アルザス(ミュウルーズ、コルマール、ストラスブール)

ルツェルンからバーゼル乗り換えでミュールーズに移動し3泊4日のアルザス地方観光をスタートしました。

バーゼル駅
ミュールーズ駅

ミュールーズ

フランス東部、ドイツとスイスの国境近くに位置するアルザス第2の町、18世紀から20世紀にかけて染織産業が栄え、フランスのマンチェスターと呼ばれてきました。

まず今回ミュールーズを訪問する主目的である染織博物館に行きました。18~19世紀の室内装飾、服飾デザイン画、染織見本を中心にヨーロッパを始めとする世界中の資料が約600万点も収められ、そのコレクションの豊富さ、質の高さにおいて、世界に類を見ない博物館です。膨大なテキスタイルのアーカイブからデザインをアレンジして商用利用できることからエルメスやサンローランなど世界の名だたるハイブランドも利用しています。

ミュールーズ染織博物館Musée de l’impression sur étoffes de Mulhouse

道に迷いながら歴史地区のレユニオン広場へ向かいます。広場の中央にはフランスでは珍しいプロテスタントの教会サン・テチエンヌ寺院、その向かいにはピンク色の旧市庁舎があります。

サン・テチエンヌ寺院
旧市役所
夕食はアルザス名物のシュークルートです

翌日から二日間観光タクシーをチャーターしてアルザスの美しい村を周りました。

エギスハイム

ミュールーズから40キロ、コルマールから5キロ、フランスで最も綺麗な村にの一つに選ばれたアルザスワインの村です。カラフルな街並みはおとぎ話にでてきそうです。

昼食にアルザス名物タルトフランべ(ピザに似ていますが、生地が薄く、発酵させない、そしてソースの代わりにチーズを使うことが特徴、トッピングは玉ねぎやベーコンでピザよりあっさりした味です)とアルザスワインを頂いてアルザス観光の中心都市コルマールで移動しました。

コルマール

人口6万8000人、アルザスでは第三の規模の都市で「アルザス ワイン街道の首都」と呼ばれ、旧市街には13~16世紀にまだドイツ領だった時代に建造されたドイツ風の木骨組みの街並みそのまま残っています。

プティット・ヴニーズ

翌日、コルマール近郊のカイゼルスベルクとリクヴィールを経由してストラスブールに向かいました。

カイゼルスベルク

2017年の「フランス⼈が選ぶお気に⼊りの村」にて第⼀位を獲得したアルザス地⽅屈指の⼈気観光地です。村の周囲を葡萄畑が取り巻き高台にお城があります。丁度お祭りが開かれており中世の騎士や可愛い子供達の歌を聴くことができました。

お城へ登る階段の八合目あたりからの眺め

リクヴィール

15世紀から16世紀の貴族の館が⽴ち並んでいます。中でもアルザスで最大25mの木組みの家が立派でした。お祭りなのか村の入り口でイベントが開かれ、スタンドでアルザスワインやビール、タルトフランべやソーセージが売られ、音楽にのってダンスを踊る人がいました。

リクヴィールからストラスブールに移動しました。

ストラスブール

フランス中東部のアルザス地⽅の中⼼、グラン・ディル(旧市街)に加え、2017年にノイシュタット(新市街)が登録拡⼤され、市の全域が世界遺産という世界でも稀な都市です。ホテルが旧市街のプティット・フランス地区の歩行者エリアにあったためタクシーがホテル前まで入れず、2分ほど荷物を転がして歩かされましたが、絶好のロケーションで散策を楽しむことができました。

ノートルダム=ド=ストラスブール大聖堂

旅行最後の夕食はアルザス料理で締めました

お土産

動画版もご覧ください(13分)

終わりに

以前からフランスのアルザス地方に行ってみたいと思っていました。クリスマスマーケットで有名な11月から12月とも考えましたが、やはりお花がきれいな春にすることにし、ゲイトウエー空港をチューリッヒにしたことからルツェルンにも寄ることにしました。そしてテキスタイル関連の工房や博物館がないかを調べてみると、ザンクト・ガレンに刺繍博物館、ミュールーズに染織博物館があることが分かりました。特にザンクト・ガレンは以前行ったドイツ白糸刺繍の村シュバルムとの関連があることが分かり、スイス3泊フランス3泊の日程がきまりました。

スイス国内の移動は鉄道を利用しました。なんとザンクト・ガレンにはチューリッヒ空港から直行列車があるのです。またスイスハーフフェアーカードという便利がものがありました。このカードを事前に買っておくと鉄道やロープーウェイなどが半額になります。また鉄道にはスーパーセイバーという運賃があり更に割引(合計で4分の1)になります。ただしスーパーセイバーは変更や払戻しができないので日程が確定するまでは手配しないほうがよいようです。手配はネットで簡単にできました。

アルザス地方の移動は、小さな村を効率的にまわるため、観光タクシーにしました。手配はネットでコルマールのタクシー会社数社に見積もりを依頼し、その中から回答が早く料金がリーズナブルなところにお願いしました。

ホテルはブッキングドットコムで手配しました。スイスは物価が高いので三つ星クラス、アルザスはスイスほど高くないので四つ星クラスとし、徒歩観光に便利な旧市街のホテルにしました。

食事はその地方らしいレストランで名物料理を食べるようにしました。スイスではチーズフォンデュやラクレット、アルザスではシュークルトやタルトフランべなど、一人前の量が多いこともあり前菜(サラダなど)とメインを一人前づつ頼み二人でシェアーしました。飲み物はビールがどこでも美味しく料金も手頃でした。おかげで二人で60スイスフラン/ユーロほど(一人当たり日本円で5000円から6000円)で済みました。

後期高齢者となり足腰がだいぶ弱り、以前のように歩き回ることが困難になってきましたが、これからも元気に旅行を続けたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スイス(ザンクト・ガレン、アッペンツェル)

ドイツ白糸刺繍(シュヴァルム・ホワイトワーク)の源流の一つスイスのザンクト・ガレンに行ってきました。

スイスの刺繍の中心地はチューリッヒから90キロほど東のドイツ国境に近いザンクト・ガレンです。15世紀にリネン(麻)産業がはじまり、16世紀には修道士が刺繍技術を広めました。19世紀初頭に刺繍機が発明されるとザンクト・ガレンは欧州刺繍産業の中心として発展しました。近年は中国をはじめとするアジア諸国からの安価な製品の攻勢により価格競争力が低下したことから主力工場をアジアなどに移転し、スイスではデザインに注力しフランスの有名ブティックとの提携によるサンプル製造とスペシャリティ(高級)製品の製造に特化しています。したがって、今日手刺繍はほとんど行われておらず見学できる工房もないため、ザンクト・ガレン織物博物館と近郊のアッペンツェル博物館に行ってきました。

ザンクト・ガレン

チューリヒから東へ約1時間。ドイツとの国境でもあるボーデン湖に近い北東スイス地⽅の中⼼都市で歴史的な街です。街のシンボルでもある修道院は世界遺産に認定されています。修道院の周辺は車が乗り入れ禁止の旧市街となっています。装飾の見事な出窓が特徴的な家々や看板がかわいい店などが並ぶ小道や広場に、中世の街並の面影を感じられます。

修道院

中世ヨーロッパで「知の聖地」として名を轟かせた修道院。現在では宗教的な意味での修道院ではなくなりましたが、18世紀に改装された修道院の建物はバロック建築の傑作といわれる美しいもの。とくに、膨大な数の貴重本や手稿を納めた修道院付属図書館は世界最大級の中世の図書館として有名で、約17万冊ある蔵書のほとんどが今でも読むことができる状態を保っています。

ザンクト・ガレン織物博物館

古くからテキスタイル(繊維・織物)産業で栄えたザンクト・ガレン。1878年に織物産業の振興のために、型絵・図案などを蒐集し、ミュージアム・図書館を開設しました。旧市街の中⼼にある歴史的な建物にはレースや布地、洋服などの貴重なコレクションがつまっています。

ザンクト・ガレン織物博物館
刺しゅう機
インテリアファブリックのデザイン工程

ザンクト・ガレン織物博物館には大量のデザインブックが保管されており、歴史的な資料としてだけでなく、インスピレーションの源として、次世代のデザイナー達にとって、新しいデザインを作り出すテンプレートとして役立っています。

