スペイン刺繍の源流は3つあります。一つ目は8世から15世紀にかけて約800年間続いたイスラム教徒支配の時代にアフリカ大陸から伝来したモロッコ刺繍、二つ目は1492年に完了したレコンキスタ(国土回復運動)でスペイン全土がキリスト教徒の支配下になった時代にイタリアから伝来した教会金糸刺繍、三つ目は15世紀から17世紀の大航海時代にフィリピンを経由して伝来した中国刺繍です。
これら三つの刺繍を求めて、トレド県のラガルテラ、ムルシア県のロンダ、アンダルシア州のセビリアに行ってきました。
ラガルテラ(Lagartera)
首都マドリッドから約160キロ、トレド県の人口1400名ほどの小さな村です。スペイン刺繍の主要生産地で9軒の刺繍工房があります。ラガルテラの伝統的な刺しゅうの特徴はイスラムの統治による影響を受けたアラビックとアラベスクの紋様が主体です。ステッチはサテンステッチ、ダブルランニングステッチ(ホルベインステッチ)を軸にしてアウトラインステッチや他のいくつかのステッチをプラスして色彩はシンプルで上品です。テーブルクロス、ナプキン、ベッドカバーなど全て手刺しゅうで仕上げられた実用的な物です。
オロペサ (Oropesa)
ラガルテラの最寄り駅オロペサはマドリッドから2時間ほど、陶器やタイルの産地で有名なタラベラの隣です。ラガルテラには小さなホテルしかなく祭礼時期で予約困難なこともありオロペサのパラドール(国営ホテル)に泊りました。
駅からタクシーでパラドールまで5分ほど、オロペサの古城の館を改装したものでスペイン全国に90以上あるパラドールの中でも屈指の建物の美しさかと思います。広大な景観を一望できる高台に位置して内装、空間、色彩、調度品、絵画、そして目の前には古城とスペインの歴史書などの中から膨らむイメージを楽しむことができます。チェックインを済ませ隣接するオロペサ城に登ると360度視野の熱くドライなスペインの大地と村の渋いオレンジ色の屋根の甍、幾つもの教会の尖頭、スーっと伸びる糸杉、カジェ(通り)に沿ってバル(居酒屋)や店が並んでいる村の構成を見ることができます。
夕食は歩いて10分ほどの旧市街の広場に面したバル(居酒屋)のテラスです。スペインのレストランは早くても20時半頃からオープンと遅く、それより早めに食事をするのであればバルでとることになります。外国人観光客の姿は見えません。地元の人たちが家族で、仲間同士で、テーブルを囲んでいます。2人分の量を注文すると多すぎますので3品(前菜・サラダ・魚料理)をオーダーしシェアー、後はビールとワイン、それで十分でした。日没は21時頃ですから明るく野外のテラスが快適です。静かな素敵な村でした。
ラガルテラの聖体祭(Corpus Chiriti)
6月の第4日曜日にCorpus Christ(聖体祭)というキリスト教の祭りがあります。各家々の正面入り口が代々家宝としている大切な刺繍布や貴重なチンツの布で飾られ祭壇をしつらえます。11時頃から人が集まり始めてカジェ(通り)は人人人でごった返す賑わいとなりました。12時から始まる教会のミサに村人は民族衣装を着て参加し、その後祭壇で飾られた通りをパレードします。司祭は飾られた祭壇を一軒づつ祝福して回ります。
私たちは朝早めにホテルを出て10時過ぎに村に到着、各家庭の飾り付けの様子を見たり、博物館へ行ったり、まだ人数の少ない村の中を散策しました。民族衣装で身支度を整えた女性たちのなんと美しいこと。撮影の許可をお願いすると可愛らしくポーズを取ってくれました。パレードが終わると飾り付けはすぐに撤収されました。
刺繍されたクロスや小物を販売するお店で店主と話をしていると、店主が民族衣装を纏った知り合いの女性を店内に招き入れ衣装について説明してくれました。特にリボンについてはビックリです。おばあさんが絹の布に手で刺繍をして仕立てたものでした。スカートは5枚ほど重ねて着用してふっくらとした形を作っていました。飾り付けを撤収した後の家々の入り口からは石造の家屋をパティオ(中庭)を植物が彩り日常の姿を見せてくれました。
聖体祭(Corpus Chiriti)
博物館(Municipal Museum ‘Marcial Moreno Pascual’)
