徳島・京都

今回の旅行の目的は、徳島では大塚国際美術館や藍染工房と藍染めの染料「すくも」作りを見学すること、京都では美術館「えき」KYOTO の「芭蕉布 人間国宝平良敏子と喜如嘉の手仕事展」と相国寺の「若冲と応挙展」を見学することです。

羽田発9:45の便で富士山の真横を通過し徳島を目指しました。

徳島空港からバスで鳴門市の大塚国際美術館に行きました。

大塚国際美術館

古代壁画から世界26ヶ国190余の美術館が所蔵する西洋名画1000余点を原寸大で複製陶板化した世界初の陶版名画美術館です。地下三階地上二階延床面積30000平米の巨大な展示スペースにテーマ別に古代、中世、ルネサンス、バロック、近代、現代と作品が展示されておりじっくり見るには半日では無理丸一日必要です。

入口から長いエスカレーターを地下三階に登ると正面にシスティーナ礼拝堂です。ミケランジェロの天井画と壁画が素晴らしい。

地下二階に登り昼食をとりました。レストランの中心の円形の池には睡蓮が咲き、そのまた中心に野外展示された楕円形のモネの「大睡蓮」を楽しむことができました。


睡蓮が咲く池


昼食の海鮮丼

モネの「大睡蓮」

昼食後は世界の名画を思う存分に堪能することができました。世界各地の美術館で実物を見てきましたが、陶版による複製は実物と見まごう出来栄えで、再会したような喜びを感じました。またレオナルドダビンチの「最後の晩餐」は修復前と修復後が向かい合って展示されており、比較することで大変勉強になりました。

作品の一部を撮影しましたのでご覧ください。クリックで拡大表示、→で次の作品、←で前の作品、✖︎で終了です。

翌日、天然藍染料「すくも」の工場と藍染工房を見学しました。天然藍染めの染料は「タデ藍」「琉球藍」「インド藍」の三種類があり、日本古来の染料「タデ藍」の産地は徳島、北海道、青森、兵庫で徳島が江戸時代以来最大の生産地です。

佐藤阿波藍製造所

江戸時代から続く藍染めの天然染料「すくも」の伝統的な製造技術を受け継ぐ、国選定阿波藍製造無形文化財・国指定卓越技術者 現代の名工・19代藍師・佐藤昭人さんに工場をご案内いただき「すくも」の製造工程を見せていただきました。

「すくも」の原料となるタデアイは3月にタネをまき、7月から8月に刈り取り、葉を1センチほどに刻んで天日干し、9月のはじめから11月末までむろ内に1メートルほどに積み上げむしろで囲って発酵させます。むろに入ると発酵により発生したアンモニア臭が充満していました。作業のタイミングは昔ながらの方法で行われ、タネまきはつばめが飛んだ1週間後、むろでの発酵開始はイチョウの葉が色づいたら、発酵温度の管理は膝でさわった肌感覚でむしろの枚数を増やすそうで、なんとも長閑ですが伝統を感じさせる凄いお話でした。


タネをとるため花が咲いたタデアイ、「すくも」作り用には花の咲く前の葉の状態で刈り取ります


むろの中に二つ「すくも」の山ができている。一つの山には6000坪のタデアイ畑から採った葉が使われています


発酵により70度ほどの温度になっています


壁の柱に作業記録が書き込まれていました


佐藤夫妻と友人夫妻と共に記念撮影

本藍染矢野工場

代表の矢野藍秀さんにご案内いただきました。化学薬品を一切使用せず、佐藤昭人氏が製造する「すくも」を使用した「天然灰汁発酵建てによる本藍染」という江戸時代から伝わる伝統技法で藍染めを行っており、その作品は2013年 4月放送 NHK大河ドラマ「八重の桜」のオープニング映像に使用されています。

「藍染め」の種類
1)藍染め:化学染料使用のものも含む
2)本藍染め:は天然藍(タデ藍、琉球藍、インド藍)を使用したもので、藍建ての方式として苛性ソーダやハイドロサルファイトなどの化学薬品を使用する化学建ても含む
3)本建て(地獄建て)・正藍染め:タデ藍の『すくも」を使用し、灰汁のみで藍を建て、染液の維持に麩や貝灰以外を用いない