サンプルブック保存室
サンプルブック

ビショフ・テキスタイル社の本社

ザンクト・ガレン駅から歩いて15分ほどのところにスイスを代表する刺繍服地メーカーのビショフ・テキスタイル社の本社があります。元は工場でしたがデザイン制作を中心とする本社機能のみで、一般には非公開ですがザンクト・ガレン織物博物館に匹敵するデザインブックのコレクションがあり世界中からデザイナーが研究のため来ているそうです。今回見学を申し込みましたが残念ながらだめでした(ツテが必要です)。また一階にアウトレットショップがあり豊富な刺繍商品を購入することができます。

アッペンツェル

ザンクト・ガレンからアッペンツェル鉄道で山道を40分ほど登った山間の美しい村です。

アッペンツェル博物館

民俗博物館として村の生活のいろいろなものが見られますが、中でも四階の刺繍コレクションが素晴らしくザンクト・ガレン博物館ではあまり見られなかった手刺繍をたくさん見ることができました。

左:市庁舎 右:アッペンツェル博物館

1700年代、フランスの商人が上質なフランス刺繍をより安価に生産する方法を模索し、スイスのアッペンツェル州の農民にフランス式の刺繍を教え農家の女性たちが手掛けるようになりました。1850年には機械刺繍が開発され1880年までに精巧な手刺繍は衰退しましたが、1920年までこの地域の女性の半数が家計を支えるために刺繍をし、第二次世界大戦までには3,500人の女性が刺繍に従事していました。

四階、刺繍展示室

編集後記

ノルウェーのハーダンガー刺繍もそうでしたが近代化と共に伝統的手刺繍は廃れてしまい、今では博物館でしかみることができないところが増えてきました。ザンクト・ガレンとアッペンツェルの博物館で博物館の方に聞いてみると、やはり手刺繍を行われておらず、定期的に講師を招いて講習会を開いているそうです。スイスは19世紀初頭に刺繍機が発明されて以来機械刺繍に移行して手刺繍は廃れてしまいましたが、1941年にザンクト・ガレンからドイツのシュバルムに移住した女性(テクラ・ゴンベルトさん)によりその刺繍技法が伝えられ今日シュヴァルム・ホワイトワークとして残っていることを知り、文化と伝統とはこのように伝播していくものかとしみじみ感じています。

お土産

動画版もご覧ください(5分)

奄美大島(大島紬)

フランスのゴブラン織、イランのペルシャ絨毯と並ぶ「世界三大織物」に数えられ、絣織(かすり)の頂点と言われる大島紬の工房を訪ねるため奄美大島に行ってきました。

大島紬の製造は①図案制作②整経③糊はり④締め加工⑤泥染め⑥加工⑦製織の工程が分業で行われています。できるだけ各工程の専門家にお話を伺いたいと思い調べた結果、夢おりの郷(全体の流れ)、金井工芸(泥染め工程)、龍郷町大島紬技術者養成所(製織工程)、大島紬美術館(作品鑑賞)を訪問することにしました。

奄美空港到着後レンタカーを借り、まず「夢おりの郷」に向かいました。

夢おりの郷

夢おりの郷は、「伝統とは常に新しい挑戦の積み重ね」をモットーに新しいものづくりを続ける大島紬の織元で、大島紬の原料である絹も奄美産にこだわり奄美での養蚕を復活させ、図案、締め、染め、加工、製織まで一貫した工程を行っています。
今回、南 晋吾社長と本場奄美大島紬伝統工芸士会会長の南 愛子様(ご母堂)にご案内いただきました。

見学の詳細は動画版をご覧ください(15分42秒)

翌朝、名瀬から泥染めの金井工芸に向かいました。

金井工芸

奄美大島でしか行っていない伝統的な染色技法「泥染め」、大自然の恵みを活かし、先人の知恵を伝承する、「泥染め」の第一人者の金井一人さんにご案内頂きました。

見学の詳細は動画版をご覧ください(17分33秒)

2月の奄美大島は寒緋さくらが満開です。

昼食後、龍郷町大島紬技術者養成所に向かいました。

龍郷町大島紬技術者養成所

龍郷町の基幹産業である大島紬の振興と発展を図るため、大島紬産業の担い手としての後継者育成を目的に設立され、養成期間2年・受講料無料で運営されています。龍郷町には二ヶ所の養成所があり今回訪問した瀬留養成所には7名の方がいらっしゃいました。年配の方が中心で若い方は一人でした。縦糸と緯糸を図案通りに織るため、5センチほど織る度に織り機を緩めて縦糸を調節し、緯糸を通す度に縦糸との交差を一本一本合わせる細密な作業に驚嘆し、大島紬が染織りの頂点と言われることを実感しました。

見学の詳細は動画版をご覧ください(10分49秒)

午後、草木染めに使用されるフクギ(福木)の並木がある国直海岸に行きました。

国直海岸

奄美市名瀬から車で西に約30分、美しい海岸とフクギの並木のあるのどかな集落です。アダンの下に天然記念物のオカヤドカリが集い、ウミガメが産卵に訪れ、真西に向いて開かれているため、夕陽が正面の海に落ちていくのが見えます。

美しい海岸とガジュマルの木、田中一村の絵の世界そのものです

詳細は動画版をご覧ください((1分20秒)

最終日朝、名瀬から大島紬美術館に向かいました。

大島紬美術館

大島紬を製造販売する織元として大島紬の心を後世に繋いでゆきたいという想いからホテルなど多様な事業を行なっており、その一環としてホテルの2階に大島紬美術館が開設されています。

ホテルティダムーン

2階の大島紬美術館入り口にある12マルキの超絶細密技法による作品「紅白梅図屏風」


大島紬美術館HPより転載

最後に、空港近くの田中一村美術館によりました。

田中一村美術館

昨年、作品の大半を上野の東京都美術館の特別展で見ていましたが、描かれた地でみる作品はまた別の趣がありました。
美術館の周りは田中一村の作品に登場する植物が植えられていて田中一村の世界を堪能することができました。

終わりに

2020年、 信州の松本紬と上田紬の工房の訪問をスタートに日本国内の染織りの旅が始まり、今回念願の奄美大島への訪問が実現しました。これまで各地の工房を訪問して皆様からたくさんの学びを得ることができ心から感謝しております。

大島紬は一反を完成させるためには30工程を経ています。その制作工程は分業化され、それぞれの分野の専門家が設計図に従い極めて精緻な技術でプロセスを進めてゆきます。出発の前に本やユーチュブで繰り返し予習をしてきましたが、現場で極致の技を体感し、これぞまさしく染織りの最高峰と感嘆しました。訪問先で貴重なお時間を頂戴しお話を伺えたことは大変ありがたいことでした。

私の手元には収集したり、お母様がきていた着物ですがと洗いはりをして綺麗に整えてお送りくださった布(人間国宝の方の作品でした)や、仲間がわけてくれた布があります。それぞれの布のストリーをできるだけ知った上で大切に使わせていただこうと思っています。

 

豊田と名古屋の美術館

豊田市民藝館「特別展(アイヌの美しき手仕事)」、一宮市三岸節子記念美術館「常設展と特別展(生誕130年武井武雄展~幻想の世界へようこそ~)」、名古屋市徳川美術館「常設展と特別展(魅惑の源氏物語)」を見に行ってきました。

豊田市民藝館(アイヌの美しき手仕事)

豊田市は愛知県北部の三河地方に位置する都市でトヨタ自動車の本社があることで知られています。名古屋から鉄道の直行便はなく乗り換えで1時間ほどかかります。豊田市民藝館は豊田市から6キロほど北の平戸橋という郊外、駅から歩いて15分ほどの平戸橋公園の一角にありました。

9月に北海道の二風谷コタンでアイヌの民族衣装をたくさん見て、その素朴で力強い独特なデザインに魅入られました。その際に豊田市民藝館の特別展(アイヌの美しき手仕事)の開催を知り今回見学に来ましたが、流石に柳宗悦と芹沢銈介の眼鏡にかなった名品揃いでいずれも素晴らしいコレクションでした。また民藝館自体は広々とした日本庭園の中に一号館から三号館までが並び日本民藝館を凌ぐ趣です。10月末の平日とはいえ参観者は少なくほとんど貸切状態でゆっくり見ることができました。

