「津軽こぎん刺し」を見に行きました。「津軽こぎん刺し」は江戸時代に木綿の着用を許されなかった農民が麻布を重ねて麻糸で刺した着物を普段着としていたもので、雪国津軽の冬は麻布だけでは寒さを防ぐことはできず、糸で布目をびっしり刺すことで保温効果も高めていたものです。明治に入ると木綿の着用が解禁になり、木綿糸が手に入りやすくなり、藍色の麻布に白い木綿糸で刺されるようになっていきました。農家の女達の美意識と工夫で多くの模様が生み出され、他の刺し手と美しさを競い合うようになり、娘達は幼少から刺す練習をし、晴れ着用として嫁入り支度に欠かせないものとなりました。しかし明治24年に上野~青森間の鉄道が開通し、明治27年に青森~弘前間に鉄道が延び、豊富な物資が流通し始めると麻より暖かく丈夫な木綿の着物が手に入るようになると、手間のかかるこぎん刺し着物は急速に廃れていきました。昭和に入ると、柳宗悦[やなぎむねよし](1889~1961)らによる民藝運動によって、再び注目を浴びることとなります。宗悦は津軽こぎん刺しの模様に注目し民家や古道具屋で古作こぎん着物を収集し、「名もない津軽の女達よ、よくこれほどのものを遺してくれた」(昭和7年「工芸」より)と絶賛しています。
弘前でも「津軽こぎん刺し」はおみやげ屋さんに小物が売られている程度で古作や新作をまとめて見られる施設は極めて少ないのが現実です。ネットで調べて見ただけでは十分な情報がなく弘前駅内の観光案内所で相談し3箇所ほど行ってきました。中でも「弘前こぎん研究所」では刺繍の方法を実演していただいた上で、古作のコレクションも見せていただくなど大変お世話になりました。http://www.kaneiri.co.jp/shop/people/kogin-miura.html
津軽近郊の大鰐温泉にある星野リゾート界に津軽こぎん刺しをモチーフにした特別室「津軽こぎんの間」ができたというテレビ報道に興味を惹かれ弘前に行ってきました。お部屋は離れで津軽こぎん刺しを柄にした障子や内装で綺麗な部屋でしたが「津軽こぎん刺し」そのものはあまりなく想像とは少し異なっていました。