ラガルテラ刺繍(Embroidery of Lagartera)
ブルーの糸で刺しゅうされたクロスは29年前(1993年頃)に購入、赤の糸で刺しゅうされたクロスは今回(2022年)購入しました。デザインベースは変わっていません。同じお店です。後の椅子に座っているご婦人が現役の頃に訪ねたのだと思います。今回はテーブルナプキン(セルビジェータス)を入れるためのセルビジェーロやピンクションなど可愛らしい小物もマスターのお勧め品でした。
動画
ロルカ(Lorca)
ロルカは、州都ムルシアから約70キロ(バス1時間半)アンダルシアのグラナダから約205キロ(バス3時間半)、人口10万の古都です。
セマナ・サンタ(聖週間)の仮装パレードで有名な街です。今回訪問の目的はそのパレードで使用される精緻に刺繍された豪華絢爛な衣装を見るためです。京都の祇園祭のように地区ごとに山車や行列があり4つの地区同胞団の博物館がありそれぞれ衣装の展示があります。中でもMUBBLA. Museo de Bordados del Paso Blanco(白組)とMUSEO AZUL DE LA SEMANA SANTA. MASS(青組)の展示が素晴らしいとのことで訪問することにしましたが、開館時間がスペインらしく10:00-14:00と17:00-20:00となって14:00-17:00は休館します(シエスタですね)そこでこの時間を使ってロルカ城に登り城内のレストランで昼食をとりました。
夕方、まずMUSEO AZUL DE LA SEMANA SANTA. MASS(青組)に行きました。この博物館は最大規模で4階建になっており4階には刺繍を実際に行う工房があり窓越しですが見学できます。4階から2階までの展示は過去の作品が展示され1階には現在使用している作品が展示されているようでした。
次にMUBBLA. Museo de Bordados del Paso Blanco(白組)に行きました。
ここは1階のみの展示ですが見事な作品が並びます。特に奥の部屋は漆黒の闇に作品にスポットライトがあたるドラマチックな展示が神秘的でした。
翌日、見残した二つの博物館にいきました。ネット情報では開いているはずなのですがどちらも閉まっていました。
The Museo de Bordados del Paso Encarnado(赤組)インターホンで来訪を伝えると特別に開けてくださいました。展示だけでなく刺繍工房も見学することができました。刺繍をする皆さんはピンクの上下のユニフォームを着て作業に入ります。刺繍フレームには作業途中の金糸刺繍の作品がセットされていてデザインラインを描いた紙が糸で止められアルゴドン(コットン綿)を糸で包みながら立体的にしている場所、立体的になっている部分をオロ(金)糸で巻き込んでいる箇所、いろいろな制作過程が全部一つのフレームに見ることができます。複数の手による共同作業です。展示作品はあまり多くありません。シスター自ら刺繍のプロセスを説明してくださいました。大変嬉しく感激しました。
博物館を見学した後、近くの喫茶店でスペイン名物チュロス・コン・チョコラテ(揚げドーナツの一種のチュロスをホットチョコレートに浸けて食べます)の二度目の朝食を楽しみました(スペインでは朝と11時頃の2回朝食を取り、昼食は14時、夕食は21時-22時頃、一日4回食事を取るのです)。隣の八百屋さんに今が旬(5月から6月)のカラコレス(カタツムリ)が売られていました。フランスのエスカルゴとは違いスペインでは茹でて食べます。そういえばモロッコのスーク(市場)でも茹でたカタツムリが露天で売られ女性が立ったまま食べていました。
最後にThe “Nicolas Salzillo, Il Maestro” museum of the Paso Morado(紫組)を訪問しました。インターホンで来訪を伝えると関係者の方が対応してくださったのですが閉館中とのことで残念ながら見学は叶いませんでした。
翌年、聖週間のパレードを見るため再びロルカに行いきました。