平戸橋駅から名鉄一宮駅に移動し一泊(知立のりかえ約1時間半)、翌朝バスにて三岸節子記念美術館に向かいました(約15分)

一宮市三岸節子記念美術館

名誉市民である三岸節子の功績を讃え、かつて敷地内にあった生家の織物工場を思わせる鋸屋根や、節子が住んでいた頃から残る土蔵を活かした土蔵展示室、風景画のモチーフとなったヴェネチアの運河をイメージした水路、生前好んだ白い花の咲く木々など、節子の思い出と深くかかわった特色のある美術館です。

NHKの日曜美術館の「友よ!我らの美しき野は… 画家・三岸節子と長谷川春子」を見て是非作品を見たいと一宮まできました。

三岸節子は、日本の近代洋画を代表する画家であり、情熱的な作風で花や風景を描き、女性画家としても先駆的な存在でした。異端の天才画家と言われた三岸好太郎と19歳で結婚し、好太郎が31歳で夭折の後も、3人の子どもを育てながら94歳まで画家を貫きました。

常設展では、残念ながら93歳最後の大作「さいたさいたさくらがさいた」を見ることができませんでしたが、二十歳の出世作「自画像」から82歳の「アルカディアの赤い屋根(ガヂスにて)」までの代表作を見ることができました。特に80歳代の作品からは年齢を感じさせない力強さと色彩に圧倒されました。

参照:一宮公式サイトichnomiya NAVI
参照:産経新聞
さsん
参照:Sankei Event info

展示作品は下記URLをクリックしてご覧ください
https://www.musashino.or.jp/museum/1002006/1002258/1002259/1002317/1002324.htm

同時開催の特別展「生誕130年武井武雄展~幻想の世界へようこそ~」も見ることができました。

武井武雄は大正から昭和にかけて童画、版画、刊本作品、玩具やトランプのデザインなど様々な芸術分野に活躍し、「子どもの心にふれる絵」の創造を目指して、自ら『童画』という言葉を生み出した方です。常の新しい作風・作画技法に挑戦した童画というレベルを遥かに超えた作品に感銘をうけました。

展示作品は下記HPをクリックしたください

武井武雄展 〜幻想の世界へようこそ〜

名鉄一宮駅から金山でJRに乗り換え大曽根駅まで移動(約40分)し徒歩15分、広大な徳川園の横を通りながら徳川美術館に着きました。

徳川美術館

徳川家康から尾張徳川家初代の徳川義直(家康9男)が譲り受けた遺品を中核に、江戸時代を通じて御三家筆頭の大名家に受け継がれてきた名品と、その後の収集品から成る1万件を超えたコレクションを有する美術館です。
コレクションをまとまった形で後世に伝えていくことに思いを定めた尾張家19代義親が、財団(美術館)にこれらを寄贈したことに始まる当館は、「源氏物語絵巻」や「初音の調度」をはじめとする国宝9件、重要文化財に指定される絵画・陶磁器・染織品など59件、「短刀 銘 吉光 名物 後藤藤四郎」など1000振に及ぶ刀剣類など、質量ともに充実した日本文化の発信地です。

主な収蔵品は下記URLをクリックしてください
https://www.tokugawa-art-museum.jp/about/treasures/

第一展示室「家のシンボル  武具・刀剣」

大名道具は、公的な場で用いられる「表道具(おもてどうぐ)」と、私的な場で用いられる「奥道具(おくどうぐ)」に二分されます。武具は、武家にとって表道具の中でも最も重要な道具でした。

第2展示室「大名の数寄 茶の湯」

戦国武将らの間で流行した茶の湯は、「御数寄屋(おすきや)」の接待として、武家の公式行事に取り入れられました。

第3展示室「大名の室礼 書院飾り」

大名の公式行事に用いられた広間には、床(とこ)・違い棚(ちがいだな)・付書院(つけしょいん)といった、さまざまな道具が飾られる専用の空間が備えられていました。

第4展示室「武家の式楽 能」

能は、武家の式楽と位置づけられていました。御殿(ごてん)や屋敷(やしき)では、公式行事が行われる広間などの前庭に能舞台が設けられ、行事に際してたびたび上演されました。

第5展示室「大名の雅び 奥道具」

奥道具の代表は、大名家に嫁いだ姫君たちが持参した婚礼調度(ちょうど)です。婚礼の際は、身の回りで用いられる化粧道具や文房具、飲食器などの調度類一式が、統一された意匠(いしょう)のもとに用意されました。

御所車・花車図屛風 六曲一双
国宝「初音蒔絵楊枝箱」
国宝「宇治香箱」
合貝(あわせがい)

第6展示室「王朝の華 源氏物語絵巻」

国宝「源氏物語絵巻」をはじめ鎌倉時代から江戸時代までに作成された多様な「源氏絵」や「古今和歌集」「土佐日記」「伊勢物語」「枕草子」の実物を目の当たりに見ることができ大変勉強になりました。

国宝「源氏物語絵巻 東屋(一)」
国宝「源氏物語絵巻 東屋(一)」

終わりに

9月の北海道行きをきっかけ豊田市民藝館で開催されている特別展「アイヌの美しき手仕事」を見に行くことになり、せっかく愛知に行くなら一泊してどこかに行こうと思い、一宮市の三岸節子記念美術館と名古屋市の徳川美術館に行くことにしました。結果は大成功で楽しい旅となりました。これからも日本各地の美術館や博物館を巡ってみたいと思います。

 

 

 

 

北海道(二風谷コタン、伊達紋別の藍畑)

今回の主目的は二風谷コタンのアイヌ織物・刺繍と伊達紋別の藍畑を見に行くことです。

羽田から札幌まで航空機、空港から苫小牧まで鉄道で移動し、苫小牧に二泊しました。


部屋からの苫小牧駅前広場、反対側には王子製紙の工場が見えました。

夜は苫小牧名物のホッキ貝を堪能しました。

JR日高本線で終点の鵡川(むかわ)まで30分、タクシーで平取町二風谷(びらとりちょう にぶたに)まで25分

二風谷コタン

北海道内の多くの地域においてアイヌが少数派になってしまった状況のなか、二風谷地域は現在に至るまでアイヌが多数派を占めている特別な地域で、極端に観光地化されることなく、アイヌ文化が生活の中に色濃く残っています。平取町郊外の二風谷にはアイヌ文化関連施設が集約された二風谷コタンがあり、平取町立アイヌ文化博物館や沙流川歴史館、平取町アイヌ文化情報センター等の施設の他、多くのチセ(家)が復元されています。

二風谷アイヌ文化博物館

貴重なアイヌ文化を正しく受け継ぎ、未来へと伝えていくことをコンセプトとし、平成4年に開館しました。館内は4つのブースにわけられ、人間と神と自然(大地)が一体となって営まれるアイヌの暮らしと文化をそれぞれの側面から伝え、視覚・聴覚をフルに使って楽しめるよう工夫されています。現在入口に映画「ゴールデンカムイ」の主要キャストが使用した衣装が展示してありました。豊富なコレクション(重要有形民俗文化財指定919点)と素晴らしい展示(レイアウト、照明、説明など)で大変見やすく素晴らしい博物館でした。特にアイヌ衣装が豊富に展示されておりアイヌ織物(二風谷アットウシ)と刺繍にアイヌ文化の精華を見ました。

萱野茂 二風谷アイヌ資料館

アイヌ初の国会議員となった萱野茂氏が40年にわたって収集した個人コレクションを展示。館長ご夫妻の近年の作品をまじえた新旧の資料群が、所狭しとケースに陳列されていました。奥様が制作されたアイヌ衣装は大変美しくご主人への愛情の深さを感じました。

アイヌ工芸伝承館ウレㇱパ

アイヌ工芸の伝承を進める場として開設されました。「匠の道」に立地しています。第一線で活躍する工芸家も創作活動に利用しているため、その技術を見ることができます。また、レーザー加工機といった最新の設備も導入され、アイヌ文様入りオリジナルタンブラーやマグボトルといった様々な体験プログラムを提供しています。残念ながら工芸家による創作を行うところは見ることはできませんでした。

平取町アイヌ文化情報センター

一角が工芸館になっており、作家たちが丹精込めて作った本物の「二風谷イタ」や「二風谷アットゥㇱ」で作られた作品、製品を購入することもできます。

チセ(アイヌの家)

