2005年に中米グアテマラを旅行した時にラテンアメリカに絣織り(IKAT)があることを知りました。そしてその起源はインドで、東は東南アジア諸国を経由して日本に伝わり、西は中央アジア諸国を経由してヨーロッパに伝わり、更に中南米に伝わったと知り、以来、絣織り伝播の道を現地に訪ねる旅を始め、2011年その起源であるインド北西部をめぐる旅にでました。

絣は糸を防染糸で縛って(括り)先染した糸を使った織物で7~8世紀頃にインドの北西部ラジャスターン地方で発祥したと伝えられています。経(たて)糸を括った経絣、緯(よこ)糸を括った緯絣が一般的ですが、経糸と緯糸の両方を括った経緯絣が技術的に最も高度でインドでは現在グジャラート州パタンのパトラ織工房でのみ織られています。

今回の旅行ではグジャラート州パタンと手工芸が盛んでテキスタイルの聖地と言われるパキスタン国境に近いブージとバン二エリア(カッチ大湿原)をめぐる日程としました。

デリー Delhi

日本を11時半に発ち、インド航空の直行便で10時間、18時にニューデリーに着きました。翌日、市内にでると象が歩いていました。さすがインドですね。専用車で世界遺産クトゥブミナール(世界一高いミナレット)、ムガール建築の傑作世界遺産フマユーン廟、ラージガート(マハトマ・ガンジーの火葬された場所)をまわり、最後に国立工芸博物館を訪問しました。インド各地の住宅やオブジェが野外展示され伝統工芸や織物を見ることができ大変勉強になりました。

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

アーメダバード Ahmadabad

ニューデリーから空路グジャラート州のアーメダバードに移動しました。英国統治時代から綿織物工業が盛んでインドのマンチェスターと呼ばれた工業都市です。またマハトマ・カンジーがインド独立運動の拠点としたことや、イスラム建築、ヒンドゥー教、ジャイナ教の寺院の彫刻が優れていることから世界遺産都市に認定されています。

ガンジーの活動拠点のガンジー・アシュラムではガンジーが綿糸を紡いだ場所を見ることができました。アーメダバード最大のモスク、ジャママスジットでは礼拝堂の中に装飾された260本もの石柱がぎっしりと立ち並びスペイン・コルドバのメスキータのようでした。その後ジャイナ教(信者が人口比0.4%)の寺院を訪問し寺院全体に施された精緻な彫刻をみました。

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

キャリコ 織物博物館 Calico Museum

世界的に有名な織物館でインドの染織りや刺繍の宝庫です。3年の歳月をかけて作られたカシミールのショールや、10万本もの糸を1本1本染め上げて織り上げたダブルイカット生地など、すべて手作りで 500 年以上前のもの、信じられないほどの妙技と贅沢を示す驚くほど美しい作品です。1回25名のガイドツアーのみで、ようやく予約して見ることができました。残念ながら撮影が禁止されているため掲載する写真はキャリコ 織物博物館のホームページ掲載のものです。

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

パタン Patan

アーメダバードの北130キロ、650年間グジャラートの首都として栄えたことから多くの歴史的建造物があります。なかでも有名な世界遺産女王の階段井戸を見に行きました。井戸といっても地下7階建の巨大建造物で細部に彫刻を施された見事なものでした。

女王の階段井戸 Rani ki vav

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

パトラ織り Patora (Double Ikat)

今回の旅の目的であるパトラ織工房を訪問しました。11世紀から35代に渡ってパトラ織の伝統を伝える老舗でご当主のサルヴィ氏はインドの人間国宝と言われています。工房では①糸の括り②染色③織の全工程を一貫して行っていました。織り機は幅広で手前に傾斜した特殊なものでした。緯糸を通す度に経糸との位置を合わせる精緻な作業でサリー一反を織るのに数ヶ月を要するそうです。ご当主自らご説明いただき作品を分けていただくことができました。

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

モデラー太陽寺院 Modhera Sun Temple

パタンから35キロ、ヒンズー教の太陽神スーリヤを祀った寺院、内部の柱などにカジュラホの寺院に見られるようなエロチックな彫刻がありました。

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

ブージへの道 Road to Bhuj

モデラーからパキスタン国境に近いブージまで320キロを一気に専用車で走りました。ブージの手前に広大な塩田があり美しい夕日を見ることができました。

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

ブージ Bhuj

ブージはインドの西端、パキスタン国境に近いカッチ湿地帯の中心でかつてカッチ王国の首都でした。宮殿(プラグ・マハル)では19世紀の王国の繁栄を、白亜のスワミナラヤン寺院ではヒンズー教建築の精緻を見ました。ブージ市内は活気に満ち溢れ、カラフルなサリーを纏った女性たちが歩き、手芸店には豊富な手芸用品が並んでおり、ちょうど豪華な結婚パレードを見ることができました。