工房には16の藍がめが並び、かめの中には綺麗な「藍の華」が浮いていました。九州など他の藍染め工房では藍建てにあたり灰汁の他に発酵促進のためお酒が添加されていましたが、矢野さんは灰汁しか使わない古来の手法にこだわっています。それだけに化学染料や化学薬品を使用した化学建てによるものが「藍染め」として広く流通し「色落ち」など問題を起こしている現状に本来の「藍染め」が誤解されていると憂いておられました。


灰汁を加え


竹の棒で攪拌する


藍の華がさいています


九州宮崎の藍染め工房、こちらも佐藤さんの「すくも」を使用していますが、発酵促進のため日本酒を添加しています

無地染め、絞り染め、型染め、ローケツ染め、糸染めなどの技法を駆使し、絹、木綿、麻、木材、皮革などの天然素材であれば、全て染めることが可能だそうで、今回はコードバン(馬の尻皮)を染められていました。


コードバン(馬の尻皮)を何度も藍がめに入れていました


藍染めのグラデーションが美しい


矢野さんの藍染めのTシャツ、良い色合いですね

次に阿波の藍染めに使われる藍がめを制作している阿波大谷焼の窯元に行きました。

森陶器

国の有形文化財に登録されている日本最大級の登り窯をもつ大谷焼の窯元、藍染めの甕や水琴窟の甕などをはじめとする大きな甕を作る際、「寝ろくろ」(2人一組で1人が甕の成形し、1人が寝ころんで足で蹴りながらろくろを回す製法)という大谷焼独自の技法が使われることでも知られています。しかし、昭和20年代後半からは生活様式の変化に伴い、大甕の製造に加えて日用品などの小物を多く作るようになったそうです。登り窯を中心とする広大な敷地に大甕などが敷き詰めら壮観です。


登窯

その後、お遍路八十八ヶ所のスタート地点 一番札所・霊山寺にお参りしました。

昼食は地元で有名な活魚料理「びんび家」で美味しい魚をいただきました。


びんび」とは、徳島の言葉で「ピンピン跳ねる新鮮な魚」を意味しています


新鮮な魚料理と鳴門わかめたっぷりの味噌汁で大満足です

昼食後、鳴門の渦潮を見に行きました。


四国と淡路島を結ぶ大鳴門橋


大鳴門橋遊歩道「渦の道」全長450mを歩き展望台へ


高さ45メートルの展望台からの眺め。残念ながら渦は巻いていませんでした。

アオアヲナルトリゾートから高速バスに乗り京都へ


淡路島からの夕陽

京都

翌朝、京都駅に隣接する伊勢丹デパート内の美術館で「芭蕉布 人間国宝平良敏子と喜如嘉の手仕事展」を見ました。

芭蕉布は、沖縄本島の北部に位置する大宜味 (おおぎみ) 村の喜如嘉 (きじょか) を中心に作られるバナナの仲間である糸芭蕉 (イトバショウ) の繊維から糸を紡ぎ織られた布です。とんぼの羽のように透けるほど薄く軽いと評され、王族の衣服や士族の役人の制服として庶民の普段着や晴れ着として幅広く利用されてきた。また、琉球王朝から中国や江戸幕府への献上品としても使われました。

第二次世界大戦中・戦後にかけて衰退し消失の危機にありましたが、民藝運動家で染織家の外村吉之介氏に師事し、民藝や染織について学んだ平良敏子さんが沖縄の織物を守り育ててほしい」という声に応えて復興、「喜如嘉の芭蕉布」の名で国の重要無形文化財、経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されています。

糸芭蕉から繊維をとり糸を紡ぎ布を織るという途方も無い手間と織り上がった布の類まれな美しさに感嘆し京都にまで来た甲斐があったと思いました。


黄地 絽織 経縞


帯地「藍コーザー アササ」

相国寺

次に相国寺に行き「秋の特別拝観」と承天閣美術館の「若冲と応挙展」を見学しました。長蛇の列を覚悟して行ったのです意外にもがらがら、紅葉には少し早くもみじも緑ですがお庭が美しく、ゆっくり拝観できました。


法堂(ハットウ)我が国法堂建築の最古のもので、天井画「鳴き龍」画の下で手を叩くと堂内に大きく響きました


表方丈庭園、南側は白砂を敷き詰めただけの簡素な庭です

裏方丈庭園、北側は深山幽谷を表した枯山水の庭です

開山堂庭園、開山夢窓国師の木像を安置している堂で、その南庭は「龍渕水の庭」と呼ばれる石庭です

開山堂の入口に近い堂内の壁の片隅にとても可愛いい子犬の画があり和みました。


円山応挙筆 仔犬図 杉戸絵

次に承天閣美術館で「若冲と応挙’」展を見ました。

 