広場には9棟のチセが建ち、アワンチセでは木彫(イタ)、イワンチセでは刺繍、トゥペサンチセでは編み物の実演を見ることができました。

沙流川歴史館裏、にぶたに湖の眺め

長い夏がようやく終わり、急に秋がきました。アイヌ語で「ニプタイ(木の生い茂るところ)という語源の通り、二風谷コタンの周りはみどりにつつまれ、沙流川が流れる。まさに「ゴールデンカムイ」の世界でした。

翌日、苫小牧から伊達紋別まで鉄道で1時間、タクシーで15分、藍染の里の藍師4代目篠原一寿さんを訪問しました。

藍染めの染料(蒅)の生産は徳島が最大の産地で二番目が北海道ですが、北海道の生産は篠原さん一人で行なっています。徳島は藍の栽培と蒅の生産は分業ですが、篠原さんのところは藍の栽培から蒅生産まで一貫して行なっています。

現在、藍畑は蒅用が約7ヘクタール、翌年の種用が約3ヘクタール。4月上旬にポットに種をまき、15cmほどの苗になるまでビニールハウスで栽培。5月下旬~6月上旬から苗を畑に移植する。50~70cmほどに成長したら、花が付かないうちに収穫。通常、8月に一番刈り、9月末~10月中旬に二番刈りを行う。天気次第だが、畑にそのまま4日ほど置き、自然乾燥させた葉を伊達では4カ月かけて熟成させて蒅を生産していく。蒅が完成するのは2月末、冷めてから脱穀機にかけて出荷できるのは3~4月だそうです。

自宅裏の種用の藍畑にご案内いただきました。

藍は肥料を食う作物で、徳島では江戸時代から吉野川の氾濫による肥沃な土壌で栽培されていました。当時は近海で取れるイワシを乾燥させ肥料として入れていたが、不漁により道産の鰊粕を求めるようになりました。農民たちにとって遠方からの肥料は高価過ぎたのでしょう。明治時代、徳島県人は広大な大地と安価な鰊粕を求めて北海道に移り住むようになったそうです。篠原家は明治28年ころに徳島から北海道に移住し藍栽培を行い、最盛期には160~180ヘクタールの耕作面積を誇っていました。やがてインド藍やドイツの人造藍の輸入などに押されて国産藍の価格は下落し全国的に藍の生産は衰退、戦後は農地解放で耕作地も減少、など様々な理由から一時は藍の栽培と蒅の生産を止めていたが、祖母のかめさんが将来のために守ってきた種で一寿さんが復活したそうです。

藍の花には徳島由来の「白花」と一寿さんが導入した「赤花」そしてそのハイブリッドの「ピンク」があるそうです。

種をいただきました。来年自宅で蒔いてみようと思います。

篠原家の周りには多様が植物が生えており、 帰りに栗と葡萄をいただきました。

篠原家を退出し道の駅「だて歴史の杜」で昼食をとり、鉄道で新千歳空港まで70分、航空機で羽田に戻りました。

動画版(5分28秒)

終わりに

昨年11月に徳島の藍染めの染料(蒅)の工房を見学した際に北海道の藍生産について伺い、次は北海道に行こうと思っていました。また北海道を舞台とする映画「ゴールデンカムイ」を見てアイヌについて興味が湧き、藍畑とアイヌコタンを巡る旅行を企画しました。

二風谷コタンは予想以上に素晴らしくアイヌ文化を学びゴールデンカムイの世界を体験できました。よくこれだけの施設を建築し維持しているものだと感服しました。

アイヌ衣装の制作実演で「土台となる布にアップリケ用の布をしつけをする」という制作方法がハワイアンキルトに似ていることに驚きました。よく見るとアップリケ用の布にパターンを描いてから土台となる布にしつけをして、模様となる部分を残しながら余分な部分は切り取り、アップリケをしていました。ハワイアンキルトはアップリケのパターンを切り上げてから土台布に広げ、しつけをして制作を進める点が異なっています。ハワイアンとアイヌ、南と北に遠く離れていますが、合い通じるものがあるとは興味深いものです。

藍篠原の篠原さん、見ず知らずの老夫婦の見学希望をお受けいただき、丁寧にご案内いただき誠にありがとうございます。一度絶えた藍と蒅の生産を再開し全国の藍染め産業を支えている真摯な姿勢に感服しました。健康に留意され今後もますますご活躍されることをお祈りします。

次は、奄美大島に大島紬と田中一村の描いた風景を見に行こうと計画しています。

 

 

 

 

英国周遊(スコットランド、バース、コッツウォルズ、オックスフォード)

今回の旅の主たる目的はオクスフォードのピットリバーズ博物館で開かれる故ジョンセラオ氏によるデザインをキルトとして完成した作品の特別展「Mauka to Makai Hawaiian Quilts and Ecology of the Islands」のオープニングセレモニーとレセプションに参加する事とエジンバラ近郊のLochcarron of Scotland社のタータン工場を見学することです。エジンバラとオックスフォードをベースに日程を広げ、前半はインヴァネスからスカイ島へ、後半はバースからコッツウォルズをめぐりオクスフォードへと向かいました。

今回もカタール航空を利用しました。ドーハ乗り換えでエジンバラに入り2泊、エジンバラ城と市内観光を楽しみエジンバラから鉄道でボーダー地方(スコットランドとイングランドの境界)にあるタータン工場見学に行きました。夕方、長距離バスでインバネスに移動して2泊、日帰りでハイランド地方の絶景スカイ島を観光しました。

旅の後半はインヴァネスから空路ブリストルに移動してバースに1泊、翌日から23日で蜂蜜色の家々を彩る薔薇や多種多様の花々の咲いた村々をゆっくり周り最終日オクスフォードに1泊しました。

成田からドーハ乗り換えでエジンバラへ

エジンバラ (Edinburgh)

エジンバラ空港からバスで市内へ、所用30分。終点は宿泊するOld Waverley Hotel の真横で自分たちで荷物を運んでチェックインするのは楽でした。ホテルはスコット記念塔の真正面でもあり、部屋の窓からエジンバラ城が見える絶好のロケーションでした

旧市街を散策しエジンバラ城の麓に賑わうグラースマーケットの老舗のパブで最初の夕食を楽しみました。

翌日、朝一番でエジンバラ城に行きました。オンラインで日本から予約していましたのでスムーズに入場できました。(終日予約でいっぱいでした)

エジンバラ城は街の中心の小高い丘の上に築城されエジンバラ市内を一望する難攻不落の城です。入り口から坂道が始まり登りながらお城の見学です。ちょうど戦没者慰霊の式典が行われておりスコットランド伝統の正装タータンのキルトを身に纏った儀仗兵を見ることができました。

エジンバラ城を出て、メインストリート「ロイヤル・マイル」を下りながら旧市街を観光、途中でバグパイプの街頭演奏を聴くことができました。

夕方、ホテルの前の公園をエジンバラ城の麓の噴水まで歩きエジンバラ城を真下から撮影しました。ちなみに暗くなるのは21時頃です。

動画版(3分44秒)

ボーダー地方 (The Scottish Borders)

翌日、エジンバラ駅から鉄道とタクシーでボーダー地方(スコットランドとイングランドの境界)のタータン工場とスコットランド王ロバート一世の心臓が埋葬されているメルローズ修道院に行ってきました。

タータン工場(Lochcarron of Scotland)

世界有数のタータンメーカーで、糸の染色から生地の織り、オーダーメイドの縫製まで一貫して行っています。最新鋭の自動織機で生産されていますが、検品は丁寧に厳しく手作業で行われているのが印象的でした。先日もチャールス国王がカミラ王妃を伴いタータン・キルトの正装で訪問されました。
工場に向かう道路は広く周囲は牧歌的で羊が飼われ羊毛原料を直近で得られるとの事、製品のスムーズな搬出はこの道路が大きな役割を担っているとのことでした。

メルローズ修道院

イングランドとの戦争により廃墟となっていますが、1136年創建のゴシック様式の修道院です。イングランド王国に対する独立戦争においてスコットランドを率いた、スコットランドの国民的英雄、スコットランド王ロバート1世の心臓が埋葬されています。

動画版(3分31秒)

