見沼代用水沿のさくら満開

我が家から歩いて10分ほどの見沼代用水沿へ花見に行ってきました。

JR川口駅東口からバスで20分のグリーンセンターバス停から徒歩1分、地下鉄埼玉高速鉄道新井宿駅から徒歩15分、都心から決して遠くないのですが知名度が低くいため地元の人しか来ない隠れた「サクラの名所」です。根岸橋から浦寺橋(緑のヘルシーロード終点)まで600メートルほどの遊歩道をのんびり往復します。露天や提灯もなくシートを敷いて宴会をする人もいません。

始点の根岸橋


こども連れ、ワンちゃん連れ、お年寄りなど、地元の人がのんびりお花見散歩です。


終点の浦寺橋(緑のヘルシーロード終点)

詳しくは動画をご覧ください(4分半)

曇り日がつづき今年は満開のサクラを青空の下で見ることができないかと思っていましたが、幸い天気予報が外れ快晴のお花見日和になりました。

栃木・茨城(馬頭温泉と結城紬)

栃木県の馬頭温泉に泊まり紅葉と夕日を楽しみ温泉で養殖したトラフグのコースを堪能し、翌日は以前から行きたった茨城県結城市で結城紬を見学してきました。

馬頭温泉は宇都宮から普通電車で二駅先の氏家から車で30分ほど東に走った那珂川のほとりの温泉郷です。付近にゴルフ場が多いことからゴルファーの方には知られているようですが観光地としてはあまり有名ではありません。アルカリ単純泉とナトリウム塩化物泉の2種類の源泉があり、ナトリウム塩化物泉(塩分濃度1.2%、海水3.6%の1/3程度で生理食塩水0.9%に近い)を利用してトラフグの養殖をしていました。
http://www.ganso-onsentorahugu.com/

氏家で昼食をとりタクシーで馬頭温泉まで行き付近の観光をしました。

いわむらかずお絵本の丘美術館

14ひきのねずみシリーズで有名な絵本作家のいわむらかずお先生の美術館です。入館すると最初の展示室にシリーズの代表作の「ねずみのでんしゃ」の拡大版が置かれていました。この作品は横須賀市長沢に住んでいたころご近所付き合いをしていた児童文学の山下明生先生といわむらかずお先生が我が家やご近所の子どもたちをモデルにねずみの子供の物語として合作されたものです。展示された絵本や原画を見ながら今では40代になった子供たちに絵本を読み聞かせていた若かりし日々が思い出されました。

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乾徳寺

室町時代に開基された曹洞宗の禅寺です。山門は武茂城の表門を移築したもので県指定文化財に指定されています。
紅葉が真っ盛りで建物や石仏などに映えて美しいお寺でした。

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馬頭院

1217年に創建された古刹、水戸光圀により十万石の格式を授与され朱印寺となった格式のあるお寺です。境内にはたくさんのサクラ、ツバキ、ボタン、ツツジ、モミジなどの花木が多く「花の寺」としても親しまれています。

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鷲子山上神社(とりのこさんじょうじんじゃ)

県境が大鳥居の中央、並びに奥の御本殿の中央を通るという全国でも珍しい神社です。御祭神は、天日鷲命(アメノヒワシノミコト)といわれる鳥の神様で、古い時代よりフクロウが大神様の御使い・幸福を呼ぶ神鳥として崇敬され「フクロウの神社」と呼ばれています。多くのフクロウ像があり、運気上昇・金運の福徳・
パワースポットとして、全国より多くの方々が来山されているそうです。

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馬頭温泉 南平台温泉ホテル

那珂川を見下ろす丘の上のホテルです。アルカリ度の高いヌルヌル透明の湯と那須連山から日光連山を見る夕日が美しい宿でした。温泉で養殖したトラフグのコース料理をいただきました。玄界灘の荒海で育ったものと比較すると身のしまりが今ひとつですが美味しくいただきました。

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二日目

宿の送迎バスで氏家にでて小山を経由して結城に行きました。駅前の結城市観光物産センターに立ち寄り結城紬の工房を見学できないかを相談したところ、工房は無理でしたが結城市伝統工芸館を紹介していただきました。

結城紬(ゆうきつむぎ)

日本三大紬(大島・結城・牛首)の一つに挙げられ、①蚕の繭をゆでて糸をとる通常の方法ではなく繭から袋状の真綿(まわた)を作りそれから手作業で糸を紡ぎ②手作業で糸をくくって絣模様を先染めし③地機(じばた)という原始的な織り機で織るという3工程が国重要無形文化財に指定されユネスコ無形文化財に登録されています。
https://story.nakagawa-masashichi.jp/craft_post/119997