第1展示室:伊藤若冲が相国寺に寄進した「釈迦三尊像と動植綵絵」動植綵絵は複製(実物は宮内庁)ですが相国寺の法要で使用されているものです。若冲らしく細密で色鮮やかです。


釈迦三尊像


動植綵絵

第2展示室:伊藤若冲の水墨による障壁画と丸山応挙の代表作で重要文化財の「七難七福図巻」
「七難七福図巻」は三井寺裕常門主の依頼を受けて描いたもので、任王経にもとづき人の七難七福のありさまをイメージ化したものです。全三巻からなり、それぞれ天災、人災、福をテーマにしており、依頼者の祐常によって描かれた下絵、それを受けた応挙の画稿、そして完成した大作絵巻を比較して見ることができ大変勉強になりましたが、人災や天災の画は応挙の上品な作風からは想像できない壮絶かつ残酷な描写で、こんな応挙があるのかと驚きました。


伊藤若冲「鹿苑寺大書院旧障壁画 月夜芭蕉図床貼付」


丸山応挙 七難七福図巻 福寿巻(部分)


丸山応挙 七難七福図巻 天災巻(地震部分)

午後、京都駅から新幹線で東京に帰りました。

世界の染織り工房を回る旅の一環として、今回「藍染め」の染料「すくも」がどのように作られているのかを現地で見ることができ大変勉強になりました。すくも作りの佐藤さん、藍染めの矢野さん、懇切丁寧にご案内いただき誠にありがとうございました。

徳島では徳島市在住の友人夫妻のおかげで藍染工房だけではなく窯元や寺院さらに鳴門の渦潮までご案内いただき大変感謝しております。おかげさまで大変充実した旅行となりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

信州(駒ヶ根・岡谷・茅野)

今回の旅の目的は、長野県の駒ヶ根で伊那紬工房、岡谷で蚕絲博物館、茅野で諏訪大社上社(前宮&本宮)を訪問することです。

駒ヶ根

新宿から特急あずさ号で岡谷まで2時間、飯田線のローカル鉄道で1時間、駒ヶ根まで合計3時間半ほどかかりました。なお駒ヶ根は中央アルプスの玄関口で駒ヶ根ロープウェイで行ける千畳敷カールで有名です。

伊那紬の織元(久保田織染工業)

長野県は「蚕の国、絹の国」と呼ばれるほど、養蚕業・織物業が盛んでした。松本紬や上田紬が有名ですが総称して「信州紬」と呼ばれています。伊那地方の天竜川沿いでつくられる「伊那紬」は、そのうちのひとつ。かつては約120の工房が存在していたものの、現在唯一生産を続けているのは、明治43(1910)年創業の久保田織染工業のみ、いまでもその技術を受け継ぎ、糸づくりから手織りでの仕上げまでを、すべて自社内で行っています。この度は4代目となる久保田貴之専務に工房をご案内いただきました。

伊那紬は草木染による先染めが特徴で、信州らしく「りんご」「やまざくら」「しらかば」などの乾燥された木の皮が並んでいました。経糸(たていと)を自社生産しており、製糸工場から納められる綛(かせ)の状態の糸をボビンに巻く「糸繰り」、目的の太さにするために2本の糸を一緒に巻き取る作業を数回行う「合糸」、それに撚りをかける「撚糸(ねんし)」という工程を行う機械が並んでいました。ここまで自社で行う工房は見たことがありません。糸づくりにかける並々ならぬ思いを感じました。

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二階には高機が列び手織りの音がなりひびいていました。緯糸(よこいと)には岡谷の宮坂製糸所の紬糸(つむぎいと)が使われ、美しいグラデーションの織物が織られていました。

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最後に作品を拝見し、端切れを分けていただきました。良い生地をいただきましたので今後のクレイジーキルト作品つくりに活かしていきたいと思います。

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伊那市

駒ヶ根から電車で25分、伊那市に移動し駅前のホテルに泊まりました。伊那市は南アルプスと中央アルプスに挟まれた谷間の街です。夜は居酒屋で信州料理と地酒を堪能しました。