夕方、長距離バスでインバネスへ移動しました。移動距離は180キロ(所用4時間)運賃は9ポンド(1800円)となぜか格安でした。鉄道の方が早く快適ですが大きな荷物を持っての移動にはバスの方が楽です(鉄道は荷物を置く場所が確保できるか乗るまで分かりませんが、バスは荷物室に確実に預かってくれます)

インバネス(Inverness)

インバネスはネス川の河口に位置するスコットランド北東部の海岸都市です。夕食はネス川にかかる歩行者専用の橋を渡ってシーフード・レストランに行きました。

翌日、定期観光バスに乗って日帰りスカイ島とアイリンドナン城観光に行きました。朝8時発、夜8時帰着の12時間観光です。バス会社からは、雨と強風が予想され、傘は役にたたないため、上下服と靴は防水仕様の装備が要求されました。

スカイ島 (Isle of Skye)

まず、ハイランド牛とのご対面です。スコットランドの在来種で絶滅危惧種の愛らしい牛です。

ネス湖沿いにしばらく走ると、1230年に築城された今では朽ち果てた古城アーカート城を見下ろす展望台に着きました。

次に、午前中のハイライト、スコットランドで一番美しいと言われているアイリンドナン城にゆき1時間の休憩です。

スカイブリッジを渡ってスカイ島に入り、まず第一の絶景、1820年代に建造された3つのアーチをもつ美しい石造りの橋スリガカン・オールド・ブリッジ、古い石造の橋と背景の山並みのコントラストが美しい!

次は、第二の絶景、港町ポートリーです。遅い昼食を兼ねた1時間の休憩をとりました。港の埠頭に建つ建物がピンク、ブルーとカラフルです。

午後はスカイ島らしい絶景が続きます。先ず、奇岩 Old Man of Storr

次は、Rigg Viewpoint、海の景色が素晴らしい。強風が吹くなかで羊が放し飼いされていました。

最後は、Kilt Rock and Mealt falls、タータンのキルトスカートのひだように断崖絶壁が続き、落差60メートルの滝が海に落ちる様は絶景です。

スカイ島から本土に戻り、帰り道は往路とは異なり鉄道の路線に沿ってインバネスまで戻りました。

動画版(3分36秒)

https://www.youtube.com/watch?v=9dqW1ztYPVI

翌日、空路で一気にブリストルに飛び、タクシーで英国唯一の温泉地バースに移動しました。

バース (Bath)

  • バースのホテルにチェックインして先ず世界遺産のローマ浴場博物館に行きました。25年ぶりの再訪です。外観は昔のままですが博物館の内部の展示は現代の技術を導入して当時の様子はこのようであったであろうと映像で示したり、通路の一部は透明な床になっており見学者の足元に当時の遺跡を見ることができました。

次に、大聖堂に入りました。

その後エイボン川に向かいました。バルトニー橋を挟んで両岸に立ち並ぶ建物と川面に飛び交うかもめやゆっくりと近づいてくる白鳥は旅びとの目を楽しませてくれます。

動画版(1分44秒)

カッスル・クーム(Castel Comb)

昼から2泊3日のコッツウォルズ観光を開始しました。先ず、英国一、最も古い街並みが保存されている村コンテストで何度も表彰されている村カッスル・クームです。

テトベリー (Tetbury)

アフターヌーンティーを楽しみました。3段トレーには①フィンガーサンドイッチ②2種類のスコーン(プレーンとレーズン入り)にクロテッドクリーム(脂肪分がバターと生クリームの中間の濃厚なクリーム)といちごジャム③プチケーキがセットされ、飲み物は紅茶またはコーヒーが選べます。一般的に午後2時から5時頃までの間で提供されます。かなりヘビーなので昼食を抜いておかないと食べ切れないかもしれません。室内のテーブルでも屋外で庭の植物を眺めながらでもゆっくり時間をとって楽しむのが良いと思いました。

スタントン (Stanton)

NGS(英国園芸協会)が年に1回開催するオープンガーデン(個人のイングリッシュガーデンを公開すること)がスタントンで開かれることを知り、日程を変更して訪問することにしました。

個人の庭にも通りにも至る所で色彩豊かな薔薇や多種の花々が咲いていました。数箇所の案内のポイントではお茶とケーキの接待も行われていました。村の人々が花を育てて来訪者にどうぞ見て楽しんで下さいという精神は本当に素晴らしいと思いました。

 

1泊目は「コッツウォルズのベネチア」として愛されるボートン・オン・ザ・ウオーターです。

ボートン・オン・ザ・ウオーター (Bourton-on-the-Water)

 

二日目の最初の村は「イングランドで最も美しい村」として名を馳せるバイブリーです。

この村を訪ねるのは3度目となりました。1度目は高校生だった娘と、2度目は児童文学作家の山下先生ご夫妻と訪ねた思い出があります。30年近く前になりますが風景は変わらず美しい村ですね

バイブリー (Bibury)

 

 

次に、ローワー・スローターに行きました。大型バスが入れないこともあり観光客が少ない静かた村です。この村では静かで観光化されていない佇まいを十分に楽しむことができました。清らかな水の川、水車、家々の花、地元のワンちゃんが散歩を楽しみ、乗馬の人たちもいます

ローワー・スローター (Lower Slaughter)

 

次は、ブロードウェー村より1マイル(1.6キロメートル)ほど南東の高台に位置するブロードウェイ・タワーに立ち寄りました。

ブロードウェイ・タワー (Broadway Tower)

次も、大型バスが入れない観光客が少ない静かな村スノーヒルです。小さな綺麗な村でした。やはり薔薇やたくさんの草花が家々の玄関口に咲き揃っていました

スノーヒル (Snowhill)

次に立ち寄ったのは「コッツウォルズの宝石」とうたわれるチッピング・カムデンです。昼食を兼ねてクリームティー(アフタヌーンティーからサンドイッチとケーキを除いたもの=スコーンと紅茶の軽食)をいただきました。ここも以前来たことがあります。村のランドマークとも言える古いマーケット跡があります。

チッピング・カムデン (Chipping Campden)

最後に、シェイクスピアゆかりの地ストラスフォード・アポン・エイボンに行き宿泊しました。
先ず、シェイクスピアの奥さんアン・ハサウェイの家、次にシェイクスピアの生家を見学しました。

ストラスフォード・アポン・エイボン (Stratford-upon-Avon)

アン・ハサウェイの家

シェイクスピアの生家

ストラスフォード・アポン・エイボン

動画版(6分51秒)

朝、最後の宿泊地オックスフォードへタクシーで移動しました。ホテルのご厚意で午前中にチェックインでき市内観光に出ることができました。

オックスフォード (Oxford)

午後、ピットリバーズ博物館で開かれたハワイアンキルト特別展のオープニングセレモニーに参列しました。その特別展に展示されたキルトは、ピットリバース博物館から依頼を受け故ジョンセラオ氏のデザインをポアカラニキルターが制作した作品です。

動画版(5分32秒)

おわりに

6月のスコットランド・スカイ島の気候(最高気温17度・最低気温9度)は、日本の白馬村の6月の気候(最高気温19度・最低気温11度)より寒いだけでなく、1日のうちで空模様は曇りのち晴れ、時々雨、さらに強風が吹き荒れる、という激しいものです。我々も上下防水使用の服を着用しました。短い夏(7月と8月)を除き1年の大半は寒く厳しい気候です。スコットランド人の荒々しい性格はあの厳しい気候によって育まれているのかと思い至りました。

ピットリバース博物館のハワイアンキルト特別展は大変素晴らしいものでした。今は亡きジョン・セラオ先生も奥様ポアカラ二と共にお喜びになっていると思います。今回の展示会を機会にハワイアンキルトが一層発展していくように祈っています。

Susie

三井家と岩崎家のおひなさま

三井記念美術館で「三井家のおひなさま」静嘉堂文庫美術館で「岩崎家のお雛さま」を見てきました。

三井記念美術館

地下鉄銀座線「三越前」駅A7出口前、三越本店と日本銀行本店に隣接する、重要文化財・三井本館1階にある美術館。三井家伝来の日本・東洋の優れた美術品4000点(茶道具が半数、国宝6点、重要文化財75点)を収蔵されている。常設展示はなく特別展・企画展のみ、今回は三井家の夫人や娘たちが大切にしてきたひな人形やひな道具と、三井家とも縁の深い京都丸平大木人形店の大木平藏が創り上げたひな人形が展示されています。

