信州(駒ヶ根・岡谷・茅野)

今回の旅の目的は、長野県の駒ヶ根で伊那紬工房、岡谷で蚕絲博物館、茅野で諏訪大社上社(前宮&本宮)を訪問することです。

駒ヶ根

新宿から特急あずさ号で岡谷まで2時間、飯田線のローカル鉄道で1時間、駒ヶ根まで合計3時間半ほどかかりました。なお駒ヶ根は中央アルプスの玄関口で駒ヶ根ロープウェイで行ける千畳敷カールで有名です。

伊那紬の織元(久保田織染工業)

長野県は「蚕の国、絹の国」と呼ばれるほど、養蚕業・織物業が盛んでした。松本紬や上田紬が有名ですが総称して「信州紬」と呼ばれています。伊那地方の天竜川沿いでつくられる「伊那紬」は、そのうちのひとつ。かつては約120の工房が存在していたものの、現在唯一生産を続けているのは、明治43(1910)年創業の久保田織染工業のみ、いまでもその技術を受け継ぎ、糸づくりから手織りでの仕上げまでを、すべて自社内で行っています。この度は4代目となる久保田貴之専務に工房をご案内いただきました。

伊那紬は草木染による先染めが特徴で、信州らしく「りんご」「やまざくら」「しらかば」などの乾燥された木の皮が並んでいました。経糸(たていと)を自社生産しており、製糸工場から納められる綛(かせ)の状態の糸をボビンに巻く「糸繰り」、目的の太さにするために2本の糸を一緒に巻き取る作業を数回行う「合糸」、それに撚りをかける「撚糸(ねんし)」という工程を行う機械が並んでいました。ここまで自社で行う工房は見たことがありません。糸づくりにかける並々ならぬ思いを感じました。

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二階には高機が列び手織りの音がなりひびいていました。緯糸(よこいと)には岡谷の宮坂製糸所の紬糸(つむぎいと)が使われ、美しいグラデーションの織物が織られていました。

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最後に作品を拝見し、端切れを分けていただきました。良い生地をいただきましたので今後のクレイジーキルト作品つくりに活かしていきたいと思います。

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伊那市

駒ヶ根から電車で25分、伊那市に移動し駅前のホテルに泊まりました。伊那市は南アルプスと中央アルプスに挟まれた谷間の街です。夜は居酒屋で信州料理と地酒を堪能しました。

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岡谷蚕絲博物館

翌朝、岡谷に移動し岡谷蚕絲博物館を訪問しました。岡谷地方は、上田と共に、信州でも最も製糸業が栄えたところで、蚕絲博物館では、世界遺産の富岡製糸場で使われた最初のフランス式繰糸機(日本で唯一現存)や、明治時代に開発され全国に普及した国産の諏訪式繰糸機など貴重な3万点もの機械・絹製品・資料が展示されていました。石川県の牛首紬の工房で座繰繰糸機による繰糸を見てきましたが、条数を4条/6条/8条/多条と増やす工夫や、繭を茹でる工程の分業化、繊度自動感知器の発明により新しい繭の糸が自動で追加される自動繰糸機が開発され、生産性が飛躍的に向上した歴史をはじめて知りました。製糸に特化したこれほどの博物館は世界でも他に例をみないのではないかと思います。

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1936(昭和11)年に描かれた岡谷市街地の鳥瞰図、街じゅう製糸工場です

宮坂製糸所

次に博物館に併設された宮坂製糸所を見学しました。岡谷は近代製糸業発祥の地であり、明治から昭和初期にかけては日本の生糸生産量の三分の一を占めるほどの活況をみせ、重要な輸出産業として日本の近代化に果たした役割はきわめて大きなものがありました。しかし最盛期には300の製糸工場が立ち並び労働者が50000人もいましたが、製糸業の衰退により現在岡谷では宮坂製糸所のみとなってしまったようです。

宮坂製糸所は昭和3年に創業、伝統的な諏訪式と上州式の座繰繰糸機と最新式の自動繰糸機が列び伝統的な生糸の生産方式が系統的に残されている日本で唯一の製糸工場で、年間約1トンの生糸、織物で約千反分を生産しています。注文された糸の質(均一・紬・ソフトなど)と量(少量・大量)により伝統的な繰糸機と自動繰糸機を使い分け職員の配置を柔軟に変更しています。