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

カッチ博物館 Kutch museum

グジャラート州最古の博物館です。1階にはカッチ地方の民族文化や歴史に関する展示、2階には刺繍などの布製品・食器類など伝統的な工芸品が展示されています。特に2階の展示は素晴らしくカッチ地方各地の多様な染織りや刺繍のコレクションは大変勉強になりました。

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

ワジール・コレクションWazir Collection

カッチ地方のアンティーク織物コレクターのAA Wazir さん宅を訪問し膨大なコレクションを見せていただきました。中でもラクダ用の織物は珍しいものでした。将来博物館を作りたいと仰っていました。

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

ブージ周辺の村には多様な手法の染織りや刺繍の工房があり、今回はその村々を専用車で回りました。

絣織(かすり) Ikat

Dharamshi Maheshwari氏の家族工房、伝統的な手法で多彩な作品を制作されていました。

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

ブロックプリント(アジュラク)Block print

手彫の木版で柄を染めるインド伝統の手法。その歴史は紀元前まで遡るとも言われています。工房の中では職人が布に部分模様を彫り込んだ木版を使いリズミカルに正確な位置に押し当てて連続模様を描いています。驚くことは仕事の速さと的確な位置にピッタと木版を置くことです。正にエキスパート職人の技です。また染色が済んだ布は地面に直接広げて天日干しされている様子が印象的でした

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

ラバリ刺繍 Rabari embroidery

ラバリ族の村を訪ねました。刺繍の村として知られています。村の道端では娘さん達が集い、手元では小さな鏡を様々なステッチで布に止めつけて布を美しく飾りあげる作業をしていました。拝見しながら話しかけていると年長のご婦人が近づいてきて娘さん達に笑顔で話しかけ作品を刺すためのアドバイスをしています。またご夫婦で営んでいるショップに案内していただいてたくさんのアンテイーク作品を見ながら刺繍で描く模様の意味、作品の使用目的等々の説明を伺うことができました。

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

ローガンペイント Rogan painting

ひまし油で練った粘度の高い染料を小さな棒に付け、布にフリーハンドで糸を引くようにして一筆書きで柄を描き、布を載せて柄を転写するという独特な染色法です。

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

絞り染め Tie-dye

アジャンタ石窟の壁画に絞り染めの衣装があることからインドがその源流の一つと言われいます。今回訪問した工房で作品を拝見しながらポツリポツリと感想を伝えているとちょっと待ってという様子で席を外したかと思うとデザイン画と作業途中の布を持って来ました。目の前で極小の絞りの手作業を直にやって見せてくれました。和装で使う上等な鹿子絞りの帯揚げの繊細な絞りと共通する素晴らしい技術です。次々と作品を見せてくれるのですが商売っけは全く感じません。とても嬉しそうな様子です。工房を紹介するパンフレットを受け取るとなんとこの工房で制作された絞りや藍染は世界的に知られている某デザイナーさんから依頼がありパリコレのステージで紹介されたとのことでした。工房を移動して染め場にも案内されて天然染料と化学染料で染める説明とデモンストレーションを見せてくださいました。貴重な体験でした。ありがとうございました。

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

銅細工 Coppersmith

銅細工の工房に寄りました。銅板や空き缶を材料に可愛らしいベルやラクダのシルエットのルームアクセサリーを打ち出したり切り出して素敵な作品に仕上げていました。お爺ちゃん、お父さん お母さん 子供さん達 皆さんにお会いし、見送ってくれました。

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

木工細工 Wood carving

カッチ大湿原にゆく途中で木工細工が盛んな村に寄りました。固めた色粉を(クレヨン状)回転する木材に当て、回転させることで熱を発生させて色粉を溶かし着色します。その後、木片を当てて滑らかにしてオイルを塗り、違う色を重ねてゆく作業を繰り返します。

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

カッチ大湿原(塩の平原) Great Rann of Kutch (White Rann)

乾季(冬)にカッチ大湿原が干上がって出現する塩の平原(ホワイトラン)を見に行きました。はるか塩の地平線の先はパキスタンです。

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

メグワル族の村 Villages of Megwar tribe

カッチ湿原に点在するメグワル族の村々(不可触賎民として差別されらため街の近くに居住できませんでした)を訪ねました。円筒形で外周に絵が描かれたファンシーというかメルヘンチックな印象の家もあり、女性はエプロンのような前掛けに細かな刺繍を施した美しい民族衣装を着ていました。アメリカ人の女性に会いました。大学の教授でメグワル族の民族研究の目的で村の人々の中で生活をしているとのことでした。衣装はメグワル族の女性のものを身につけていました。カッチ大湿原を馬で疾走する遊牧民の男性にも会えました。