三井グループで知られる三井家は、元祖 三井高利(1622~94)が伊勢松坂から息子達に指示を出し、延宝元年(1673)に江戸本町に「越後屋」を開店したことに始まります。呉服の反物の切り売り現金取引をして庶民の人気を集め繁盛、その後、京都、大坂、江戸で呉服と両替店を開き、幕府の御用、朝廷の御用を受けるほどになり、明治以降は三井銀行や三井物産を設立するなど戦前は150社余に及ぶ三井財閥を形成しました。三井家は北家、新町家、室町家、南家など11家あり、各三井家がそれぞれ美術品を収集、特に享保から元文年間の営業収益が伸びた時期は、茶道具を主とする名物道具の収集が盛んでした


北三井家十一代・三井高公の一人娘である浅野久子のひな飾り、幅3メートルにおよぶ豪華なもの、久子氏の初節句のために、京都丸平大木人形店の五世大木平藏に注文してつくられたもので、当時の工芸技術の粋を集めた傑作です。男雛は高さ43cm、女雛は約32cmという堂々たるつくりの内裏雛。装束はともに、最上級の染織品を使用したていねいで格調高い仕立てとなっています。段飾り右上段の天皇の御所である紫宸殿(ししんでん)になぞらえた御殿付きのひな人形は、祖父・高棟から贈られたもの。下段には三井家の家紋が蒔絵で表された豪華なひな道具が並べられ、さらに親族などから贈られたさまざまな人形も一緒に飾られています。


左「次郎左衛門雛」右「内裏雛」いずれも二代永德齋製 明治〜大正時代・20世紀


「三人官女」


「仕丁」


こども人形 ことろ遊び

静嘉堂文庫美術館

地下鉄千代田線二重橋前〈丸の内〉駅 3番出口、皇居のお堀に面した重要文化財・明治生命館の1階にある美術館。三菱二代社長・岩崎彌之助、その息子で四代社長・小彌太の親子が集めた国宝7件(世界に3点しか現存していない中国・南宋時代の国宝「曜変天目」をはじめ、俵屋宗達筆「源氏物語関屋・澪標図屏風」など)、重要文化財84件のほか、約20万冊におよぶ古典籍約6500点の東洋古美術品が収蔵されている。

今回の企画展では三菱第四代社長・岩﨑小彌太が孝子夫人のために京都の人形司・丸平大木人形店(丸平)で誂えた「岩﨑家雛人形」。その内裏雛は、白くつややかな丸いお顔が愛らしい稚児雛です。小彌太の還暦を祝し丸平に特注した「木彫彩色御所人形」のほか、丸平文庫が所蔵する岩﨑家旧蔵の御所人形も展示。岩﨑家に伝わった「白綸子地松竹梅鶴模様打掛」(個人蔵)なども初公開されました。

岩﨑家のお雛さま

三菱4代社長である岩崎小彌太が、昭和初期に当時随一といわれた京都の人形司・五世大木平藏(丸平大木人形店)に、妻のために発注した雛人形。小彌太の「ほかにはない人形を」との注文に、衣裳や道具類、調度品に至るまで、漆芸、蒔絵、織物、指物など最高峰の伝統工芸技術を駆使し、3年の月日をかけて制作された。


「内裏雛」 昭和時代初期・20世紀
男雛は鴛鴦文(えんおうもん)入りの黄丹袍(おうにのほう)という皇太子が着用する装束を纏っていて、本作は皇太子と妃のご成婚を想定した姿で誂えられたものと分かる。女雛でひときわ目を引くのは、サンゴやガラス玉をあしらった豪華な冠。十二単は見える部分だけ重ねて作ったものではなく、袴、裳、単、打衣、五衣、表着、唐衣と、順に着せられるよう仕立てるといった凝りようだ。いずれも胴体は木彫り胡粉塗りの裸体に関節を施した「三つ折れ」構造で、立ち居自在に作られている。頭は十二世面庄という京人形の名工の作。どの角度からも表情に精気が見て取れる


「三人官女」


「仕丁(じちょう)」御所の下働き三人組。仕事を終えて宴会中のようで、笑い、怒り、泣くというくつろいだ仕草や顔つきがなんともおかしい。


立ち雛

木彫彩色御所人形

卵年生まれの小彌太の還暦を祝し、孝子夫人が丸平に特注し、昭和14年(1939)に完成した御所人形の組み物です。木彫に胡粉を塗り重ね、鮮やかな彩包を施した総数58体61人からなります。卵年にちなみ兎が重要なモチーフとなっており、鳥居坂本邸での還暦祝賀会で披露されました。


「鯛車」


唐子の「楽隊」


「宝船」船や衣服の各所に岩﨑家の家紋が配されています


「輿行列」
「餅つき」

お福の花見」桜咲く春、ふくよかな女性たちが、目隠しをした鬼から逃げる遊び「目隠し鬼」で戯れています。女性たちが身に着けた多彩な着物には「花菱紋」が施されています。

国宝の曜変天目(稲葉天目)も展示されていました、なんと美しい、これが世界に三つしかない奇跡の陶器と感服しました(写真撮影不可)

重要文化財 野々村仁清「色絵吉野山図茶壺」 御室窯 江戸時代・17世紀 黒を背景に吉野山の満開の桜を浮かび上がらせた、優美な茶壷。京焼で色絵の陶器を確立させた名工、野々村仁清の代表作のひとつ。

河井寬次郎 紅彩鉢 梅花図壺昭

先日、宮城県仙南地域に行き、江戸時代に作られたクラシックな享保雛や古今雛から華やかな現代の雛が商家や農家の居間に飾られ、それを子供や親たちが見る姿に、子供の幸せと成長を祈り祝う「ひなまつり」を知ることができた思いでした。しかし三井家や岩崎家という上流社会の「ひな人形」はレベルが違っていました。内裏や三人官女など形式は同じでも姿・表情・衣装などすばらしい芸術作品です。関東の人間にとってひな人形は「岩槻」の人形店のものと思っていましたが本場は京都だったのだと思い知りました。特に五世大木平藏(丸平大木人形店)の作品は「こんなひな人形があったのか」と驚愕しました。三菱4代社長である岩崎小彌太が妻のひな祭りのために誂えたひな人形と妻が夫の還暦を祝って誂えた御所人形は、夫婦の愛情の深さを感じ魅了されました

宮城県仙南の「ひな祭り」

宮城県仙南地域で開催された13のひな祭りイベントの内の3個所(白石市、大河原町、川崎町)4会場をまわってきました。

白石市壽丸屋敷

東北新幹線で東京から白石蔵王まで約2時間、白石市(しろいしし)は福島・仙台・山形の中間に位置しています。街の中心にある壽丸屋敷(すまるやしき、明治中期から大正にかけて建てられた土蔵造りの店蔵と母屋からなる豪商の町屋建築)で開催された「ほっこりおひなさま展」を見学しました。


駅から徒歩5分

邸内に入ると地域の家々で使われていた雛飾りが並び壮観です。白石和紙の展示もありました。

白石城(伊達家の重臣・片倉家のかっての居城)に向かって歩くと白石という地名の由来でパワースポットの「神石白石」があり丘の上に天守閣が見えました。

白石・人形の蔵

次に明治・大正・昭和にかけての人形など常時5000点を展示する「白石・人形の蔵」に行きました。中学校の社会科の先生だった方が「子どもたちに歴史を身近に感じてもらいたい」と平成7年にオープンした博物館です。

本館一階はなつかしの駄菓子屋グッズでいっぱいです。

別館一階には伊達家拝領の古今雛や江戸時代制作のさが並んでいました。

別館二階に市松人形がいっぱい。一体一体は可愛いのですがこれだけ密集して並ぶと見方によっては少し怖いです。

在来線のローカル電車で13分大河原に移動し国登録有形文化財佐藤家住宅で開催された「佐藤屋でひなまつり」を見学しました。

駅から5分ほど歩き白石川を渡りました。4月上旬の川堤は桜の名所として有名です。

大河原町佐藤家住宅

佐藤家住宅は、明治から昭和にかけて建てられた近代和風建築物で、その大きさと細部まで気を配った造作は保存状態が良く、繁栄を極めた大地主の歴史を今に伝えています。27名の会員によるボランティア団体「佐藤屋プロジェクト」により佐藤家住宅を利用して定期的なイベントが開かれており、今回は3月2日から4日まで「ひなまつり」が開催されました。


