北海道に行ってきました

今回の主目的は二風谷コタンのアイヌ織物・刺繍と伊達紋別の藍畑を見に行くことです。

羽田から札幌まで航空機、空港から苫小牧まで鉄道で移動し、苫小牧に二泊しました。


部屋からの苫小牧駅前広場、反対側には王子製紙の工場が見えました。

夜は苫小牧名物のホッキ貝を堪能しました。

JR日高本線で終点の鵡川(むかわ)まで30分、タクシーで平取町二風谷(びらとりちょう にぶたに)まで25分

二風谷コタン

北海道内の多くの地域においてアイヌが少数派になってしまった状況のなか、二風谷地域は現在に至るまでアイヌが多数派を占めている特別な地域で、極端に観光地化されることなく、アイヌ文化が生活の中に色濃く残っています。平取町郊外の二風谷にはアイヌ文化関連施設が集約された二風谷コタンがあり、平取町立アイヌ文化博物館や沙流川歴史館、平取町アイヌ文化情報センター等の施設の他、多くのチセ(家)が復元されています。

二風谷アイヌ文化博物館

貴重なアイヌ文化を正しく受け継ぎ、未来へと伝えていくことをコンセプトとし、平成4年に開館しました。館内は4つのブースにわけられ、人間と神と自然(大地)が一体となって営まれるアイヌの暮らしと文化をそれぞれの側面から伝え、視覚・聴覚をフルに使って楽しめるよう工夫されています。現在入口に映画「ゴールデンカムイ」の主要キャストが使用した衣装が展示してありました。豊富なコレクション(重要有形民俗文化財指定919点)と素晴らしい展示(レイアウト、照明、説明など)で大変見やすく素晴らしい博物館でした。特にアイヌ衣装が豊富に展示されておりアイヌ織物(二風谷アットウシ)と刺繍にアイヌ文化の精華を見ました。

萱野茂 二風谷アイヌ資料館

アイヌ初の国会議員となった萱野茂氏が40年にわたって収集した個人コレクションを展示。館長ご夫妻の近年の作品をまじえた新旧の資料群が、所狭しとケースに陳列されていました。奥様が制作されたアイヌ衣装は大変美しくご主人への愛情の深さを感じました。

アイヌ工芸伝承館ウレㇱパ

アイヌ工芸の伝承を進める場として開設されました。「匠の道」に立地しています。第一線で活躍する工芸家も創作活動に利用しているため、その技術を見ることができます。また、レーザー加工機といった最新の設備も導入され、アイヌ文様入りオリジナルタンブラーやマグボトルといった様々な体験プログラムを提供しています。残念ながら工芸家による創作を行うところは見ることはできませんでした。

平取町アイヌ文化情報センター

一角が工芸館になっており、作家たちが丹精込めて作った本物の「二風谷イタ」や「二風谷アットゥㇱ」で作られた作品、製品を購入することもできます。

チセ(アイヌの家)

広場には9棟のチセが建ち、アワンチセでは木彫(イタ)、イワンチセでは刺繍、トゥペサンチセでは編み物の実演を見ることができました。

沙流川歴史館裏、にぶたに湖の眺め

長い夏がようやく終わり、急に秋がきました。アイヌ語で「ニプタイ(木の生い茂るところ)という語源の通り、二風谷コタンの周りはみどりにつつまれ、沙流川が流れる。まさに「ゴールデンカムイ」の世界でした。

翌日、苫小牧から伊達紋別まで鉄道で1時間、タクシーで15分、藍染の里の藍師4代目篠原一寿さんを訪問しました。

藍染めの染料(蒅)の生産は徳島が最大の産地で二番目が北海道ですが、北海道の生産は篠原さん一人で行なっています。徳島は藍の栽培と蒅の生産は分業ですが、篠原さんのところは藍の栽培から蒅生産まで一貫して行なっています。

現在、藍畑は蒅用が約7ヘクタール、翌年の種用が約3ヘクタール。4月上旬にポットに種をまき、15cmほどの苗になるまでビニールハウスで栽培。5月下旬~6月上旬から苗を畑に移植する。50~70cmほどに成長したら、花が付かないうちに収穫。通常、8月に一番刈り、9月末~10月中旬に二番刈りを行う。天気次第だが、畑にそのまま4日ほど置き、自然乾燥させた葉を伊達では4カ月かけて熟成させて蒅を生産していく。蒅が完成するのは2月末、冷めてから脱穀機にかけて出荷できるのは3~4月だそうです。

自宅裏の種用の藍畑にご案内いただきました。

藍は肥料を食う作物で、徳島では江戸時代から吉野川の氾濫による肥沃な土壌で栽培されていました。当時は近海で取れるイワシを乾燥させ肥料として入れていたが、不漁により道産の鰊粕を求めるようになりました。農民たちにとって遠方からの肥料は高価過ぎたのでしょう。明治時代、徳島県人は広大な大地と安価な鰊粕を求めて北海道に移り住むようになったそうです。篠原家は明治28年ころに徳島から北海道に移住し藍栽培を行い、最盛期には160~180ヘクタールの耕作面積を誇っていました。やがてインド藍やドイツの人造藍の輸入などに押されて国産藍の価格は下落し全国的に藍の生産は衰退、戦後は農地解放で耕作地も減少、など様々な理由から一時は藍の栽培と蒅の生産を止めていたが、祖母のかめさんが将来のために守ってきた種で一寿さんが復活したそうです。

藍の花には徳島由来の「白花」と一寿さんが導入した「赤花」そしてそのハイブリッドの「ピンク」があるそうです。

種をいただきました。来年自宅で蒔いてみようと思います。

篠原家の周りには多様が植物が生えており、 帰りに栗と葡萄をいただきました。

篠原家を退出し道の駅「だて歴史の杜」で昼食をとり、鉄道で新千歳空港まで70分、航空機で羽田に戻りました。

動画版(5分28秒)

終わりに

昨年11月に徳島の藍染めの染料(蒅)の工房を見学した際に北海道の藍生産について伺い、次は北海道に行こうと思っていました。また北海道を舞台とする映画「ゴールデンカムイ」を見てアイヌについて興味が湧き、藍畑とアイヌコタンを巡る旅行を企画しました。

二風谷コタンは予想以上に素晴らしくアイヌ文化を学びゴールデンカムイの世界を体験できました。よくこれだけの施設を建築し維持しているものだと感服しました。

アイヌ衣装の制作実演で「土台となる布にアップリケ用の布をしつけをする」という制作方法がハワイアンキルトに似ていることに驚きました。よく見るとアップリケ用の布にパターンを描いてから土台となる布にしつけをして、模様となる部分を残しながら余分な部分は切り取り、アップリケをしていました。ハワイアンキルトはアップリケのパターンを切り上げてから土台布に広げ、しつけをして制作を進める点が異なっています。ハワイアンとアイヌ、南と北に遠く離れていますが、合い通じるものがあるとは興味深いものです。

藍篠原の篠原さん、見ず知らずの老夫婦の見学希望をお受けいただき、丁寧にご案内いただき誠にありがとうございます。一度絶えた藍と蒅の生産を再開し全国の藍染め産業を支えている真摯な姿勢に感服しました。健康に留意され今後もますますご活躍されることをお祈りします。

次は、奄美大島に大島紬と田中一村の描いた風景を見に行こうと計画しています。

 

 

 

 

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