結城市伝統工芸館

茨城県本場結城紬織物協同組合の小島理事長から結城紬の制作工程を詳しく解説していただき、天皇陛下の前で機織りの実演をされた技術保持者の野村さんから地機による機織りを見せていただきました。

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つむぎの館

結城紬はそれぞれの工程が分業化され結城市内に10軒ほどある問屋(縞屋と呼ばれる)が生産をコーディネート(真綿の仕入れ、糸取り・糸染・機織り業者の発注)しマーケティング(販売)を行う体制になっています。結城市伝統工芸館を見学したあと結城市内に戻り問屋の一つ「奥順」を訪問しました。博物館・工房・展示場を総合した「つむぎの館」という施設を運営しており結城紬の歴史、制作工程や多彩な織物を見ることができます。
http://www.yukitumugi.co.jp/about/

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結城市観光物産館センターで購入した結城紬のスカーフ

あとがき(結城で学んだこと)

1.紬(つむぎ)はつむぎ糸を使用した絹織物ですが、本来つむぎ糸は繭から直接糸がとれない欠陥のある繭(玉繭)から作る真綿(まわた)から手作業でよりをかけずに糸をつむいだものです。しかし現在ではその風合いの良さから玉繭に限らず正常な繭からも敢えて手間のかかる方法で作られています。

2.結城紬で使用する真綿は福島県伊達市保原の「入金真綿」が使用されています。
http://www.honmono-yukitsumugi.jp/entry/64

3.「糸つむぎ」「絣くくり」「地機織り」という3工程は分業化されており、結城市内に10軒ほどある問屋(縞屋と呼ばれる)が全体の生産をコーディネート(真綿の仕入れ、糸取り・糸染・機織り担当の業者への発注)し販売(マーケティング)を行っています(本場結城紬卸商協同組合

4.製品は問屋ブランドとして販売され製作者の氏名は基本的に表にでません。したがって製作者(作家)に会いたい場合は問屋を通さないと実現しないことが分かりました。今回は幸いにも結城市伝統工芸館にて生産者である茨城県本場結城紬織物協同組合の小島理事長と技術保持者の野村さんにお会いでき直接お話を伺えて幸いでした。ご紹介いただいた結城市観光物産センターの栗原さんに心より感謝いたします。

5.今回は平日(木)の訪問でしたが駅前をはじめ市内のほとんどの店が閉まり人通りもなく閑散としていました。新型コロナによる観光客減少や木曜定休日の店が多いという事情を勘案しても寂しい限りでした。結城に行くなら土日が良いようです。

動画版(9分)もご覧ください

信州(蓼科、松本、上田)

蓼科の紅葉と温泉を楽しみ信州紬の工房をめぐる旅に行ってきました。

蓼科の紅葉スポットを調べ東山魁夷の「緑響く」のモチーフとなった御射鹿池、横谷観音展望台を周り、蓼科親湯温泉に宿泊し近くの蓼科大滝の紅葉を見るルートとしました。

信州紬は長野県全域で生産される絹織物の総称です。生産される地域によって「松本紬」「上田紬」「飯田紬」「伊那(いな)紬」などがあり、今回は「松本紬」と「上田紬」の工房をめぐることとしました。


新宿発10時の特急あずさ13号で茅野に行き、事前に手配しておいたタクシーでまず御射鹿池(みしゃがいけ)に向かいました。
30分ほどて到着しましたが池の前の道路の反対側に大きな駐車場ができており簡単に見ることができました。東山魁夷画伯の代表作の一つ「「緑響く」のモチーフとして有名です。

(長野県信濃美術館 東山魁夷館所蔵)
人気の観光地となっているため観光客も多く絵画のような神秘性は望むべくもありませんが期待通りの美しい池でした。

つぎに横谷観音展望台に向かいました。「横谷渓谷」は、奥蓼科の清流「渋川」に沿って伸びる約6kmにおよぶ渓谷で、信州屈指の紅葉スポットです。駐車場から5分ほど歩いて展望台から色とりどりの紅葉を楽しみました。

ホテルにチェックイン後、5分ほど歩くと渓流に降りる階段があり、足場の悪い細い山道をやっとの思いで下り、原生林のような神遊の森を通って蓼科大滝に着きました。

宿泊した蓼科親湯温泉は大正15年創業の老舗温泉旅館ですが4代目当主の柳澤氏がリゾートホテルに再生したものでロビーは3万冊の蔵書が並ぶライブラリースタイルのおしゃれな大人のホテルです。蓼科親湯温泉