駅から徒歩10分


御殿雛


享保雛


享保雛

仙台

在来線で35分仙台に移動して駅前のホテルモントレ仙台に宿泊しました。最上階(17階)に温泉(SkySpaサラ・テレナ)があり疲れがとれました。


駅前で朝市通りにも近く大変便利です


露天風呂はありませんがサウナもある本格的な大浴場です。

翌日、仙台駅前からバスで1時間半(秋保温泉から10キロ)、国営みちのく杜の湖畔公園(南地区・北地区・里山地区の三つのエリアからなる広大な国営公園、蔵王山麓の裾野、釜房湖畔に位置した豊かな水と緑に囲まれています)にいきました。

みちのく杜の湖畔公園

南地区に入ると「時の広場」があります。ストーンサークルのような不思議な広場です。その先に「彩の広場」が広がっています。まだ春が早く花はほとんど咲いていませんが4月になったらさぞ綺麗でしょう。


時の広場


彩の広場

ふるさと村エリアまでの道の両側に花が咲きはじめ春の伊吹をかんじました。


クリスマスローズ


原種シクラメン


水仙とふきのとう

ふるさと村エリアには東北各地から8棟の古民家が移築されており、この時期(2/23-3/24)は古民家に総数13台の7段飾りやガラスケース入り雛飾りなどが展示されていました。


長屋門

釜房の家(宮城県)地元の釜房ダム建設ため水没した村から移築

         湯田河の松(樹齢六百年、鶴が羽を広げているように見えることから「鶴の松」と呼ばれています。

本庄由利の家(秋田県)

月山山麓の家(山形県)

南会津の家(福島県)

鳴瀬川河畔の家(宮城県)

遠野の家(岩手県)

津軽の家(青森県)雪が降り始めました


雪が激しくなってきました。帰ります。

より詳しい動画版(15分)をご覧下さい

あとがき

埼玉県岩槻では参道の階段に27段371の雛人形を並べる愛宕神社の雛飾りをはじめ各所で雛飾りやコンサートなどが行われる「まちかど雛めぐり」というイベントが開催され多くの人で賑わいます。これはこれで素晴らしいのですがやや観光的になりすぎた感もありす。反面、今回訪問した白石・大河原・やみちのく杜の湖畔公園ふるさと村の「ひなまつり」は人出も少なく決して派手なものではありせんが伝統的な日本家屋や古民家に雛人形が飾られ子供の成長を祝う「ひなまつり」の原点を見ることができ大変有意義でした。

 

 

 

 

徳島・京都

今回の旅行の目的は、徳島では大塚国際美術館や藍染工房と藍染めの染料「すくも」作りを見学すること、京都では美術館「えき」KYOTO の「芭蕉布 人間国宝平良敏子と喜如嘉の手仕事展」と相国寺の「若冲と応挙展」を見学することです。

羽田発9:45の便で富士山の真横を通過し徳島を目指しました。

徳島空港からバスで鳴門市の大塚国際美術館に行きました。

大塚国際美術館

古代壁画から世界26ヶ国190余の美術館が所蔵する西洋名画1000余点を原寸大で複製陶板化した世界初の陶版名画美術館です。地下三階地上二階延床面積30000平米の巨大な展示スペースにテーマ別に古代、中世、ルネサンス、バロック、近代、現代と作品が展示されておりじっくり見るには半日では無理丸一日必要です。

入口から長いエスカレーターを地下三階に登ると正面にシスティーナ礼拝堂です。ミケランジェロの天井画と壁画が素晴らしい。

地下二階に登り昼食をとりました。レストランの中心の円形の池には睡蓮が咲き、そのまた中心に野外展示された楕円形のモネの「大睡蓮」を楽しむことができました。


睡蓮が咲く池


昼食の海鮮丼

モネの「大睡蓮」

昼食後は世界の名画を思う存分に堪能することができました。世界各地の美術館で実物を見てきましたが、陶版による複製は実物と見まごう出来栄えで、再会したような喜びを感じました。またレオナルドダビンチの「最後の晩餐」は修復前と修復後が向かい合って展示されており、比較することで大変勉強になりました。

作品の一部を撮影しましたのでご覧ください。クリックで拡大表示、→で次の作品、←で前の作品、✖︎で終了です。

翌日、天然藍染料「すくも」の工場と藍染工房を見学しました。天然藍染めの染料は「タデ藍」「琉球藍」「インド藍」の三種類があり、日本古来の染料「タデ藍」の産地は徳島、北海道、青森、兵庫で徳島が江戸時代以来最大の生産地です。

佐藤阿波藍製造所

江戸時代から続く藍染めの天然染料「すくも」の伝統的な製造技術を受け継ぐ、国選定阿波藍製造無形文化財・国指定卓越技術者 現代の名工・19代藍師・佐藤昭人さんに工場をご案内いただき「すくも」の製造工程を見せていただきました。

「すくも」の原料となるタデアイは3月にタネをまき、7月から8月に刈り取り、葉を1センチほどに刻んで天日干し、9月のはじめから11月末までむろ内に1メートルほどに積み上げむしろで囲って発酵させます。むろに入ると発酵により発生したアンモニア臭が充満していました。作業のタイミングは昔ながらの方法で行われ、タネまきはつばめが飛んだ1週間後、むろでの発酵開始はイチョウの葉が色づいたら、発酵温度の管理は膝でさわった肌感覚でむしろの枚数を増やすそうで、なんとも長閑ですが伝統を感じさせる凄いお話でした。


タネをとるため花が咲いたタデアイ、「すくも」作り用には花の咲く前の葉の状態で刈り取ります


むろの中に二つ「すくも」の山ができている。一つの山には6000坪のタデアイ畑から採った葉が使われています


発酵により70度ほどの温度になっています


壁の柱に作業記録が書き込まれていました


佐藤夫妻と友人夫妻と共に記念撮影

本藍染矢野工場

代表の矢野藍秀さんにご案内いただきました。化学薬品を一切使用せず、佐藤昭人氏が製造する「すくも」を使用した「天然灰汁発酵建てによる本藍染」という江戸時代から伝わる伝統技法で藍染めを行っており、その作品は2013年 4月放送 NHK大河ドラマ「八重の桜」のオープニング映像に使用されています。

「藍染め」の種類
1)藍染め:化学染料使用のものも含む
2)本藍染め:は天然藍(タデ藍、琉球藍、インド藍)を使用したもので、藍建ての方式として苛性ソーダやハイドロサルファイトなどの化学薬品を使用する化学建ても含む
3)本建て(地獄建て)・正藍染め:タデ藍の『すくも」を使用し、灰汁のみで藍を建て、染液の維持に麩や貝灰以外を用いない

工房には16の藍がめが並び、かめの中には綺麗な「藍の華」が浮いていました。九州など他の藍染め工房では藍建てにあたり灰汁の他に発酵促進のためお酒が添加されていましたが、矢野さんは灰汁しか使わない古来の手法にこだわっています。それだけに化学染料や化学薬品を使用した化学建てによるものが「藍染め」として広く流通し「色落ち」など問題を起こしている現状に本来の「藍染め」が誤解されていると憂いておられました。


灰汁を加え


竹の棒で攪拌する


藍の華がさいています


九州宮崎の藍染め工房、こちらも佐藤さんの「すくも」を使用していますが、発酵促進のため日本酒を添加しています

無地染め、絞り染め、型染め、ローケツ染め、糸染めなどの技法を駆使し、絹、木綿、麻、木材、皮革などの天然素材であれば、全て染めることが可能だそうで、今回はコードバン(馬の尻皮)を染められていました。


コードバン(馬の尻皮)を何度も藍がめに入れていました


藍染めのグラデーションが美しい


矢野さんの藍染めのTシャツ、良い色合いですね

次に阿波の藍染めに使われる藍がめを制作している阿波大谷焼の窯元に行きました。

森陶器

国の有形文化財に登録されている日本最大級の登り窯をもつ大谷焼の窯元、藍染めの甕や水琴窟の甕などをはじめとする大きな甕を作る際、「寝ろくろ」(2人一組で1人が甕の成形し、1人が寝ころんで足で蹴りながらろくろを回す製法)という大谷焼独自の技法が使われることでも知られています。しかし、昭和20年代後半からは生活様式の変化に伴い、大甕の製造に加えて日用品などの小物を多く作るようになったそうです。登り窯を中心とする広大な敷地に大甕などが敷き詰めら壮観です。