グラナダから車で3時間、山上のロルカ城の一画に建つパラドールにチェックイン、ロルカ城を散策したあとホテルで休み夜のプロセッションに備えました。



夕方、タクシーで市内に降りて桟敷席に向かいました。桟敷はメインストリートの両側に650メートル10000席が設置された世界最大の劇場となっていました。
プロセッションは夜8時から深夜0時まで4時間通しで行われ参加者数千人、馬数百頭、馬車、フロート、神輿という想像を絶する大規模なものです。市内の教会に属す6つの信徒団(真紅組、紫組、青組、白組、黒組、緑組)がそれぞれ聖書の物語を基にした金糸刺繍を施した豪華な衣装や扮装をしたプロセッションを構成して行進します。
セマナ・サンタのプロセッションの定番である三角帽子の一団が先頭を行き、キリストとマリアの神輿が続き、最後にバンドがでるのは同じですが、ロルカで驚くべきはローマ時代の扮装をした騎士が馬に乗り巧みな馬術を見せ、馬車や戦車がが疾走するのです。このため道路には土が全面的にひかれ馬場になっていました。またエジプトやローマの物語(クレオパトラやシーザー)を演ずる扮装行列やフロートが入るのも特色です。
また桟敷席は信徒団毎に陣取っておりそれぞれのグループカラー(青、白など)のスカーフを付け、神を称える掛け声を大声でだし応援合戦をします。掛け声の音頭をとるのが子供であったりでびっくり、宗教的高揚が充満し、行列の参加者と桟敷席の応援団が一体となって更に興盛り上がり、最後にマリアの神輿が来ると空からは花びらが降り興奮は絶頂となりました。










4時間のパレードを14分23にまとめました。少し長いですが是非ご覧ください
セビリア
セビリアはフラメンコの本場です。フラメンコで使用される華やかな衣装や豪華なショールに刺繍が施されています。1565年から300年間スペインの植民地となったフィリピンから中国南東部で生産された贅沢な刺繍を施した絹のショールが到来し、その影響からManton de Manila(Manila shawl)が生まれアンダルシア地方の正装に使われるようになりました。
訪問したManuela Romeroは創業以来60年の老舗工房でセビリアのグアダルキビル川の西岸にあります。主にフラメンコや正装用の大判のショールやフラメンコ衣装に羽織る小さいショール、さらに現代の感覚を生かし多彩なものつくりにチャレンジしています。
三代目のお嬢様ファティマ(Fatima)先生に出迎えていただき刺繍の制作工程や作品を見せていただきました。工房での先生の印象は伝統を継承し丁寧な指導、制作をされている様子が工房訪問を受け入れ実際に接して下さった雰囲気で伝わってきました。温かい応対に感謝いたします。
デザインの説明とトレースの説明/アジア的なモチーフが主のようですね。スペインが進出した相手国からの文化や自然界から描き出されたデザインですね。
とても複雑で繊細なラインが描かれています。大きなショールの4分の1部分のデザイン画です。出来上がりサイズの布に4回この図面ラインをトレースすることになるのですね。OMGです。
完成しているショール/使っているステッチはストレートステッチ 1種です。
シルク糸の効果で美しいグラデーションが冴えます。ショールはかなり重いです。
とても丁寧に刺繍、グラデーションが綺麗。艶やかに華やかで上品な作品です
羽織らせてくださいました。ずっしりと重いです。きちんとしたスーツやワンピースに羽織ったら素敵でしょうね。
角枠に布を貼り下からライトを当ててデザインをトレースします。黒い布には白色のペンで、白い布には黒色のペンを使います。
表裏デザインが同じように出るようにするため糸に玉結びは作りません。
予定に入っていなかった突然のワークショップ。緊張しました。両手を使って刺繍します。わたしは普段左手が上、右手が下。先生は右手が上、左手が下。先生もわたしも右利きです。わたしの手の使い方にビックリしていました。ホントにあなた右利きなの?と3回くらい確認されました。
出来上がりはどうでしょうか?ぎこちない部分は笑って忘れてくださいね。
フリンジの説明です。たっぷり糸を使って編みあげてゴージャスに仕上げています。
ファティマ先生オリジナルの新作品です。多様な刺し方を取り入れています。これはリバーシブルではありません。