食事は完全個室で夕食は先付け・前菜・スープ・魚料理・肉料理・ご飯・デザートが順番にサーブされ、朝食も山菜と湯豆腐のヘルシーなもので大変美味しくいただきました。
温泉は信玄の隠し湯として有名な名湯で、大浴場は畳敷き、露天風呂からは紅葉と渓流が眺められ、貸し切り風呂は窓がない半露天風呂で野趣に富んだ楽しい風呂でした。

翌日、蓼科の紅葉を眺めながら茅野に行き特急あずさ3号で松本に向かいました。

松本で染織作家の本郷孝文先生の工房を訪ねました。松本はかつて片倉製糸紡績の大工場などがあり紡績業が盛んでしたが今では本郷先生の工房しかないそうです。先生は大学進学とともに映画映像の世界に身を投じられましたが、25歳のときに実家(三代続く機屋)に戻り織の世界に入られ、民藝運動の創始者、柳宗悦氏の甥、染織界の大家柳悦博氏を師と仰ぎ、手織りを続けておられます。本郷織物研究所工房
20種類ほどの織り方を駆使する先生の繊細な作品を拝見させていただきながら大変貴重なお話を伺うことができました。

午後、松本から西上田の小岩井紬工房に向いました。
上田紬は江戸時代より大島紬・結城紬と並ぶ日本三大紬の一つと知られ織元もたくさんあったそうですが今では2軒を残すのみとで手織りを続けているのは小岩井紬工房さんのみだそうです。工房に到着すると三代目の小岩井カリナさんににお出迎えいただき、染め・整経・機織りの一貫した工程をご案内いただきました。小岩井紬工房

小岩井カリナさんは北京外国語大学留学後、劇団前進座付属養成所で演劇を学び、一年後劇団前進座へ入座。在籍中は東京国立劇場、京都南座や全国地方巡演、また訪中公演などへも参加され2004年退座後、アイルランドへ短期留学、ヨーロッパを旅する中で日本の伝統文化の素晴らしさを感じ、実家の手織り上田紬の道へ入られた異色の経歴の魅力的な方でした。以前イタリアのペルージャで伝統的なイタリア織物を守って活躍されている女性にお会いしましたが同じ情熱や雰囲気が感じられ洋の東西同じだなと感慨深いものがありました。イタリア伝統織物工房(ペルージャ)

貴重なお話を伺ったあと上田紬の端切れを分けていただきます。

今回の旅行は、一日目は錦秋の蓼科と温泉を楽しみ、2日目は信州紬工房を訪ねるという充実したものになりました。

紬織はインドが源流で、陸路タイ・カンボジアなどの東南アジアの国々に伝わり、海路インドネシア経由沖縄に伝わり、その後日本中に広まったと言われています。私達夫婦は 中米グアテマラで紬織(イカット)にふれて紬織の伝播に興味を持ち、タイ・ラオス・カンボジア・インドネシア・インドと伝播の流れを追って工房めぐりの旅をつづけてきました。

グアテマラ・サンチャゴ・アティトラン村


タイ・チェンマイ・メーチェム村


ラオス・ルアンパバーン・バーンサンコン村


カンボジア・シェムリアップ・クメール伝統織物研究所


ミャンマー・インレー湖


ベトナム・サパ


インドネシア・バリ島・トゥガナン村(ダブルイカット)


インド・グジャラート・パタン村・パトラ織(ダブルイカット)

今年は新型コロナのため海外旅行ができなくなったこともあり、日本の紬工房をまわる旅を行うことにし、その最初が今回の信州紬の旅となりました。今後は沖縄・奄美大島・久留米などへの旅行を計画しています。

今回の工房訪問を通じ、低廉な織物の輸入増加や着物を着る文化の減少などのマーケット変化から、機械化や他の織物(タオル・デニムなど)への転換などが進み、伝統的な手織り紬産業が危機的な状況となっているのを感じました。その中で本郷織物研究所工房さんと小岩井紬工房さんが伝統を守るべく懸命な努力されている姿に感銘を受けました。今後のご活躍をお祈りいたしております。

信州紬工房見学の詳細記事がテーマ別(織物・染物)に掲載されています。ご興味があればご覧ください。

信州紬(松本紬・上田紬)