登窯

その後、お遍路八十八ヶ所のスタート地点 一番札所・霊山寺にお参りしました。

昼食は地元で有名な活魚料理「びんび家」で美味しい魚をいただきました。


びんび」とは、徳島の言葉で「ピンピン跳ねる新鮮な魚」を意味しています


新鮮な魚料理と鳴門わかめたっぷりの味噌汁で大満足です

昼食後、鳴門の渦潮を見に行きました。


四国と淡路島を結ぶ大鳴門橋


大鳴門橋遊歩道「渦の道」全長450mを歩き展望台へ


高さ45メートルの展望台からの眺め。残念ながら渦は巻いていませんでした。

アオアヲナルトリゾートから高速バスに乗り京都へ


淡路島からの夕陽

京都

翌朝、京都駅に隣接する伊勢丹デパート内の美術館で「芭蕉布 人間国宝平良敏子と喜如嘉の手仕事展」を見ました。

芭蕉布は、沖縄本島の北部に位置する大宜味 (おおぎみ) 村の喜如嘉 (きじょか) を中心に作られるバナナの仲間である糸芭蕉 (イトバショウ) の繊維から糸を紡ぎ織られた布です。とんぼの羽のように透けるほど薄く軽いと評され、王族の衣服や士族の役人の制服として庶民の普段着や晴れ着として幅広く利用されてきた。また、琉球王朝から中国や江戸幕府への献上品としても使われました。

第二次世界大戦中・戦後にかけて衰退し消失の危機にありましたが、民藝運動家で染織家の外村吉之介氏に師事し、民藝や染織について学んだ平良敏子さんが沖縄の織物を守り育ててほしい」という声に応えて復興、「喜如嘉の芭蕉布」の名で国の重要無形文化財、経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されています。

糸芭蕉から繊維をとり糸を紡ぎ布を織るという途方も無い手間と織り上がった布の類まれな美しさに感嘆し京都にまで来た甲斐があったと思いました。


黄地 絽織 経縞


帯地「藍コーザー アササ」

相国寺

次に相国寺に行き「秋の特別拝観」と承天閣美術館の「若冲と応挙展」を見学しました。長蛇の列を覚悟して行ったのです意外にもがらがら、紅葉には少し早くもみじも緑ですがお庭が美しく、ゆっくり拝観できました。


法堂(ハットウ)我が国法堂建築の最古のもので、天井画「鳴き龍」画の下で手を叩くと堂内に大きく響きました


表方丈庭園、南側は白砂を敷き詰めただけの簡素な庭です

裏方丈庭園、北側は深山幽谷を表した枯山水の庭です

開山堂庭園、開山夢窓国師の木像を安置している堂で、その南庭は「龍渕水の庭」と呼ばれる石庭です

開山堂の入口に近い堂内の壁の片隅にとても可愛いい子犬の画があり和みました。


円山応挙筆 仔犬図 杉戸絵

次に承天閣美術館で「若冲と応挙’」展を見ました。

 

第1展示室:伊藤若冲が相国寺に寄進した「釈迦三尊像と動植綵絵」動植綵絵は複製(実物は宮内庁)ですが相国寺の法要で使用されているものです。若冲らしく細密で色鮮やかです。


釈迦三尊像


動植綵絵

第2展示室:伊藤若冲の水墨による障壁画と丸山応挙の代表作で重要文化財の「七難七福図巻」
「七難七福図巻」は三井寺裕常門主の依頼を受けて描いたもので、任王経にもとづき人の七難七福のありさまをイメージ化したものです。全三巻からなり、それぞれ天災、人災、福をテーマにしており、依頼者の祐常によって描かれた下絵、それを受けた応挙の画稿、そして完成した大作絵巻を比較して見ることができ大変勉強になりましたが、人災や天災の画は応挙の上品な作風からは想像できない壮絶かつ残酷な描写で、こんな応挙があるのかと驚きました。


伊藤若冲「鹿苑寺大書院旧障壁画 月夜芭蕉図床貼付」


丸山応挙 七難七福図巻 福寿巻(部分)


丸山応挙 七難七福図巻 天災巻(地震部分)

午後、京都駅から新幹線で東京に帰りました。

世界の染織り工房を回る旅の一環として、今回「藍染め」の染料「すくも」がどのように作られているのかを現地で見ることができ大変勉強になりました。すくも作りの佐藤さん、藍染めの矢野さん、懇切丁寧にご案内いただき誠にありがとうございました。

徳島では徳島市在住の友人夫妻のおかげで藍染工房だけではなく窯元や寺院さらに鳴門の渦潮までご案内いただき大変感謝しております。おかげさまで大変充実した旅行となりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

静岡・修善寺・三島

静岡県立美術館にて725日から918日まで「糸で描く物語」という企画展が開かれています。横須賀と新潟そして静岡での巡回展示です。最後の機会を逃したくなく913日に出かけました。

静岡県立美術館は静岡駅からバスで30分,この日は気温が上昇,それでも豊かな樹々に包まれた静かな環境に位置する美術館を訪れたくさんの貴重なコレクションを見学することができ本当に素晴らしい時間を過ごしました。

スロヴァキアやトランシルヴァニアの伝統的な衣装や、独特の造形と色あざやかなイヌイットの壁掛け、絵本の挿絵として制作されたのびやかな作品から、精緻なオートクチュール刺繍など見応えのある展示でした。

展示内容は
第1章 刺繍と民族衣装
第2章 イヌイットの壁掛け
第3章 刺繍と絵
第4章 刺繍とファッション

まず個人的に一番に興味があったのは刺繍と民族衣装でしたが各章の展示室を部屋から部屋へと移動しながら目にする様々な作品は魅力的で11点時間をかけてしっかりと拝見させていただきました。

特にスロヴァキアやトランシルヴァニアの伝統的な衣装と刺繍は現地でもなかなか見ることができない素晴らしいコレクションでした.

わたしも2016年にTransylvania(トランシルヴァニア)地方を訪ねてたくさんの民族衣装やイーラショシュのタペストリーを見学する機会を得ましたが、今回の展示会ではルーマニア・トランシルヴァニア地方の伝統手芸研究家の谷崎聖子(たにざきせいこ)さんの素晴らしいコレクションを鑑賞することができ大変勉強になりました https://morino-kanata.com/

静岡県立美術館は17世紀以降の内外の山水・風景画、静岡県ゆかりの作家、作品を中心に収集・展示していますが、平成6(1994)年に新館としてオープンした「ロダン館」には《地獄の門》をはじめとしてロダン作の彫刻32点が展示されています。段差のある立体的なゆったりしたスペースの中に高い天窓から自然光がふんだんに注ぎ作品群の見え方が平面のフローアーで見るのとは違った印象を得ました。https://spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/

静岡から三島経由修善寺に移動し修善寺温泉に宿泊しました。
共立リゾートの運営する「桂川」という旅館に泊まりました。
https://www.hotespa.net/hotels/katsuragawa/
大浴場とは別に7つの貸切風呂が無料で使用できるシステム(予約不要、空いている浴室を先着順に利用)が素晴らしく快適でした。貸切「檜葉の湯」

修善寺温泉は開湯1200年の歴史があり、修禅寺、独鈷の湯、竹林の小道、源頼家の墓、などがあり散策も楽しめました。独鈷の湯は残念ながら入浴できませんがその近くに足湯があり快適でした。https://www.hotespa.net/hotels/katsuragawa/

帰り道、修善寺から伊豆鉄道で三島に出ました。富士山の伏流水が湧き出る水の綺麗な街で、駅前の「楽寿園」という広さ約75,474平方メートルの市立公園が見事でした。小浜池やせりの背などの天然池泉と周囲の自然林からなる庭園は、国の天然記念物及び名勝に指定されています。30度を超える夏日でしたが緑と清流に癒されました。


小浜池と楽寿館

昼食は三島名物の「うなぎ」をいただきました。富士山の伏流水でうなぎを晒すことで特有の臭みを消し余分な脂肪分を燃焼させるそうです。