているようですが観光地としてはあまり有名ではありません。アルカリ単純泉とナトリウム塩化物泉の2種類の源泉があり、ナトリウム塩化物泉(塩分濃度1.2%、海水3.6%の1/3程度で生理食塩水0.9%に近い)を利用してトラフグの養殖をしていました。
http://www.ganso-onsentorahugu.com/

氏家で昼食をとりタクシーで馬頭温泉まで行き付近の観光をしました。

いわむらかずお絵本の丘美術館

14ひきのねずみシリーズで有名な絵本作家のいわむらかずお先生の美術館です。入館すると最初の展示室にシリーズの代表作の「ねずみのでんしゃ」の拡大版が置かれていました。この作品は横須賀市長沢に住んでいたころご近所付き合いをしていた児童文学の山下明生先生といわむらかずお先生が我が家やご近所の子どもたちをモデルにねずみの子供の物語として合作されたものです。展示された絵本や原画を見ながら今では40代になった子供たちに絵本を読み聞かせていた若かりし日々が思い出されました。

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乾徳寺

室町時代に開基された曹洞宗の禅寺です。山門は武茂城の表門を移築したもので県指定文化財に指定されています。
紅葉が真っ盛りで建物や石仏などに映えて美しいお寺でした。

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馬頭院

1217年に創建された古刹、水戸光圀により十万石の格式を授与され朱印寺となった格式のあるお寺です。境内にはたくさんのサクラ、ツバキ、ボタン、ツツジ、モミジなどの花木が多く「花の寺」としても親しまれています。

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鷲子山上神社(とりのこさんじょうじんじゃ)

県境が大鳥居の中央、並びに奥の御本殿の中央を通るという全国でも珍しい神社です。御祭神は、天日鷲命(アメノヒワシノミコト)といわれる鳥の神様で、古い時代よりフクロウが大神様の御使い・幸福を呼ぶ神鳥として崇敬され「フクロウの神社」と呼ばれています。多くのフクロウ像があり、運気上昇・金運の福徳・
パワースポットとして、全国より多くの方々が来山されているそうです。

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馬頭温泉 南平台温泉ホテル

那珂川を見下ろす丘の上のホテルです。アルカリ度の高いヌルヌル透明の湯と那須連山から日光連山を見る夕日が美しい宿でした。温泉で養殖したトラフグのコース料理をいただきました。玄界灘の荒海で育ったものと比較すると身のしまりが今ひとつですが美味しくいただきました。

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二日目

宿の送迎バスで氏家にでて小山を経由して結城に行きました。駅前の結城市観光物産センターに立ち寄り結城紬の工房を見学できないかを相談したところ、工房は無理でしたが結城市伝統工芸館を紹介していただきました。

結城紬(ゆうきつむぎ)

日本三大紬(大島・結城・牛首)の一つに挙げられ、①蚕の繭をゆでて糸をとる通常の方法ではなく繭から袋状の真綿(まわた)を作りそれから手作業で糸を紡ぎ②手作業で糸をくくって絣模様を先染めし③地機(じばた)という原始的な織り機で織るという3工程が国重要無形文化財に指定されユネスコ無形文化財に登録されています。
https://story.nakagawa-masashichi.jp/craft_post/119997

結城市伝統工芸館

茨城県本場結城紬織物協同組合の小島理事長から結城紬の制作工程を詳しく解説していただき、天皇陛下の前で機織りの実演をされた技術保持者の野村さんから地機による機織りを見せていただきました。

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つむぎの館

結城紬はそれぞれの工程が分業化され結城市内に10軒ほどある問屋(縞屋と呼ばれる)が生産をコーディネート(真綿の仕入れ、糸取り・糸染・機織り業者の発注)しマーケティング(販売)を行う体制になっています。結城市伝統工芸館を見学したあと結城市内に戻り問屋の一つ「奥順」を訪問しました。博物館・工房・展示場を総合した「つむぎの館」という施設を運営しており結城紬の歴史、制作工程や多彩な織物を見ることができます。
http://www.yukitumugi.co.jp/about/

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結城市観光物産館センターで購入した結城紬のスカーフ

あとがき(結城で学んだこと)

1.紬(つむぎ)はつむぎ糸を使用した絹織物ですが、本来つむぎ糸は繭から直接糸がとれない欠陥のある繭(玉繭)から作る真綿(まわた)から手作業でよりをかけずに糸をつむいだものです。しかし現在ではその風合いの良さから玉繭に限らず正常な繭からも敢えて手間のかかる方法で作られています。

2.結城紬で使用する真綿は福島県伊達市保原の「入金真綿」が使用されています。
http://www.honmono-yukitsumugi.jp/entry/64

3.「糸つむぎ」「絣くくり」「地機織り」という3工程は分業化されており、結城市内に10軒ほどある問屋(縞屋と呼ばれる)が全体の生産をコーディネート(真綿の仕入れ、糸取り・糸染・機織り担当の業者への発注)し販売(マーケティング)を行っています(本場結城紬卸商協同組合

4.製品は問屋ブランドとして販売され製作者の氏名は基本的に表にでません。したがって製作者(作家)に会いたい場合は問屋を通さないと実現しないことが分かりました。今回は幸いにも結城市伝統工芸館にて生産者である茨城県本場結城紬織物協同組合の小島理事長と技術保持者の野村さんにお会いでき直接お話を伺えて幸いでした。ご紹介いただいた結城市観光物産センターの栗原さんに心より感謝いたします。

5.今回は平日(木)の訪問でしたが駅前をはじめ市内のほとんどの店が閉まり人通りもなく閑散としていました。新型コロナによる観光客減少や木曜定休日の店が多いという事情を勘案しても寂しい限りでした。結城に行くなら土日が良いようです。

動画版(9分)もご覧ください