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岡谷蚕絲博物館

翌朝、岡谷に移動し岡谷蚕絲博物館を訪問しました。岡谷地方は、上田と共に、信州でも最も製糸業が栄えたところで、蚕絲博物館では、世界遺産の富岡製糸場で使われた最初のフランス式繰糸機(日本で唯一現存)や、明治時代に開発され全国に普及した国産の諏訪式繰糸機など貴重な3万点もの機械・絹製品・資料が展示されていました。石川県の牛首紬の工房で座繰繰糸機による繰糸を見てきましたが、条数を4条/6条/8条/多条と増やす工夫や、繭を茹でる工程の分業化、繊度自動感知器の発明により新しい繭の糸が自動で追加される自動繰糸機が開発され、生産性が飛躍的に向上した歴史をはじめて知りました。製糸に特化したこれほどの博物館は世界でも他に例をみないのではないかと思います。

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1936(昭和11)年に描かれた岡谷市街地の鳥瞰図、街じゅう製糸工場です

宮坂製糸所

次に博物館に併設された宮坂製糸所を見学しました。岡谷は近代製糸業発祥の地であり、明治から昭和初期にかけては日本の生糸生産量の三分の一を占めるほどの活況をみせ、重要な輸出産業として日本の近代化に果たした役割はきわめて大きなものがありました。しかし最盛期には300の製糸工場が立ち並び労働者が50000人もいましたが、製糸業の衰退により現在岡谷では宮坂製糸所のみとなってしまったようです。

宮坂製糸所は昭和3年に創業、伝統的な諏訪式と上州式の座繰繰糸機と最新式の自動繰糸機が列び伝統的な生糸の生産方式が系統的に残されている日本で唯一の製糸工場で、年間約1トンの生糸、織物で約千反分を生産しています。注文された糸の質(均一・紬・ソフトなど)と量(少量・大量)により伝統的な繰糸機と自動繰糸機を使い分け職員の配置を柔軟に変更しています。

諏訪式繰糸機で二人の女性が繭から糸をひいていました。茹でた繭10頭から糸を引き出し1本の糸にして巻き取る作業はいくら説明を受けても何をしているのか見分けられません。正に神業です。自動繰糸機も壮観です。茹でられた繭が小分けされてベルコンベアで流れてきて、10頭の繭から糸を引き出し1本の糸にまとめるのは手作業ですが、糸が足りなくなると自動的に感知して新しい繭を追加し、殻になった繭を排除する、という作業が自動なのです。すごい発明です。この機械がニッサン製でした。なんとニッサン製の繰糸機で紡いだ糸をトヨタ製の自動織機で織っていたのです。

多種多様な自動繰糸機(FR型小型自動繰糸、銀河シルク繰糸、極細生糸繰糸など)を見た後、高齢の男性からシルクを使った石鹸や繭の種類の説明を伺いました。実はこの方はなんと宮坂製糸所会長の宮坂照彦さんだったのです。大変丁寧なご説明をうけ感激いたしました。見学後、ファクトリーショップでお買い物。ここの商品も素晴らしいものでカラフルで魅力的な小物が沢山ありまいした。

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岡谷名物うなぎの昼食

浜松で生まれたうなぎの稚魚が、天竜川をのぼってきて、諏訪湖で育ったため、昔からうなぎを食べる文化があったそうです。岡谷のうなぎの特徴は①関東風で背開き②蒸さない③炭火で焼くです。大変美味しかったのですが、蒸さないのでやや油っぽく味も濃いため、人によっては好き嫌いがあると思います。

諏訪大社

諏訪大社は二社四宮からなり茅野に上社(前宮と本宮)下諏訪に下社(春宮と秋宮)があります。下社は以前お参りしたことがあるので今回は上社にお参りしました。

諏訪大社上社前宮

茅野駅から2.6キロタクシーで10分ほどの高台にあり豊富な水や日照が得られる良き地で、御祭神が最初に居を構えられ、諏訪信仰発祥の地と伝えられています。他の3宮と異なり規模も小さく簡素ですが四本の御柱を間近に見ることができ最も神秘的です。本殿の横を流れる小川「水眼(すいが)の清流」が神聖な気を宿しているように感じました。

 

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諏訪大社上社本宮

我国最古の神社の一つであり、全国一万有余の諏訪神社の総本社です。幣拝殿と片拝殿のみで本殿を持たない諏訪造りという独持の様式です。

 