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

陶器の村  Village of Pottery

陶器を焼く村に立ち寄りました。インダス文明の遺跡で発掘される陶器が現代でも昔のままの手法で作られています。村の近くで取れる粘土を使い皿や壺が作られていました。図柄は部族伝統のものです。

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

遊牧民 Nomad

民族衣装をまとった遊牧民の男性が広大なカッチ大湿原を疾走していました。

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

ムンバイ Mumbai

ブージから空路ムンバイ(旧ボンベイ)に移動しました。

かつてボンベイと呼ばれていた西インド最大、世界第6位の人口を誇る国際都市です。英国植民地時代にヴィクトリア・タ-ミナルと呼ばれたチャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅はコロニアル建築の代表的な建物で世界遺産に登録されています。アラビア海に面したインド門はムンバイのタージマハルとも呼ばれ、その向かいにはインドを代表する最高級ホテルのタージマハルホテルが立っています。近代的な都市とは裏腹にドービーガート(洗濯場)には混沌としたインド庶民の生活がありました。

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

ムンバイの布地屋 Textile shop of Mumbai

ムンバイ市内の布地屋さんを覗いてきました。サリー用の鮮やかな色や柄の布がたくさん売っていました。

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

ムンバイを17時半に発ち、ニューデリー乗り換えで帰国の途について、翌日の午前8時に成田につきました。
動画版(26分)

おわりに

念願の絣織伝播の道のはじまりの地を見ることができました。

2020年に沖縄の琉球絣工房を訪問した際、丸正織物の大城孝司さんから、パトラ織工房が琉球絣の源流とし沖縄に招かれたことを聞き「パトラ織のサルヴィさんが沖縄の皆さんにとても良くしていただいて感謝していました」とお話したところ「サルヴィさんは自身の工房で使っている幅広の織り機を分解して沖縄に運び込みデモンストレーションをしてくれました」とお答えいただき、絣伝播の確かな道筋を実感しました。

グジャラート州は日本であまり有名でありません。アーメダバードやブージといった地名も今回の旅行で初めて知りましたが、染織りや刺繍などの手芸を学ぶ者には嬉しい理想郷でした。機械化されていない多様な染織り手法や精緻な刺繍技術が現存しています。近代化に伴い伝統的なものが廃れつつ方向がある中、人の手による丁寧な制作技術を拝見できたことは貴重な機会となりました。また民族衣装のサリーやパンジャムスーツが日常の生活で着用されていました。

2018年にフランスのリヨンに行った際にウッドプリントによる染色が行われているのを目の当たりに見ました。絣織だけではなくインド発祥の技術がヨーロッパにも伝播していたのです。

クリックで拡大表示、→で次の写真、←で前の写真、Xで終了

今回はインドの旅行会社の東京事務所経由で手配をお願いしました。特にアーメダバードからブージまでは専用車とスルーガイドをつけてもらいました。おかげさまでこちらの希望を本当に良く叶えて頂けました。彼らなしには今回の旅は実現できなかったと思います。また訪問した工房のみなさんも我々二人のために親身にご案内いただき誠に感謝に耐えません。

出発前は色々な方から忠告をいただきました。例えば「旅行中必ず下痢をするので、生水を飲んではいけません(ミネラルウォータを飲みなさい)、サラダは食べてはいけません(野菜を洗った水が汚染されている可能性があります)。インドのカレーはものすごく辛い。治安が悪いので気をつけたほうが良い」といったことです。しかし実際はそんな心配はありませんでした。生水はのみませんでしたがサラダは食べました。でも一度も下痢はしませんでした。西インドのカレーはあまり辛くなくベジタリアンが多いため野菜のカレーが中心で食べやすく大変美味でした。田舎に行くと貧しい人も多く動物も痩せていいました。しかし皆さん明るく良い人で治安に不安を感じることもありませんでした。

2022年追記

2011年に訪ねたインドは歴史と文化に富んだそして色彩豊かな活気ある魅力的な国でした。左右に延々と続く綿花畑の道を車で村から村へ走ったこと、カッチ大湿原を馬で疾走する遊牧民の青年に出会ったり。懐かしい。そして今(20229月)手元には岩立広子氏著「インド大地の布Textiles The Soul of India 」があります。他にもインドに関してのたくさんの本を読む時間がありました。機会があれば東インド、南インド、さらには北インドの山岳地帯などへも行きたいと願っています。