諏訪式繰糸機で二人の女性が繭から糸をひいていました。茹でた繭10頭から糸を引き出し1本の糸にして巻き取る作業はいくら説明を受けても何をしているのか見分けられません。正に神業です。自動繰糸機も壮観です。茹でられた繭が小分けされてベルコンベアで流れてきて、10頭の繭から糸を引き出し1本の糸にまとめるのは手作業ですが、糸が足りなくなると自動的に感知して新しい繭を追加し、殻になった繭を排除する、という作業が自動なのです。すごい発明です。この機械がニッサン製でした。なんとニッサン製の繰糸機で紡いだ糸をトヨタ製の自動織機で織っていたのです。

多種多様な自動繰糸機(FR型小型自動繰糸、銀河シルク繰糸、極細生糸繰糸など)を見た後、高齢の男性からシルクを使った石鹸や繭の種類の説明を伺いました。実はこの方はなんと宮坂製糸所会長の宮坂照彦さんだったのです。大変丁寧なご説明をうけ感激いたしました。見学後、ファクトリーショップでお買い物。ここの商品も素晴らしいものでカラフルで魅力的な小物が沢山ありまいした。

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岡谷名物うなぎの昼食

浜松で生まれたうなぎの稚魚が、天竜川をのぼってきて、諏訪湖で育ったため、昔からうなぎを食べる文化があったそうです。岡谷のうなぎの特徴は①関東風で背開き②蒸さない③炭火で焼くです。大変美味しかったのですが、蒸さないのでやや油っぽく味も濃いため、人によっては好き嫌いがあると思います。

諏訪大社

諏訪大社は二社四宮からなり茅野に上社(前宮と本宮)下諏訪に下社(春宮と秋宮)があります。下社は以前お参りしたことがあるので今回は上社にお参りしました。

諏訪大社上社前宮

茅野駅から2.6キロタクシーで10分ほどの高台にあり豊富な水や日照が得られる良き地で、御祭神が最初に居を構えられ、諏訪信仰発祥の地と伝えられています。他の3宮と異なり規模も小さく簡素ですが四本の御柱を間近に見ることができ最も神秘的です。本殿の横を流れる小川「水眼(すいが)の清流」が神聖な気を宿しているように感じました。

 

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諏訪大社上社本宮

我国最古の神社の一つであり、全国一万有余の諏訪神社の総本社です。幣拝殿と片拝殿のみで本殿を持たない諏訪造りという独持の様式です。

 

前宮に比べると大変大きな宮で建物も多く立派です。北参道の石の鳥居をくぐって境内に入ると正面に一之御柱が見えます。手水舎で手を清め、順路に従い左まわりに雷電の像・神楽殿と歩くと二之御柱がありました。布橋門をくぐって布橋を歩くと神妙な気持ちになりました。参拝所への道が北参道から直進せず迂回して横から入るという変わったレイアウトでした。調べてみると御神体である社殿背後の山(守屋山)に向いているためとか、神仏混合時代の寺社の配置が明治の廃仏毀釈により変更されたためとか、の説がありました。四本の御柱を四方に建てる理由も定かではありません。地元の年配の方に聞いても分かりませんでした。しかし7年に一度、寅と申の年に行われる御柱祭には上・下の二社に別れそれぞれ数千人の氏子によって、八ヶ岳の麓から切り出された17メートルを超える大木を宮まで道路を封鎖し川を渡り人力で引き、宮の四隅に建てる神事は平安時代以来1200年も続き、氏子たちはこの時期になると「血が騒ぎ」危険も忘れ神木に乗らないではいられないそうです。

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タクシーで茅野駅に戻り特急あずさで帰路につきました。

おわりに

2020年に長野県の松本紬と上田紬、2021年に茨城県の結城紬、2022年に石川県白山の牛首紬の工房をめぐり、今回伊那紬の工房を見学することができました。紬は紬糸を使い手機で織ることから独特な風合いがあり日本の伝統文化を体現させた素晴らしい織物です。洋装化の進捗により和装が非日常化したため各地の染織工房も激減しています。その中で伝統を守りながら経営努力されている久保田織染工業さんに敬意を表します。いままで染と織りの工程を中心に見てきたため、その前段の糸の工程を今回詳しく見ることができ大変勉強になりました。岡谷蚕糸博物館の繰糸機コレクションと宮坂繰糸所の動態展示という素晴らしい組み合わせは世界に誇れるものだと思います。是非インバウンド観光の目玉の一つとして海外にプロモーションすべきだと思います。また染織関連グッズは海外みやげに最適だと思いました。

 

 

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