前宮に比べると大変大きな宮で建物も多く立派です。北参道の石の鳥居をくぐって境内に入ると正面に一之御柱が見えます。手水舎で手を清め、順路に従い左まわりに雷電の像・神楽殿と歩くと二之御柱がありました。布橋門をくぐって布橋を歩くと神妙な気持ちになりました。参拝所への道が北参道から直進せず迂回して横から入るという変わったレイアウトでした。調べてみると御神体である社殿背後の山(守屋山)に向いているためとか、神仏混合時代の寺社の配置が明治の廃仏毀釈により変更されたためとか、の説がありました。四本の御柱を四方に建てる理由も定かではありません。地元の年配の方に聞いても分かりませんでした。しかし7年に一度、寅と申の年に行われる御柱祭には上・下の二社に別れそれぞれ数千人の氏子によって、八ヶ岳の麓から切り出された17メートルを超える大木を宮まで道路を封鎖し川を渡り人力で引き、宮の四隅に建てる神事は平安時代以来1200年も続き、氏子たちはこの時期になると「血が騒ぎ」危険も忘れ神木に乗らないではいられないそうです。

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タクシーで茅野駅に戻り特急あずさで帰路につきました。

おわりに

2020年に長野県の松本紬と上田紬、2021年に茨城県の結城紬、2022年に石川県白山の牛首紬の工房をめぐり、今回伊那紬の工房を見学することができました。紬は紬糸を使い手機で織ることから独特な風合いがあり日本の伝統文化を体現させた素晴らしい織物です。洋装化の進捗により和装が非日常化したため各地の染織工房も激減しています。その中で伝統を守りながら経営努力されている久保田織染工業さんに敬意を表します。いままで染と織りの工程を中心に見てきたため、その前段の糸の工程を今回詳しく見ることができ大変勉強になりました。岡谷蚕糸博物館の繰糸機コレクションと宮坂繰糸所の動態展示という素晴らしい組み合わせは世界に誇れるものだと思います。是非インバウンド観光の目玉の一つとして海外にプロモーションすべきだと思います。また染織関連グッズは海外みやげに最適だと思いました。

 

 

栃木・茨城(馬頭温泉と結城紬)

栃木県の馬頭温泉に泊まり紅葉と夕日を楽しみ温泉で養殖したトラフグのコースを堪能し、翌日は以前から行きたった茨城県結城市で結城紬を見学してきました。

馬頭温泉は宇都宮から普通電車で二駅先の氏家から車で30分ほど東に走った那珂川のほとりの温泉郷です。付近にゴルフ場が多いことからゴルファーの方には知られているようですが観光地としてはあまり有名ではありません。アルカリ単純泉とナトリウム塩化物泉の2種類の源泉があり、ナトリウム塩化物泉(塩分濃度1.2%、海水3.6%の1/3程度で生理食塩水0.9%に近い)を利用してトラフグの養殖をしていました。
http://www.ganso-onsentorahugu.com/

氏家で昼食をとりタクシーで馬頭温泉まで行き付近の観光をしました。

いわむらかずお絵本の丘美術館

14ひきのねずみシリーズで有名な絵本作家のいわむらかずお先生の美術館です。入館すると最初の展示室にシリーズの代表作の「ねずみのでんしゃ」の拡大版が置かれていました。この作品は横須賀市長沢に住んでいたころご近所付き合いをしていた児童文学の山下明生先生といわむらかずお先生が我が家やご近所の子どもたちをモデルにねずみの子供の物語として合作されたものです。展示された絵本や原画を見ながら今では40代になった子供たちに絵本を読み聞かせていた若かりし日々が思い出されました。

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乾徳寺

室町時代に開基された曹洞宗の禅寺です。山門は武茂城の表門を移築したもので県指定文化財に指定されています。
紅葉が真っ盛りで建物や石仏などに映えて美しいお寺でした。

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馬頭院

1217年に創建された古刹、水戸光圀により十万石の格式を授与され朱印寺となった格式のあるお寺です。境内にはたくさんのサクラ、ツバキ、ボタン、ツツジ、モミジなどの花木が多く「花の寺」としても親しまれています。

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鷲子山上神社(とりのこさんじょうじんじゃ)