デザインを表現するために様々なステッチを使用、繊細なタッチで刺繍しています。
こちらの作品も羽織らせてくださいました。幸せな一瞬、ありがとうございます。フリンジもご覧ください
レースを取り入れゴヤの絵の一部分を刺繍し扇子(アバカス)のデザインに。
細かい部分を表現する場合は一本の糸をほぐして細くして刺繍しますとのこと
広げてみました。デザイン、刺繍テクニック そしてフリンジもお見事です。
作者の現代的センスを活かしたショール。良いですね。欲しくなってお値段を聞いてみました。ウン十万円でした。
フラメンコのドレスに羽織って使う小さめのショール。小さくても手抜きの無い上質のショールです。
色が変わると雰囲気もまた違った印象に。どんなドレスに合わせるのでしょうね。
おわりに
1993年から1995年6月まで3年ほど夫の仕事の関係でマドリッドで暮らしました。その後はなかなかスペインに行く機会がなく今回のスペイン訪問は四半世紀ぶりということになります。
スペインの刺繍を訪ねるべく調べてみると情報は非常に少なく、辛うじてラガルテラが刺繍の主要産地で聖体祭(Corpus Chiristi)で刺繍を沢山見ることができ、ロルカの聖週間(セマナサンタ)のパレードで使用される金糸刺繍を博物館で見ることができる。ということが分かりました。
更に調べると、2022年のラガルテラ聖体祭は6/19、ロルカの聖週間パレードは4/14-15であることが分かり、いろいろ考えて6/19のラガルテラ聖体祭見学をメインにロルカは博物館見学とする日程にしました。
ラガルテラの刺繍は技法的にはヨーロッパで一般的な行われるものでデザインは鳥や花、草や木など自然をモチーフにしたものやタイル模様や幾何学模様が多くみられます。モロッコ刺繍のデザインとも良く似ていて地理的歴史的なつながりを強く感じました。手刺繍ですが価格もそれほど高くなく実用的でスペインの家庭で一般的に使用されています。しかし聖体祭で見た刺繍はレベルが違いました。パレードの沿道に設置された祭壇とその周りの装飾として飾られた刺繍は各家の家宝で素晴らしいものでした。また民族衣装に使用された刺繍も精緻で美しく他では見ることができないもので遠路はるばる来た甲斐がありました。
ロルカの刺繍は実用的なものではなく宗教的なものでした。祇園祭の山鉾の装飾に絢爛豪華な刺繍がされているのと同じ様に、聖週間(キリストの受難、つまり磔によって処刑された日からキリストが復活するまでの苦しみを思い、信者としての内省を行うための1週間)にパレードが行われ、ローマ皇帝、エジプト軍、そして重厚な山車に乗ったローマの神々に扮した人々のほか、クアドリーガ(馬4頭で引く戦車)や馬術家、刺繍が施された素敵なマントを身に着けた聖母像、豪華な幟などが集まります。
これらの豪華な衣装や幟は四つのチーム(白、青、赤、紫)がそれぞれ制作し聖週間の他の期間は博物館に展示されます。今回は四つの博物館の内三つの展示を見ることができ、二つでは刺繍工房を見学することができました。刺繍の技法は金糸刺繍でキリスト教会の衣装や装飾に使用されるものでイタリアの修道院で見たものと同じでした。
もう一つ刺繍の道です。以前メキシコの刺繍の伝播に触れヴォーグ社発行のステッチデイに書かせていただきました。今回、教会のシスターさん達の刺繍する様子を拝見することが出来ました。中米メキシコへスペインが進出した頃、修道院のシスターたちもメキシコに渡りご当地の女性達に刺繍を伝えたのだと私の内の刺繍の道ストーリーにつながりました。
スージー 杉 2022年7月記










































































































































































































