県境が大鳥居の中央、並びに奥の御本殿の中央を通るという全国でも珍しい神社です。御祭神は、天日鷲命(アメノヒワシノミコト)といわれる鳥の神様で、古い時代よりフクロウが大神様の御使い・幸福を呼ぶ神鳥として崇敬され「フクロウの神社」と呼ばれています。多くのフクロウ像があり、運気上昇・金運の福徳・
パワースポットとして、全国より多くの方々が来山されているそうです。

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馬頭温泉 南平台温泉ホテル

那珂川を見下ろす丘の上のホテルです。アルカリ度の高いヌルヌル透明の湯と那須連山から日光連山を見る夕日が美しい宿でした。温泉で養殖したトラフグのコース料理をいただきました。玄界灘の荒海で育ったものと比較すると身のしまりが今ひとつですが美味しくいただきました。

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二日目

宿の送迎バスで氏家にでて小山を経由して結城に行きました。駅前の結城市観光物産センターに立ち寄り結城紬の工房を見学できないかを相談したところ、工房は無理でしたが結城市伝統工芸館を紹介していただきました。

結城紬(ゆうきつむぎ)

日本三大紬(大島・結城・牛首)の一つに挙げられ、①蚕の繭をゆでて糸をとる通常の方法ではなく繭から袋状の真綿(まわた)を作りそれから手作業で糸を紡ぎ②手作業で糸をくくって絣模様を先染めし③地機(じばた)という原始的な織り機で織るという3工程が国重要無形文化財に指定されユネスコ無形文化財に登録されています。
https://story.nakagawa-masashichi.jp/craft_post/119997

結城市伝統工芸館

茨城県本場結城紬織物協同組合の小島理事長から結城紬の制作工程を詳しく解説していただき、天皇陛下の前で機織りの実演をされた技術保持者の野村さんから地機による機織りを見せていただきました。

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つむぎの館

結城紬はそれぞれの工程が分業化され結城市内に10軒ほどある問屋(縞屋と呼ばれる)が生産をコーディネート(真綿の仕入れ、糸取り・糸染・機織り業者の発注)しマーケティング(販売)を行う体制になっています。結城市伝統工芸館を見学したあと結城市内に戻り問屋の一つ「奥順」を訪問しました。博物館・工房・展示場を総合した「つむぎの館」という施設を運営しており結城紬の歴史、制作工程や多彩な織物を見ることができます。
http://www.yukitumugi.co.jp/about/

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結城市観光物産館センターで購入した結城紬のスカーフ

あとがき(結城で学んだこと)

1.紬(つむぎ)はつむぎ糸を使用した絹織物ですが、本来つむぎ糸は繭から直接糸がとれない欠陥のある繭(玉繭)から作る真綿(まわた)から手作業でよりをかけずに糸をつむいだものです。しかし現在ではその風合いの良さから玉繭に限らず正常な繭からも敢えて手間のかかる方法で作られています。

2.結城紬で使用する真綿は福島県伊達市保原の「入金真綿」が使用されています。
http://www.honmono-yukitsumugi.jp/entry/64

3.「糸つむぎ」「絣くくり」「地機織り」という3工程は分業化されており、結城市内に10軒ほどある問屋(縞屋と呼ばれる)が全体の生産をコーディネート(真綿の仕入れ、糸取り・糸染・機織り担当の業者への発注)し販売(マーケティング)を行っています(本場結城紬卸商協同組合

4.製品は問屋ブランドとして販売され製作者の氏名は基本的に表にでません。したがって製作者(作家)に会いたい場合は問屋を通さないと実現しないことが分かりました。今回は幸いにも結城市伝統工芸館にて生産者である茨城県本場結城紬織物協同組合の小島理事長と技術保持者の野村さんにお会いでき直接お話を伺えて幸いでした。ご紹介いただいた結城市観光物産センターの栗原さんに心より感謝いたします。

5.今回は平日(木)の訪問でしたが駅前をはじめ市内のほとんどの店が閉まり人通りもなく閑散としていました。新型コロナによる観光客減少や木曜定休日の店が多いという事情を勘案しても寂しい限りでした。結城に行くなら土日が良いようです。

動画版(9分)もご覧ください

ミャンマー(ヤンゴン、インレー湖、バガン)

ミャンマーに行ってきました。インレー湖のはす糸織物工房とインレー湖周辺の村で5日に一度開かれる五日市を見に行くことにポイントを置いた、ヤンゴンに1泊、インレー湖に2泊、バガンに2泊、ヤンゴンに戻り1泊する6泊8日の旅です。

こちらをクリックして旅行記をご覧ください